新「シネマに包まれて」

字幕翻訳家で映画評論家の齋藤敦子さんのブログ。国内外の国際映画祭の報告を中心にシネマの面白さをつづっています。2008年以来、河北新報のウェブに連載してきた記事をすべて移し、新しい装いでスタートさせました。

カテゴリ: ベルリン国際映画祭

2020berlin_p_05_01_web 229日夜、授賞式が行われ、以下のような賞が発表になりました。

 

 金熊賞の『ここに悪はない』は死刑に関わる人間模様を4つの物語で描いたもの。モハマド・ラズロフの映画は、カンヌのある視点で上映された『原稿は燃えない』しか見ていないので、作風を云々できないのですが、今度の映画は普通に面白かった、という言い方は変ですが、商業映画と言ってもいいくらい、面白く出来ていました。普段は夫であり父である中年男が実は死刑執行人だったり、兵役で刑務所に配属されたら処刑の執行役が回ってきたり。最初はユーモラスに始まり、人生を狂わせた悲劇的な物語で終わります。

 

 ラズロフは2010年に無許可撮影で突然逮捕されて以来、イランの革命裁判所から何度も活動を制限され、2017年にパスポートを没収されて以降は自宅軟禁状態にあります。今回の記者会見にはもちろん欠席、自宅にいる彼とスカイプでのインタビューが公開されました。また授賞式では、映画に出演している娘のバラン・ラズロフさんが代理で賞を受けました。

 

 エリザ・ヒットマンの『ネヴァー、レアリー、サムタイムス、オールウェイズ』はペンシルヴェニアの町に住んでいる17歳の娘が、望まない妊娠をさせられ、中絶するために女友達とニューヨークへ行く旅を描いたもの。女性監督らしい繊細な描写とドキュメンタリータッチの映像が特徴。ヒットマンが取り上げた性的虐待と妊娠中絶というテーマは、奇しくも初日の記者会見でジェレミー・アイアンズが謝罪訂正した、今の社会の大きな問題でもあります。

 

 昨年まではベルリンという政治的な土地柄から、意識的に政治的社会的なテーマの映画が多く選ばれたコンペですが、今年はケリー・ライカート、フィリップ・ガレル、ホン・サンスといったインディーズ系のアート映画が並びました。これが新アーティスティック・ディレクターの目指す方向なのかは、来年以降のラインアップを見ないと断言できないと思います。が、昨年に比べて、思いがけない新人の発見が減った感じがするのは確かです。

 

 フォーラムとパノラマという組織の異なる2つの部門をそのまま残し、チャトリアンの人脈でエンカウンターズという新部門を創設し、ここで新味を出すという戦略のようですが、結果として先行2部門との作品の取り合いにならないかも危惧するところ。各部門のディレクターのテイストも変化してきており、日本映画にとっては、かつてのように選ばれやすい映画祭ではなくなってきているようです。

 

 突然閉館して驚かされたソニーセンターのシネスターですが、大手が買収に乗りだし、来年は映画館として復活するかもしれないという噂も耳にしました。さて、来年はどんな映画祭になるのか、日本映画はどれくらい選ばれるのか、期待して待ちたいと思います。

 

◎受賞結果

【コンペティション部門】

金熊賞:『ここに悪はない』監督モハマド・ラズロフ

銀熊賞

 審査員大賞:『ネヴァー、レアリー、サムタイムス、オールウェイズ』

       監督エリザ・ヒットマン

 監督賞:ホン・サンス『逃げた女』(韓国)

 女優賞:パウラ・ビア『ウンディーネ』監督クリスティアン・ペッツォルト

 男優賞:エリオ・ジェルマノ『隠されて』監督ジョルジオ・ディリッティ

 脚本賞:ファビオ&ダミアノ・ディンノチェンツォ兄弟『バッド・テイルズ』

 芸術貢献賞:ユルゲン・ユルゲス 『DAU、ナターシャ』の撮影に対して

 70回記念賞:『ディリート・ヒストリー』

       監督ブノワ・デレピン&ギュスタヴ・ケルヴェルン

 

