新「シネマに包まれて」

字幕翻訳家で映画評論家の齋藤敦子さんのブログ。国内外の国際映画祭の報告を中心にシネマの面白さをつづっています。2008年以来、河北新報のウェブに連載してきた記事をすべて移し、新しい装いでスタートさせました。

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2013filmex_p_05_03.jpg 11月30日の午後、有楽町・朝日ホールで受賞結果の発表と記者会見がありました。

 本賞に先だって、今年のタレント・キャンパス・トーキョー・アワードの発表があり、フィリピンのジャヌス・ヴィクトリアさんの『孤独死―夏への逃亡』、次点のスペシャル・メンションには中国のヴィンセント・ハイ・ドゥさんの『中国の音楽の夢』が選ばれました。

2013filmex_p_05_02.jpg ヴィクトリアさんの企画は、長年勤めた会社をクビになった日本人男性が母親の孤独死を知り、自分も同じ運命をたどるのではないかと悟って東京からマニラに逃亡し、そこでエンジェルという名の救世主に出会う、というもの。ハイ・ドゥさんの企画は、ドイツの音楽大学へ留学することを夢見てドラムを学ぶ16歳の少年を追ったドキュメンタリーで、すでに撮影を始めている進行中のプロジェクトです。

2013filmex_p_05_01.jpg 28日の昼に映画関係者やプレスを交え、一人の持ち時間10分で企画を説明するオープン・プレゼンテーションが行われましたが、多数の応募の中から選ばれただけあって、どれも面白く拝聴しました。26日には、2010年のタレント・キャンパス(当時はネクスト・マスターズ)参加者で、今年のカンヌ映画祭でカメラ・ドールを獲得した他、先の台湾・金馬奨で4冠を達成した『ILOILO』のアンソニー・チェン監督と、昨年のタレント・キャンパス参加者で、今年『トランジット』を監督して戻ってきたハンナ・エスピア監督の"ハッピー・リターン"トークショーも行われました。

 市山プロデューサーはたった3年でアンソニー・チェン監督のような成果が出たことを驚いていましたが、選りすぐった企画をさらにブラッシュアップし、資金集めの方法や共同製作者、配給会社の見つけ方を教えるタレント・キャンパスは、いわば即戦力を育てる場。これからも参加者の中から、続々と成果が誕生していくことでしょう。

 今年の最優秀作品賞に選ばれたグルジアの『花咲くころ』は、90年代前半、ソ連崩壊後、内戦で混乱したトビリシで成長する14歳の少女を描いた作品で、ベルリン映画祭フォーラム部門で上映された作品。審査員特別賞は学校でいじめにあう13歳の少年を描いたカザフスタンの『ハーモニー・レッスン』で、これは今年のベルリン映画祭のコンペティション部門に出品され、芸術貢献賞を受賞しています。

 スペシャル・メンションの『カラオケ・ガール』はカラオケ・ガールと呼ばれるナイトクラブのホステスの日常生活をドキュメンタリーとフィクションを交えて描いた作品。『トーキョービッチ、アイラブユー』は、近松門左衛門の<曽根崎心中>を現代の東京に翻案した舞台劇の映画化という面白い作品でした。

 アンソニー・チェン監督の『ILO ILO』は観客賞、ハンナ・エスピア監督の『トランジット』は学生審査員賞と、まんべんなく行き渡った感のある受賞結果でした。

写真上は今年のタレント・キャンパス・トーキョー参加者の記念写真。
写真中は"ハッピー・リターン"トークショーの模様。
写真下は、受賞者を交えた今年の審査員との記念写真です。

2013nantes_p_05_04.jpg 閉会式は25日午後7時半から、ロワール川の中州にある国際会議場「シティ・コングレ」で開かれ、インド映画100周年特集にちなみ、サタジット・レイ監督の「チャルラータ」(1964年)が上映された。監督は、「大地のうた」3部作などでインド映画を欧米に知らせる基盤をつくった。上映作は、カルカッタを舞台に、仕事に忙しい男の若い妻チャルラータが、休暇で訪れた夫のいとこに心ひかれることを通して、夫婦の絆を描いたもの。上映後には来場者から盛大な拍手を送られた。

 さて、今年のコンペ部門だが、日本の「ほとりの朔子」(深田晃司監督=日米合作、2013年)が、ナント出身のジュール・ベルヌにちなんだ金の熱気球賞(グランプリ)と若い審査員賞をダブル受賞、中国のドキュメンタリー「収容病棟」(ワン・ビン監督=中・仏・香港・日合作、2013年)が銀の熱気球賞(準グランプリ)を獲得した。また、トルコの「私は彼ではない」(タフン・ビリスリモグ監督=2013年)が審査員特別賞、イランの「ルールを曲げる」(ベハナ・ベザディ監督=2013年)が観客賞(観賞後の観客投票で決定)を受賞した。

2013nantes_p_05_05.jpg 地元紙「ウエスト・フランス」は翌朝、「ほとりの朔子がグランプリ」の見出しで閉会式の様子を報じた。

 「ほとりの朔子」は、大学浪人生の朔子(二階堂ふみ)が、叔母の海希江(鶴田真由)と訪れた海と山のほとりの避暑地で、叔母の幼なじみや、彼の甥の高校生孝史(太賀)らとの出会いを通して、人生の複雑さにも触れ、子どもから大人へと歩み出す姿を、リリカルに描き出している。タイトルの「ほとり」は、境界をやんわり示す辺(あたり)を指し、ヒロイン朔子の微妙な位置づけを、日本語ならではの繊細さで伝える。ちなみに、プログラムの仏訳は「さよなら 夏」で、簡潔に作品の意図を伝えていた。

 脚本も深田監督で、いろいろな視点で「ものの見方」が変わることが、大きなテーマとなっているのだが、大震災による福島原発事故についても、違う視点から何が正しいのか、を問う。孝史は福島から避難者、こちらの高校では不登校状態。久しぶりに会った同級の女学生から声を掛けられ、淡い恋心が募らせるのだが、彼女は別の男性と「原発反対」の集会を企画、孝史に体験談を語らせたかったのだ。原発事故と向き合ってこなかった孝史は、「避難者みんなが大変なのではない。僕は、親と一緒にいるのが嫌だから逃げ出しただけ」と言って、会場から逃げ出す。思い込みだけでは、見えないものがある。

 深田監督は、最初の若い審査員賞受賞で「フランス映画に育てられた人間として、フランスの賞を受賞できるのはうれしい」とあいさつ。グランプリ受賞には「若い審査員賞で(満足して)油断していた」と、最高賞受賞の驚きを表現した後、「2005年にバルザックの『人間喜劇』をモチーフにした、絵画をアニメーション化する『ざくろ屋敷』のロケで、ロワール川を訪れた縁がある。今回の作品は、昨年夏に撮影、つい最近まで編集し、フランスでは初めて公開した。受賞は本当にうれしい」と、喜びを表現した。

 授賞式後に深田監督に会った。

 - 若い人たちの評価をどう感じましたか。

 「原発を避けないで扱っている点を、若い審査員たちが、ちゃんと議論した上で評価してくれたと聞いている。原発大国フランスならでは、と感じている。福島原発のことは脚本を書くときから、必ず入れたいと思っていた。その意図が伝わり、分かってもらえたことが、大変うれしい」

 - いろいろな見方ができる作品ですね。
 
 「『歓待』では、ややにぎやかでユーモアを前面に出しながら家族とは何かを問うものだったが、『朔子』では他者との触れ合いの中で、それぞれが自分を知ることになることを、景観も取り入れながら静かに描いた」

 - 若い2人(二階堂ふみ、太賀)の演技が素晴らしかったが。
 
 「そう注文することなく任せたが、若々しくて自然な演技が出せたと思う」

 - 監督が平田オリザ率いる青年団に所属しているのは。

 「平田演劇を見て、映画づくりのためになるものが詰まっている、と感じたのがきっかけ。"留学"をしているようなもの」

 -次の作品の構想は。

 「平田演劇の短編をベースに、福島をテーマにした長編に仕上げる予定だ」

2013nantes_p_05_03.jpg 準グランプリの「収容病棟」は、ワン・ビン監督ならではの社会派ドキュメンタリー。監督は2003年に3部作、9時間に及ぶ「鉄西区」で、昨年は「三姉妹~雲南の子」、ともにドキュメンタリーでグランプリを受賞しており、今回もグランプリの最有力候補だった。

 今回は中国雲南省の公立精神病院に隔離収容された患者たちの生活ぶりを執よう追いかけ、227分という長編の記録にまとめている。

 20年間収容されている患者の一方で、まだ20日の患者もいる。「ドクター!」と呼ぶ声はするのだが、医師らしき存在も、治療行為の様子も見られない。ただ、収容しているだけの施設なのか? 労働が義務づけられている様子もなく、各人は自由(?)に振る舞っている。日本の精神病院からイメージされる情景とは大いに違う。

 病棟は決して明るくはないが、どうしようもなく暗いのではなく、意外に明るい。争いごとはなく、患者同士が微妙に助け合うというか、寄り添っているのだ。社会や家族との生き方に、他人より敏感に疎外感を感じている人たちが、現状に立ち向かうのではなく、身を寄せ合って、互いをかばい合っているのでは、と思わせられた。

 ここには、攻撃的な人間が存在しない。そこに救いがあるので、日常の執ような描写からも目をそむけようと思わず、最後まで見通した。人間は意志でなく、本能のままでも生きていけるということなのか。昨年の「三姉妹~雲南の子」は、より悲惨な状況の描写であっても、生きる人間の力強さを感じさせてくれた。今回の記録が伝えたいものは何なのか、見つけられないでいる。
 
2013nantes_p_05_02.jpg 審査員特別賞の「私は彼ではない」は、自分じゃない自分を夢想するという、人間の密かな欲望を逆手に取った、不思議な味わいのファンタジーだ。平凡な中年男が、若くて美しい彼女と暮らすことになるのだが、どこか自分が自分でないような、自分は誰か別人と思われているのかもしれない、という微妙な不安感を拭えないまま、ある種、幸せな状況が繰り返される。これが現実だとしたら、ちょっとしたスリラーだ。
 疑わずに幸せにかまけていれば、何ごともうまくいったのだろうか。だが、そこに疑念を持ってしまうと、消し去ることができないのが人間。タフン・ピリスリモグ監督=写真(上)=は、忘れがちな、人間本来の夢想を思い出させ、ちょっぴり恐怖の味付けもして、清涼感漂う作品に仕上げた。観客の反応も上々で、カトロザでの上映時には拍手が鳴りやまなかった。
 
2013nantes_p_05_01.jpg 観客賞の「ルールを曲げる」は、学生たちのアマチュア劇団が、団員の1人と親の意見の食い違いで、海外招待公演そのものが危うくなる、という中で、現代イランの若者の仲間意識と世代間の対立を描いたもの。
 ベハナ・ベザディ監督は、劇団員を個性豊かに描き分けて、現代イランの若者像を浮かび上がらせる一方で、厳格な、それでいて娘思いの父親と娘との溝は埋まらない状況も丁寧に描いた。モバイルカメラによる緊迫した演出、即興演奏の音楽の扱いも出色で、若者を中心に観客の心をつかんだようだ。

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 前年からプログラム構成が変わり、閉会式当日もコンペ作品の上映が行われようになり、初日から訪れなくとも、コンペ作品すべてを見ることができるようになった。今回は9本と、例年より作品数が少なかったこともあり、余裕をもってすべてを見ることができた。とはいえ、特集はインド映画100周年の一部を楽しんだだけで、中国映画、ブラジルなどの特集も楽しむことができなかった。

 一昨年の「日活100周年」、昨年の「相米慎二全作品」と日本の特集が2年続いたこともあって、今回は日本の作品が「ほとりの朔子」1本だったことは寂しかった。上映会場で日本人の姿を余り見かけなかったことも、その影響かもしれない。ただ、その1本がグランプリと、日本の新しい才能が育っていることを証明して、大いに満足だった。

 上映面では、例年以上にトラブルが多かった。21日の「ほとりの朔子」では、フランス語の字幕なしで上映が始まり、10分後に観客が騒ぎ始めて初めて、上映が中断された。英語の字幕は焼き込んであるのだが、フランス語字幕は、パソコンで連動させて、画面下の表示窓に映すことになっていたのだが、担当者がいなく、そのまま上映を始めてしまったというのだ。上映時刻がズルズルとずれ込むのは、「フランス流で仕方ない」と諦めているのだが、字幕なしには、ちょっとびっくりした。

【写真(上から】
金の熱気球トロフィーを手にする深田晃司監督
深田監督のグランプリ受賞を伝える「ウエスト・フランス」
準グランプリのワン・ビン監督
審査員特別賞のタフン・ビリスリモグ監督
観客賞のベハナ・ベザディ監督

2013filmex_p_04_01.jpg Q:市山さんには、今年のフィルメックスの内容と、去年から今年にかけてご覧になった各国の映画の状況についてうかがいたいと思っています。その最初は、今年のカンヌ映画祭で脚本賞を受賞し、今回のオープニング作品であるジャ・ジャンクー監督の『罪の手ざわり』ですが、カンヌ上映後の評判はいかがでしたか?