【エンカウンターズ部門】

作品賞:『仕事と日(塩尻たよこと塩谷の谷間で)』

    監督C・W・ウィンター&アンダース・エドストローム

審査員特別賞:『生誕の厄災』監督サンドラ・ウォルナー

監督賞:クリスティ・プイウ『マランクラフ』(ルーマニア)

 スペシャル・メンション:マティアス・ピニェイロ『イサベラ』

 

エキュメニック賞

コンペティション部門:『そこに悪はない』監督モハマッド・ラスロフ

パノラマ部門:『父』監督スルジャン・ゴルボヴィッチ

フォーラム部門:『精神0』監督 想田和弘

 

【ジェネレーション14プラス部門】

グランプリ:『私の名はバグダッド』監督カル・アルベス・ド・ソウザ

 スペシャル・メンション:『風の電話』監督 諏訪敦彦

 

国際映画批評家連盟(FIPRESCI)賞

コンペティション部門:『ウンディーネ』監督クリスティアン・ペッツォルト

パノラマ部門:『モグル・モウグリ』バッサム・タリク

フォーラム部門:『20世紀』マチュー・ランキン

 

国際アートシアター連盟(CICAE)賞

パノラマ部門:『ディガー』監督ゲオルギス・グリゴラキス

フォーラム部門:『平静』監督ソン・ファン

 

【写真】国際映画批評家連盟賞を受賞した『ウンディーネ』のクリスティアン・ペッツォルト監督(左端)と審査員の面々。

2020berlin_p_04_01_web――タイトルの「精神0」ですが、どのように決めたんですか。

想田:『Zero(ゼロ)』という英語のタイトルが先に決まったんです。日本語のタイトルも『Zero』でと思ったんですが、配給の東風と話していて、『精神』との関連があった方がいいということになり、誰かが『精神0』は?と言って、それがいいと。

 

●解釈自在な「0」

――『精神』の続編といえば普通は2となるはずなのに、0だと元に戻ってしまいますよね。なぜ『0』なんですか?

想田:映画の最初に0に身を置くという話が出てきます。山本昌知先生が患者さんのためにしている話ですけど、おそらく山本先生がご自分のシチュエーションについてマントラ(仏教用語の真言)のように言い聞かせておられることなんじゃないかと思ったことと、0というのはプラスマイナス0で、イメージが膨らみやすいし、いろんな解釈ができる。そこで、まずは英語のタイトルを『Zero』としました。で、『精神2』というと、また精神病を抱える患者さんの話が主なテーマみたいに思われるかもしれませんが、そうではないですし、『0』をそのまま付けたら面白いかなと。

 

――私は、歳をとって元に戻るみたいな意味かなと思ったんですが。

想田:そういう解釈も可能ですよね。

 

――最初はどのシーンから撮ったんですか?

想田:講演会です。『精神』に出ておられる患者さんから、山本先生が引退するんだよ、今度講演会があるのでこの機会に撮ったらどうですかと、お誘いがあったんです。僕と規与子(本作のプロデューサーでパートナーの柏木規与子さん)はずっと山本先生のドキュメンタリーをいつか撮りたいね、と言っていたんで、今撮らないでどうする、今しかないということで撮りに行ったんです。その後、診療所と交渉して診察の様子も撮れるように許可をいただいて、という感じです。

 

●成り行きのアクエリアス

――山本先生のお宅でお寿司をご馳走になる場面がありますが、お茶が出なくてアクエリアスになったり、お椀を探したり、割り箸を探したり。日本酒の瓶の栓がなかなか開けられないところでは、いつ想田さんが手を貸してあげるのかハラハラしました。山本先生が帰ろうとする想田さんを引き留めてからのシーンですが、あそこは成り行きなんですか?