 市山:すごくいいです。アメリカではニューヨーク映画祭で上映し、その直後に劇場公開したんで、世界初の商業公開がニューヨークだったんですが、市内2館とはいえ、1館あたりの収入がその週のトップだったらしいです。

 Q:それはおめでとうございます。 

 市山:批評も各紙絶賛で、とにかく今までのジャ・ジャンクーの映画にはない好スタートでした。フランスでは12月10日からの公開で、海外受けはすごくいいんですが、中国に関してはまだ決まってないんです。初めは11月公開といってたのに、今は未定になっています。

 Q:それは扱っている事件などの内容的な問題で?

 市山:いや、事件自体は凄く有名なものです。ウェイボーという中国版ツイッターで話題になり、一般紙なども報道しているんで、中国人が見たら誰でも分かる有名な事件らしいです。どうせ皆が知っている話だからということで検閲を通ったんだと思いますが。

 Q:ジャ・ジャンクー作品としては珍しい、商業テイストというか、武侠映画のような面白い映画なんですが。日本公開は?

 市山:来春、渋谷のBunkamuraル・シネマです。

 Q:今年の中国映画の動向は?

 市山:去年は中国映画が3本入っていたんですが、今年はこれしかなかった、というのが『見知らぬあなた』です。これはベルリンで見て、かなり早い時期に内定を出していました。ジャ・ジャンクー・プロデュースの若手監督シリーズの1本で、新人の女性監督ですけど、役者もプロの俳優をちゃんと使っているので、普通にかっちり出来ている作品です。カメラもユー・リクウァイがやっていますが、撮り方もジャ・ジャンクー作品とは違っているので、普通の人たちが見てもわかりやすい映画です。中国は、この映画以外にもいろいろ見たんですが、今ひとつでした。去年に比べると中国映画の若手の作品に凄いと思うものがなかったですね。

 Q:それは波があって、今年はたまたまダメだったということ?

 市山:去年撮った人たちがまた2年後に撮って出てくるかもしれないですが、中国でも今、アート系の映画が厳しく、作りにくくなっているのは間違いないです。お金はあるので、商業映画はすごく沢山できるし、TIFFの<ワールド・フォーカス>でやったビッキー・チャオという女優のデビュー作の『So Young』というロマンチック・コメディなどは大ヒットして、そういうのを撮るのは簡単なんだけど、映画祭のコンペに出るようなアート系の映画は作っても上映するところがない。たとえば去年フィルメックスでやった『ティエダンのラブソング』など、公開はしているんですが、すごく限定された公開でした。しかも公開できればいい方で、年間800本くらい作られているうち300本くらいしか公開されていないという説もあるんです。

 Q:どうやって製作費を回収するんですか?

 市山:してないんです。80年代の日本と同じで、いろんな業界で儲けた人がたくさんいて、とりあえず投資して、ほったらかしになっているものが結構ある。

 Q:もったいないですね。

 市山:監督として撮った作品が公開されないというのは非常に辛い話ですよね。そういう状況が中国で結構起こっている。というのは映画館が総シネコン状態で、いわゆるアートシアターがほとんどない。ジャ・ジャンクーのプロデュース作品は何本かまとめて主要都市を回したり、そういうことを試みてはいるようです。今年、日本のシネマシンジケートのようなものを立ち上げた人たちが出てきて、お蔵入りになっているインディペンデント作品を何本かまとめて北京や上海などの主要都市に回して、というのがようやく始まったということです。今までそういうことをやる配給会社もいなかったような状況です。

 Q:以前、ジャ・ジャンクーの映画などはすぐ海賊版が出て、それを皆が見ているという話をうかがったことがありましたが、そういう状況は今も続いているわけですか?

 市山:海賊版という"版"ではなく、ネットでダウンロードして見られるようになっています。ただ、昔ほど海賊版で皆が見るというような感じではなくなっていますね。

 Q:ネット社会が進んできた感じがしますね。

 市山:もしかしたらアート系の作品は、今後は劇場でやらないでダウンロードして見るような形になるかもしれませんね。

 Q:でもダウンロードの会社に権利を売るといっても、そんなに高く売れないでしょう。製作費は回収できないですよね?

 市山:と思いますね。出資者に理解があって、映画祭に出れば満足です、みたいな人だったらいいんですが、投資で考えている人は、公開されないんなら無駄だから商業映画に出した方がマシということになって、どんどん商業映画はできるけど、アート系の映画はできなくなる。今なら、たとえば美術で儲けた人がアートをサポートするというような形でなんとか続いているらしいですけど、それが果たしていつまで続くか。今年は実際、国際映画祭を見ても中国映画は出てないんです、ジャ・ジャンクーの映画が一番回っているだけで。その一方で娯楽映画なんかはたくさんあるんです。インターネット作家が初めて監督した映画も上海映画祭で上映されて、僕は見なかったんだけど、場内は満杯で、その後公開して大ヒットしたそうです。

 Q:そういうのがトレンドなんですね。

 市山:映画界自体で考えると盛り上がっているかもしれないですけど、国際映画祭というフィールドから考えると中国映画は今年は厳しかったし、いわゆるアンダーグラウンドでも今年はそんなになかったです。逆にアンダーグラウンドの方は、ほとんどインスタレーションに近い、とんがった作品が極端に増えている感じがします。フィルメックスにアートと映画の中間みたいなサブセクションがあれば、そういうところでできるなと思うようなものは幾つかありましたが。