想田:成り行きです。少なくとも1日は山本先生のお家にお邪魔して、お二人がどんな生活を送っておられるのかを撮りたいなと思ってたんです。山本先生がこの日だったらいいよということで、カメラを回しながら(家に)入っていったら、じゃあ、お茶でも、ということになって。でも、お茶の準備が出来ずにアクエリアスになってしまった(笑)。

 

――山本先生が日本酒を出してきたときに、「車だから」といったん断るのに、まあいいかとなって乾杯するところも、とても面白かったです。この後、どうするんだろうとは思ったんですが。

想田:運転代行を頼みました(笑)。僕がいなかったら起きえないシーンばっかりです。

 

●対象に迫るドキュメンタリー

――遠来のお客さんに夕ご飯を食べていって欲しいという山本先生の気持ち、いつも奥様と二人だけなのに、話し相手が出来て嬉しいという気持ちが表れていて、なるほど観察映画って凄いなと思いました。

想田:ありがとうございます(笑)

 

――普通のドキュメンタリーだと対象との間に距離を置くのに、どんどん入っていっちゃう。

想田:『精神』を撮ったときにも、公開するときにも、映画に出てくださった患者さんとの関係にあれこれ難しい問題が生じたわけですが、そのときに山本先生が患者さんとの間に立ってサポートしてくださり、ものすごくお世話になった。以来、山本先生ご夫妻とはとても親密にさせていただいています。実は規与子の両親がデイケアセンターをやっていて、そこに芳子さんが通っているんです。例えば、朝、山本先生と芳子さんが診療所に向かうときにお迎えに来る人がいますが、あれはデイケアセンターの職員で、芳子さんを診療所に送りに来ていたのが規与子のお父さんです。そのくらい家族ぐるみでお付き合いがある。僕はカメラを持って撮影に来てるんだけど、山本先生としては久々に一緒に飲めるみたいな感じだったのでしょう。

 

――山本先生としても、一人で飲んでもつまらないし、ちょうどいいところに酒の肴が来た、みたいな(笑)。

想田:ドキュメンタリーの撮影は対象を見るという行為ですが、必ず向こうからも見られている。この双方向のダイナミックな関係が、僕は撮るものと撮られるものの面白い関係だと思っています。自然に出てきた関係をそのままそっと映像として記録していく。

 

●過去にアクセス

――想田さんの人間性が観察映画の基調になっている。それを強く感じました。それから一番驚いたのは奥様の顔がすごく変わっていたことです。中に『精神』のインサートがありますが、その頃の奥様はすごくストレスを感じていたように見えました。もちろん、しっかりとご家庭を守ってきた方ですが、『精神0』のときはストレスから解放されて、菩薩のような、いいお顔になっていた。そこにすごく感動しました。インサートって、前にもやっていましたっけ?

想田:初めてです。

 

――あのインサートのおかげで、『精神』と『精神0』の間の時間の流れ、深みが感じられましたね。

想田:ある意味、必要にかられてなんです。撮影していくうちに、山本先生だけじゃなくて、芳子さんが重要だ。これは山本先生だけじゃなくて、芳子さんの映画でもある。もしかしたら芳子さんが主人公かもしれない、という感じがしてきた。最初のラフカット(粗編集)を見たときに、規与子が「芳子さんのシーンが足りない、芳子さんのシーンが足りない」と言うんです。僕もそう思って、なぜ足りないのかと思ったら、僕らは芳子さんが言葉でコミュニケーションできていた時代を知っているけど、今はそれが難しくなっている。今の芳子さんの様子を写させてもらうだけだと、僕らの知ってる芳子さんを見せることが出来ない。そのときに思い出したのが、『精神』のときに映画には使わなかったけど、芳子さんを撮ったフッテージがあって、探してみたら10分くらいあったんです。芳子さんは患者さんのために毎週木曜日の休診日に家庭料理を作って振舞っていたんですが、そのときにカメラを回していた。これは使えると思って入れたんです。それによって芳子さんの過去にアクセスできるようになったと思います。

 

――お友達の話も面白かったですね。

想田:あれは実は山本先生からの提案だったんです。「映画に必要なシーンはだいたい撮れたと思います」と先生に報告して撮影を終えようとしたら、「もう1軒、芳子さんの親友の家にお邪魔せん?」とおっしゃるんで、「それはいいですね」と、一緒に行かせてもらったんです。撮ってみたら非常に重要なシーンになりました。