 Q:さすがに中国は多様ですね。でも、お話を聞くと、作品的な成熟が難しくなってきている気がするんですが。

 市山:これは世界的に言えることかもしれませんが、すごく格差社会というか、娯楽映画はどんどんお金をかけて作る一方で、インディペンデントは極端な方に走っていて、中間くらいで、普通のお客さんも楽しめてクオリティが保たれているというものが少なくなってきている感じはあります。

 Q:台湾からはチャン・ツォーチの『夏休みの宿題』がありますね。

 市山:これはチャン・ツォーチで初めてやくざが出て来ない映画です(笑)。侯孝賢の『冬冬の夏休み』みたいな話で、一応、師匠の世界を継承しているんですが、今の台湾映画のトレンドとは全然違う映画です。今の台湾はトレンディドラマが主流で、80年代と全然違うんですが、昔の伝統をかたくなにチャン・ツォーチが守っている感じがある。今の台湾映画界では浮いた存在だと思います。

 Q:台湾はトレンディドラマで成り立っているわけですか?

 市山:国産映画が凄いです。完全に外国映画と逆転している。特に『海角七号』という映画がヒットしたのがきっかけで、それまで台湾映画を見なかった若い人たちが完全に台湾映画に向いてきてて、外国映画より当たるんです。

 Q:日本と似てますね。

 市山:ただ、当たっているのはラブロマンスだったり、テレビの若手スターが出ている映画だったりします。TIFFでチェン・ユーシュンが復活してたというのは、たぶんそんな流れだと思います。チェン・ユーシュンは『熱帯魚』の監督ですが、『総舗師―メインシェフへの道』という新作が<ワールド・フォーカス>部門に出ていた。しばらく撮れなかった人たちが復活してきているという感じはありますね。

 Q:中国系はその辺にして。

 市山:今年はタイ、フィリピン、シンガポールと東南アジアがいっぱいあるんです。東南アジアはみんなレベルが高かったですね。うちでやらなかったのでも面白かった映画はいっぱいありました。TIFFの<ワールド・フォーカス>でやった『メアリー・イズ・ハッピー』というタイ映画はフィルメックスでやってもおかしくなかった。

 Q:今年はネクスト・マスターズ卒業生のアンソニー・チェンが大成功して、フィルメックス的にもとてもよかったですね。

 市山:2010年にネクスト・マスターズとして始めたタレント・キャンパスから、3年後にカンヌのカメラ・ドールが出るとは誰も想像していなかったです。カンヌの監督週間に選ばれたと喜んでいたら、カメラ・ドールまで獲って驚いたんです。タイの『カラオケ・ガール』もタレント・キャンパスのプロデューサーの新作、『トランジット』の監督も去年のタレント・キャンパスに参加してた人です。

 Q:日本映画が2本ありますね。日本の若手は作れている感じですか?

 市山:応募作品も極端なんです。一方で商業映画の小型みたいなものがあって、一方で本当に予算がないなかで作っていて、予算がないのはいいんだけど、じゃあ、対抗できるすごいものがあるかというと、なかなかない。日本映画の場合は新人というより、もうちょっと上の人じゃないと海外のラインナップに対抗できないなという感じはあります。

 Q:個々の作品は面白いし、自分をとりまく世界をうまく描いているとは思うけれど、海外の作品と比べるとチマチマしているというか。製作費が少なくてもいいし、チマチマしててもいいんだけど、もっと思想的に突き抜けてくれないと困る。それは世代的な問題なのか、何なのか。市山さんはプロデューサーもされていますが、どのように見ています?

 市山:1つは世代的な問題と、ある時期、日本映画で政治とか社会問題を語るのがカッコ悪いみたいな雰囲気があった。僕らもそうなんですが、なんとなくそういう雰囲気が80年代くらいからあって、政治的だからいい映画ができるというわけではないですが、政治意識というか歴史意識というか、そういうものが、他のアジアの国にくらべて圧倒的に不足している。そういう映画が、たとえば中国映画からポンと出てくると強烈だし、韓国はちょっと前まで戒厳令があったりして、ポン・ジュノなど僕らより若い世代の人でも歴史的な意識のある人が多いです。日本の場合はそこが欠落していて、それが今になって差が出ているんじゃないかなとは思いますね。なかで『サウダーヂ』みたいな映画があると、またちょっと新しい人たちがいるのかもしれないという気もします。社会問題というと変ですけど。

 Q:ある種の社会問題ですよね。

 市山:『サウダーヂ』は、ロカルノに選ばれてナントで賞を獲ったり、他のアジアの映画と対等に張り合っていますけど、ああいう映画が今までちょっとなかった。

 Q:今年の応募作品を俯瞰して、この国がよくなってきたと思えるところは?

 市山:1つの国というよりも、東南アジア全体で応募作が増えたような気がするし、結構面白いものがあったと思います。

 Q:なぜでしょう?
市山:1つはデジタルが出て来てから東南アジアが変わってきて、それまで映画を撮ってなかったマレーシアなどの国からどんどん出て来た。それが自信になってきてるんじゃないですか。自信というか、皆が撮る方向に向いてるというか。タイのアピチャッポン、フィリピンのメンドーサなんかがカンヌとかで大きな賞を獲って、すごく予算をかけたわけじゃない映画が賞を獲っているということが勇気づけているという感じはあると思います。撮ってもだめだろうと思っていたところが、そういう人たちの活躍に刺激を受けている。国がサポートしているとか、そういうのはあんまりないはずなんです。韓国みたいに国がサポートしてどんどん作らせているという話はあまり聞かない。もちろんシンガポールには助成金が多少ありますが、シンガポールだけが突出しているわけではないので。国のサポートというより、国際映画祭で活躍していることに刺激を受けて、どんどん若手が出て来ているような気がします。

 Q:タイやフィリピン、インドはもともと商業映画の歴史がありますが、ちょっと途絶えていた感じだった。でも商業的なところからではなく、アート系から出てきたのが面白いと思うんです。

 市山:フィリピンなんかは、『トランジット』が賞をとったシネマラヤ映画祭がサポートしたりしていると聞きました。政府というより民間の財団だと思うんですけど。

 Q:今年は石坂健治さんからインド映画のことをいろいろ聞いたんですが、フィルメックスはインド映画が1本もないですね。

 市山:インドはいろいろ見て議論にのぼったものはあったんですが、結局やりませんでした。何か1つ足りないですね。もともと土壌は整っているし、最近は経済発展してきているんで、今までなかったようなアート系のものが出て来たり、商業映画で成功した監督が若手に機会を与えるために新作をプロデュースしたりとか、いろんな意味で土壌は整っている。あとは凄い人がいるかどうかなんですけど、そこはまだ、という感じです。以前、シャー・ルク・カーンの映画をやったらお客さんが随分入ったんで、やれば入るとは分かっているんですけど。

 Q:特別招待作品にモフセン・マフマルバフとジャファール・パナヒが並ぶところがフィルメックスらしいですね。

 市山:マフマルバフはフィルメックスが始まってから何度も作品は上映しているんですが、本人が来るのは初めてで、今年の審査員長です。

 Q:この間、ある人から「なぜ今グレミヨンなんですか?」と聞かれて答えに窮したんですが。

 市山:2年くらい前に日仏(アンスティチュ・フランセ日本)の坂本安美さんから、ジャン・グレミヨン特集をいずれやりませんかという話があって、僕はグレミヨンがすごく好きなんですが、てんでんバラバラに見ていて、全体像というのを見る機会がなかったんで、良い機会だと思ったのが始まりです。

 Q:私がフランスにいた頃はシネマテークでよく上映されていました。

 市山:僕は蓮實重彦さんの本からです。蓮實さんが誉めているからいいというわけじゃなく、ちょうど10年くらい前にシネカノンが『この空は私のもの』と『白い足』の2本を配給したんです。"シネマオタンチック"というタイトルでグレミヨン、アンドレ・カイヤット、アンリ=ジョルジュ・クルーゾーとか、その辺のドイツ占領下の時代の作家たち、とは銘打ってないんだけど。そのときにグレミヨンを初めて見て、これは凄い、さすが蓮實さんだと思った(笑)。その後、朝日ホールの"フランス映画の秘宝"という特集で『曳き船』をやったり。僕は『愛慾』を日仏で見たんですが、特集としての形では全然やっていなかった。まったく何の周年でもないですが。グレミヨンは日本でDVDが全然出てないんです。『この空は私のもの』と『白い足』も昔VHSは出たんだけど当然廃盤になってて、見れない映画作家になっている。フランス映画の特集としてはメルヴィル以来で、あのあとメルヴィルのDVDが何本か出たりしたんで、こういう特集がきっかけになってどこかでDVD・BOXを出してくれればいいなと思っています。

 Q:この特集は日仏に続くんですね?

 市山:『曳き船』とか、フィルムセンターにプリントがある作品は日仏でやるんと思うんですが、フィルメックスではしばらく上映されてなかった3本をやる。ちょうど戦時中の作品ですね。フランス映画というと、おしゃれな感じという印象があるけど、グレミヨンを見ると結構とんでもないことがおきて、いったいこの映画はどこに向かうんだろうというようなスリルを味わうことが多い。なかなかあの時代の映画にはないと思いますね。マルセル・カルネとかジュリアン・デュヴィヴィエと同じ頃の作家ですが、彼らとは全然違うものを作っている。

 Q:カルネやデュヴィヴィエは映画が始まったときに着地点が見える感じがしますね。

 市山:グレミヨンは見えない。

 Q:見えないスリルを楽しむ?
 市山:そうです。
(11月12日、赤坂の東京フィルメックス事務局にて)

2013nantes_p_04_01.jpg 24日はコンペ作品からイランの「ルールを曲げる」、招待作から中国の「DISTANT」、アルジェリアの「過ぎ去った日」の2本を見た。日曜日とあって商店街、マルシェには子ども連れの人が集まり、映画館も前日に負けない観客で賑わった。

 「ルールを曲げる」(2013年)は、学生たちのアマチュア劇団が、海外の祭典に招待されるのだが、団員の1人と親の意見の食い違いで、旅行そのものが危うくなる、という中で、現代イランの若者の仲間意識と世代間の対立を描いたもの。

 団員たちは親たちに「修学旅行に行く」と説明して了解を取り付けていたが、シャハザドだけは父親に正直に話したことで、父親は旅行に反対。彼女を行かせまいとして、パスポートを取り上げてしまう。彼女は父親と話し合うが、話は平行線。彼女は団員仲間と家探しし、パスポートを見つけ出すのだが、父親は、団員たちの練習場を訪れ、娘を帰すように迫る。一度は父親と帰宅したはずの彼女は、車から飛び降りて、行方不明になる。彼らは公演旅行に出発できるのだろうか?

 ベハナ・ベザディ監督(41)は、練習場ともなっているカフェに集う劇団員を個性豊かに描き分けて、現代イランの若者像を浮かび上がらせる。その一方で、厳格な、それでいて娘思いの父親と娘との溝は埋まらない状況を丁寧に描く。彼女を気遣いながらも、それぞれが違った反応を見せ、団員間でも意見が割れそうになる。

 それぞれが、自らを「正しい」と思い、主張だけをぶつけ合うのでは、合意点は見いだせない。若者と父親の"仲介役"的に叔父が登場するのだが、父親の主張の一途さにサジを投げてしまう。シャハザドは、自分が原因で公演旅行を駄目にしたくない意識から、父の気持ちに素直になれない。

 団員たちは、彼女の代役を立てて練習を始めるのだが、出発時刻が迫る中、リーダーは結論を迫られる...。
 団員たちのカフェの中での動きは、モバイルカメラで機動的にとらえ、リーダーらの即興的な音楽を、シーンに合わせてはめ込むことで、若者同士の親密さ、その対極の世代間の緊張関係をも暗示させる演出は出色だ。
 
 招待作の2作品はそれぞれが問題作だ。中国の「DISTANT」(2013年)は、見ようによっては映画作法を全く無視した作品だ。夜の港、燈台の灯りが点滅する冒頭はまだいいとして、都会のバス停を遠くから固定カメラでとらえたまま、バスが何台か停車して、人間が乗り降りするのだが、カメラが昇降客をアップすることもなく、場面転換する。今度は公園だろうか、車がやってきて2人が降り、何か作業をして立ち去る。何の作業かは分からない。どこかで携帯の呼び出し音が...。突然、ウエディングドレス姿の女性が携帯を手に現れるが、彼女も遠景のまま。携帯と花束を投げ出すのだが、どうしてなのかは分からない。登場する13の場面が、すべてこの調子だ。

 ヤン・ツェンファン監督(28)は、上映前に、「ある種のドキュメンタリー。中国の都市風景を遠くに置いて切り取ることで、都市のもつ不条理さや矛盾などが見えてきて、ユーモアさえも発するのではないだろうか」とあいさつしたのだが、その意識先行とフィクションとしての映画が、ちゃんとマッチングしたのだろうかと、疑問に感じた。

 誰かが主人公で、行為には意味がある、という先入観を捨てろ、というのが監督の狙いだとしても、ここまで突き放されると、神経がジリジリしてしまう。それだけ、今の中国の都市の日常とは疎外に満ちているのだろうか。ささいなユーモアも、小さく笑えるというのではなく、トゲと毒を含んでいるようにも感じた。

2013nantes_p_04_02.jpg アルジェリアの「過ぎ去った日」(2013年、アルジェリア・仏合作)は、アルジェリア内戦を扱って、同じ国民でありながら、互いに分かり合えないものがあったことを描いていて、内戦を知らない日本人には、本当には理解できないテーマだと思い知らされた。

 アルジェリア内戦は、政府軍と複数のイスラム主義反政府軍との対立が1991年から2002年まで続き、「暗黒の10年」「テロルの10年」といわれた。カリム・モサウイ監督(37)は、「どうしてわれわれは、相手サイドに立てないのだろうか」のテーマを、2つの視点、同じ学校に通う、若い男女の目を通して、しかも同じ時間帯で描く試みで、1994年の内戦状況での、双方の隔たりと救いのなさをあぶり出している。

 ダジャベーとヤミノは同じ学校に通い、彼は彼女を憎からず思っている。最初は彼の視点から。政府寄りの彼女の家族とは親密にできない状況、でも彼女を守ろうとする彼。政府よりの人間への発砲事件があり、彼女は学校を離れことになる。何も言えないままの別れ。今度は同じ時間帯が彼女の視点から描かれる。彼も彼女も主体的に内戦にかかわっている訳ではなく、親やグループがそうであるだけなのだが、目に見えない境界が常に意識されている。発砲事件の捜査が進展することもなく、彼女の一家は引っ越していく。彼女の視線から見た、彼の表情の、どうしようもない虚ろさは、彼が彼女を見送った表情以上に訴えるものがあった。
 
 彼に視点ではなかった、最後の場面が衝撃的だ。彼女の車が走り去った後、倉庫のような場所を警戒していた警察官たちが、ある集団に襲われて全員射殺される。この時期、内戦は、政府軍と警察官を標的にすることから、民間人攻撃へと憎しみの連鎖は拡大していった。牧歌的な風景の中での淡い思いは、子ども時代の記憶にしかとどめることがないのだ。アルジェリアの作品では、内戦を扱った作品に度々出合った。監督の問いは、未だに答えが得られていない、ということなのだろう。僕の想像力で、どこまで近づけたのかは分からないままだ。

写真(上) 父親の説得に頭を悩ますことになるシャハザド(「ルールを曲げる」より)
写真(下) 引っ越していく少女の目から見たダジャベーの表情(「過ぎ去った日」より)


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                        ホットワインの香りが漂うマルシェ

 日曜日、映画の合間を縫って、今年も、映画祭の通訳ボランティアとして知り合った日本人女性の3家族と食事をともにした。1つの家族には姉妹に新たに男の子も加わった。それぞれの家族が料理やケーキを持ち寄って、いろいろなことを話し合う。

 今年のナントは例年以上に寒いということだった。カトロザ前で20~30分並んで待たされると、夜はダウンコートを着ていても足踏みをしないと耐えられないぐらいだった。値上がりが相次いでいて、暖房をどうするかが話題になり、3家族とも何と、湯たんぽを愛用していることが分かった。実は僕も、昨年から愛用している。

 それだけではない。お湯を毎回捨てる家庭はなかった。何度か沸かし直して使うのだが、そのためだけのポットを用意していて、5~6回使うという、徹底ぶりには、ちょっぴり驚かされた。エコも徹底しなければならないのだ。見習わなければ!

 夕方、映画に戻る前にパレス・ロワイヤルのマルシェをのぞいてみた。例年と変わらぬ店構えだが、扱う品物には目新しいものも。電飾は丸い円形からダイナミックな光の束が連続して飛び出している形で、「ここ数年では一番」との声も出ていた。ホットワインの鼻を強烈に刺激する香りの誘惑を振り切って、カトロザに向かった。

2013nantes_p_04_04.jpg                        ダイナミックな今年の電飾

2013filmex_p_03_01.jpg Q:フィルメックスは今年で14回目を迎えます。今年はTIFFに大変革があり、映画祭を続けることについて考えさせられました。そこで今回は特に、映画祭を続けていく意義や情熱といった根本的なものをうかがいたいんですが。

 林加奈子:フィルメックスの一番いいところは、ここにいる岡崎匡さんなど、スタッフを含めて同じ人がやっているところです。なので、映画祭のヴィジョンが動いてない。私たちは一番最初に"新しい流れを提案します"というモットーを掲げました。この一言に、いろんなことが集約されています。映画祭というのが何のためにあるのか、何を目指しているのかということです。ここ数年は、それに"映画の未来へ"というのをプラスアルファとして打ち出しています。"映画の未来へ"というのは文字通り、若手のコンペティションを映画祭の核にして、本当に有名でなくても、これからの映画を切り開いていく人たち、まだ誰にも支援されていない人たちを私たちがサポートしていく、いきたいということです。もう少し発展的に言えば、タレント・キャンパス・トーキョーで、これからの若手の人たちに、少し上のお兄さんお姉さん世代がやっていることを見てもらう。なので、マスター・クラスは巨匠たちにレクチャーしてもらうんですが、逆にタレント・キャンパスはコンペティションに出ている監督にレクチャーしてもらうという企画もあるんです。

 Q:"新しい流れ"といっても14年前と今とでは変わってきていると思いますが、映画祭のあり方が変わってきていると思いますか?

 林:変わっていることと変わっていないことと、おそらく両方あると思うんです。まず、観客を含めて映画界全体が変わってきている。たとえば80年代だったら、これは去年も話したことですが、ミニシアターで映画を見ることがおしゃれだったり、『去年マリエンバートで』など難解な映画でも、何だかわからないけど面白いという風潮があった。

 Q:フィルメックスが出来た2000年は、映画業界的にはどんな年でした?

 岡崎匡:アジア映画は盛り上がっていたけど、韓流が始まる前ですね。ヨン様、冬ソナは2001、2年くらいです。

 林:テレビ局が映画に進出し、物量作戦で映画を公開していた頃です。私が川喜多映画財団にいた90年代の終わりは是枝和裕さんや『おかえり』の篠崎誠さんが出て来た頃で、配給会社の国際部が動かなくなっていて、柳町光男監督や大島渚監督の作品は川喜多和子さん(フランス映画社副社長、川喜多映画財団代表、故人)が外国配給をやってくださっていたけど、もっと若手の人たちが"劇場公開には結びつかないかもしれないが、とりあえず長編1本を"というとき、まず海外の国際映画祭で認めてもらおうという、インディペンデントが動き始めたときでした。黒沢清さんが『地獄の警備員』を作っている頃で、伊丹十三さんがご健在の頃です。

 Q:隔世の感ですね。では14年後の今という時代を俯瞰すると? フィルメックスが紹介したアピチャッポン・ウィーラセタクンもキム・ギドクも巨匠になりましたが。

 林:日本も国際映画祭的には是枝裕和さん、黒沢清さん、青山真二さん、三池崇史さん。もちろん北野さんは別格ですが。

 Q:その下がまだ出て来てない?

 林:もっと若い人たちが映画を作って出ていかなきゃいけないところですが、テレビ局製作・東宝配給の映画を中村義洋さんのような監督が注文を受けて作るようになっている。それはそれでいいことだとは思うんですが、実はあんまり出てきていない。そこはすごく忸怩たる思いがあります。私は大森立嗣さんの『さよなら渓谷』はとてもよかったと思います。うちでは『ぼっちゃん』を上映させてもらっていますが、大森さんも自分で作りたいものを作れるようになってきている。ただ一番の問題は、吉田喜重さんや大島渚さんみたいな、若い人のアンチで置きたい人が今いない。相米慎二さんや森田芳光さんは亡くなってしまったし、王道のようなものがなくなっている。若い人というのは"そうじゃないだろう"と、自分たちで王道を叩き壊して出てくるものだから、ある位置ががっちりしていてくれないと困る。

 Q:今年は中村登特集がありますし、フィルメックスはクラシックな映画も紹介していますね。ただ、アンチになるのは直接上の世代で、中村登はそのまた上の世代ですが。

 林:去年は木下惠介の特集をやりましたが、あれも私たちにとっては新しい流れを提案することの1つなんです。木下惠介といえば、それまではロカルノでもどこでも、『喜びも悲しみも幾年月』や『二十四の瞳』など、涙のたっぷり流れる、エモーショナルな、家族の愛を描いた大巨匠みたいな切り口でやっていて、『お嬢さん乾杯』などは外国では誰も見てなかった。でも『お嬢さん乾杯』や『死闘の伝説』を知らざるして木下惠介を語って欲しくない、というのがある。今回の中村登も同じで、王道からしたら、『紀ノ川』であり『古都』であり、それはそれでいいんですが、私たちが選ぶとしたら海外の人に新たに発見してもらえる、驚くような作品を選びたい。今年は時代順にいえば、『我が家は楽し』『土砂降り』『夜の片鱗』の3本に英語字幕を付けました。予算的には木下と変わってないんですけど、素材の問題があって1本作るのにすごくお金がかかっているんです。なので今回は3本ですが、これは一昨日ベルリン映画祭で上映することが決まりました。中村登特集としては世界初です。

 Q:木下の次の大発見シリーズですね。3本とはいえ、十分びっくりすると思いますよ。

 林:フィルメックスでも十分驚いてもらえると思っています。そういう意味で、巨匠のクラシックというのも私たちにとっては新しい流れで、提案だし、ぜひ見ていただきたいです。

 新しい流れといえば、配給でもヴィジョンがある方たちは作家を育てる意識があり、同じ作家の作品をコンスタントに配給し続けたりするけれど、メジャーで作ったり、インディペンデントで作ったりする人は、配給会社も毎回必ず同じとは限らないし、宣伝の仕方によっては、本当はこういう映画なんだけれども、こういう風に宣伝しますとか、ビジネスのためにすごく工夫をされる。公開するタイミングも、すぐ公開するものもあれば再来年になってしまうものもある。カンヌの映画だと、だいたい翌年公開になるものが多い。でも、映画祭は、新しい旬の映画をその年に、色眼鏡というか、お金をかけた宣伝プロモーションがない形で見てもらえるチャンスなんです。

 Q:配給側に何か変化はありますか?フィルメックスで映画を見て決めるという例もありますよね?

 林:カンヌやベルリンは、部長、社長クラスが現地に行ってなかったりすると、スルーになってしまうものもあるようです。うちは業界の若い人でパスを出してなくても切符を買って見に来てくれる人がいたりするんで、そういう若い配給会社の人がフィルメックスで観客の熱い反応を見て、これ絶対にやるべきだと社長を説得してくれて配給に結びついた、というものもあります。

 Q:大きな映画祭で配給が付かなかったものでフィルメックスが選ぶと、いい映画の確率が高い?

 林:大きな映画祭に出てればいい映画かというと、ピンと来ないものもあるし、出てなくてもすごいなと思うものはありますよ。映画祭の意義という意味では、カンヌやベルリンでやったからいいというのではなく、私たちが東京の視点で、日本人として、"この映画が今の映画の未来に向かっている映画です"、"これこそ新しい映画です"と思うものを選んでいるんです。

 Q:セレクターの問題もありますね。"なぜ、こんな映画を選んだんだろう"と思うときもあるし、"断れなかったんだな"と思うときもある。

 林:私たちは数をやってもしょうがないと思っているんで、厳選して限られた映画しかやらないんです。その代わり"お客さんは裏切りませんよ"と。カンヌとベルリンの一番の違いは、カンヌはマーケットを別としてオフィシャルな作品が限られているから、同じ1本の映画の話ができる。マーケットで見たとしても、あれはいい、これはダメだという話ができますが、ベルリンだと400本もやっているので映画の話ができない。プサン映画祭も300本ですから、"今年プサンはどう?"とか、"今年はすごい"、"あんまりよくない"と言っても印象でしかなく、何をもって良い悪いと言っているのか噛み合わなくなっちゃっている。それに、規模を大きくすると"これはどうかな?"と思うものも、やらざるをえなくなるし、どうしても妥協が入ってくると思う。でも、フィルメックスは、この国に流れがありそうだといっても、見に行ってダメだとしたらやらない。期待して見に行って、ダメだったらやらないという選択肢は勇気がいるけど、それは大事なことだと思います。本当にどうしようと悩むことって、いっぱいある。尋常じゃないプレッシャーです。作る人たちも大変だと思うけど選ぶ方も大変で、これで決めちゃえば楽になると思う瞬間がある、魔が差しそうなときが。そこで正気を保つというのは私にとっては毎年すごく大事なことで、それは特に日本映画の場合ですが、早く決めないとどこかにとられちゃうとか、本当に苦しい時期があるんです。だいたい8月終わりから9月の初め頃ですが、この映画をお客さまに届ける必要があるのか、私たちがずっと応援しつづける意味があるのか、本当に新しい流れの映画なのか、それを常に考えないといけない。ちょっと話が脱線しますが、グレゴールさん(ウルリッヒ・グレゴール氏、ベルリン映画祭フォーラム部門の前ディレクターで現アドバイザー)は自宅のキッチンにフォーラムのその年のセレクションを次の年まで1年間貼り続けているんです。次の年の初日まで。選んだ映画に対しての責任と、これを選んだために選べなかった映画の責任を考えながら、ずっと1年間過ごす。

 Q:まさに忍ですね。私にはとても無理(笑)。

 林:私たちは見ているだけだから、それが作った人に対しての、選んだことの自負もあるけど責任なんだろうなと。

 Q:その忍の一字で毎年セレクションしてきて、林さんご自身は変わってないと思いますが、映画祭の側から見て、応募してくる側、作られる映画が変わったなという印象はありますか?

 林:私はフィルメックスの前に川喜多映画財団で映画祭のディレクターをサポートする立場にいたので、フィルメックスの14年だけの問題じゃないと思うんですが、映画祭に選ばれやすいというか、選ばれそうなタイプの映画を狙って作ってる人たちが絶対にいるんです。こういう映画を作ると映画祭の人が喜んで選ぶだろう、これが好かれそうな感じだよね、みたいな。技術的にもそうだし、スタイルもそうだし、そういう映画が結構あって、そこに絶対に引っかかってなるものかという意識は逆にあります。真似ることは悪いことじゃないんです。他の人のいい部分を取り込むことは悪いことじゃないけど、それに加えてプラスアルファがないと。すごく臭わせるというか、雰囲気がいい感じで、"俺ってうまいでしょ"みたいな映画はすごくある。それは新人の監督のみならず、2本目3本目でも、はまっている人たちというのは結構いる。私は作家主義というより作品主義というのを貫きたいと思っています。逆に言うと、映画祭がサポートすべきなのはそういう映画じゃない。私たちはもっと原石が欲しいんです。上手くなくていいから、ごつごつしているものが。もちろんエンターテインメントで全然問題ないんですが、媚びているような感じのものは他のところでどうぞ、ということです。

 Q:フィルメックスのセレクションに関しては全面的に信頼しているし、ぶれてないということにも確信があるんですが、今年TIFFが<アジアの未来>という似た部門を作りましたよね。

 林:でも、今年はまったくコンフリクトがなかった。もっと危機感というか、エクサイティングなことがあるのかなと思ったら、なかったですね。

 Q:プサンの<アジアの窓>とTIFFの<アジアの未来>とフィルメックスという、同じようなアジア映画のコンペティションが10月上旬から11月にかけて連なるわけですから、外から見ていると同じようなものが並ぶなという感じがするし、応募する側も考えるのではないでしょうか。
 
 林:それぐらいアジア映画に活気があって、いっぱいいい映画があれば問題ないんですけど。ただ、うちはプサンとは、ものすごく密に連絡はとっているんです。実は2回目のときに審査員長の侯孝賢がかぶったんで、それで懲りて、すごく密に連絡をとっている。プサンからは日本人の審査員の相談を受けるし、私たちも韓国の人に審査員をお願いするときは相談しています。今年、TIFFのコンペで審査員をやったクリスチャン・ジュンヌやムン・ソリ、<アジアの未来>のジェイコブ・ウォンも、みんなフィルメックスで審査員をした人たちばかりでした。だから、私たちが新しい流れを提案しますといってやってきたことが、ちゃんと他の映画祭も認めて、彼らに審査員を依頼していることってすごく嬉しいというか、新しい流れが定着して、当たり前の流れになってきているんだな、と思いましたね。

 Q:だから、フィルメックスはその先を行かなきゃいけない?

 林:その通りです。川喜多和子さんと話したことですが、最初はユニジャパンもフィルムセンターもなかった。だから、川喜多財団では組織ができないことをやってきた。フィルムセンターができ、ユニジャパンができたら、今度は彼らがまだできないことをやる。さらに新しいことをやらなきゃいけない。新しい流れって常にそういうことだと思うんです。プサン映画祭でも、最初の頃はまだ日本映画は解禁されていなかったから、各社に話に行っても"公開できないんだから映画祭に出してもしょうがない"みたいな、そこからのスタートでした。『ゆきゆきて、神軍』などは財団で海外の映画祭に出品するサポートをしたんです。新しいこととは、そういうことじゃないでしょうか。海外からのアテンションもそうだし、日本のお客様もそうだし、外から必要とされること。加えて、これがこれからのヴィジョンであり、新しい映画であり、これが驚きだっていうプログラムをちゃんと見せていくこと。それが映画祭の一番の使命じゃないでしょうか。
(11月11日、赤坂のフィルメックス事務局にて)

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