 

●芳子さんにフェアな描写

――奥様の若い頃の姿が彷彿としてきましたね。株をやってたと聞いて、山本先生は経済面が疎そうだから、いざというときのために株を持ってらしたのかな、そこまで心配なさってたのかなと思いました(笑)。

想田:山本先生は患者さんのために尽くす、ものすごく尊敬されている医師であるわけですけど、それは先生一人ではできなかった。一番大変な部分を芳子さんが担っていた。そのことがようやく出てきて、ようやく少し芳子さんにフェアな描写が可能になった。これまでは山本先生が必ず表に出てきて、輝く存在で、芳子さんは影のように隠れていたわけですけど、実は芳子さんという存在がなければ山本先生も山本先生の仕事が出来なかった。ある意味で、日本の男尊女卑というか、男がいつもメインで、女が影で犠牲になってみたいな構造、特にあのくらいの世代ではそういう風になりがちです。それがきちっとacknowledge(承認する、感謝する)されないままで終わらずに、表に出にくい仕事をやったのは芳子さんだ、芳子さんがいて初めて山本先生のお仕事も可能だったんだということを、山本先生含め皆で確かめあうことができて僕はすごく嬉しかったんです。

 

――それでラストのお墓参りで、手を繋いで歩くシーンになる。

想田:撮りながら、これが最後のシーンになるなと思いました。

 

――これから二人はどうなるんだろうと思うと、ちょっとせつないシーンでもありますね。山本先生もお歳ですし。

想田:はい。でも、誰もが通る道です。

                                                                                    224日、ベルリンにて)

 

『精神0』はカトリックとプロテスタントの審査員が選ぶエキュメニカル審査員賞を受賞。

5月上旬よりシアター・イメージフォーラム他、全国順次ロードショー公開されます。

 

【写真】想田和弘監督とプロデューサーの柏木規与子さん。(©Asian Shadows

 2020berlin03_p_01_webコンペのラインアップを見て、私が期待していた作品はケリー・ライカートの『ファースト・カウ(最初の雌牛)』とホン・サンスの『走った女』でした。

 

 『ファースト・カウ』は、開拓地に初めてもたらされた雌牛をめぐる物語で、ジャンル的には西部劇ですが、それはケリー・ライカートのこと、自然と人間の共存、人種差別、資本主義経済といった現代的なテーマが組み込まれていました。とはいえ、鳥に巣、蜘蛛に巣、人に友情というウィリアム・ブレイクの言葉を冒頭に掲げたライカートによれば、この映画はあくまでも友情の物語だそう。オレゴンの森の中で金鉱堀り達のコックだった青年と逃亡中の中国移民が出会い、雌牛のミルクを盗んでケーキを作って大儲けするがというストーリーを独特のユーモアを込めて描いています。ジム・ジャームッシュの『デッドマン』に近い、オフビートな西部劇です。

 

2020berlin03_p_02_web ホン・サンスの『走った女』は、夫が出張中の妻が女友達を訪ねて交わす会話を通して、主人公が表に出さない、心の揺れを描いたもの。ホン・サンスらしい長回しで、俳優たちのちょっとした表情の変化を映像にすくいとっていくのが見事でした。主演はホン・サンスのミューズ(女神)キム・ミニです。

 

 期待以上に素晴らしかった映画は、蔡明亮監督の『日々』でした。蔡監督は『郊遊<ピクニック>』以降、商業映画から離れて、最近はインスタレーションなど、ビジュアルアートの方向に転じていました。『日々』は蔡監督の長年のパートナーである李康生の毎日をドキュメントしたもの。元々の企画は李康生が4年前に痛めた首の治療をドキュメンタリーとして撮るというものだったそう。その後、バンコックでラオスから来た青年に出会い、彼のパートを合体させて、今のような形になったとのことです。見どころは1カット1カット、日常生活から切り取られた時間をじっと見つめる蔡監督の視線の強さ。『日々』を見ながら、『愛情萬歳』がナント三大陸映画祭で金の気2020berlin03_p_03_web球賞を獲ったとき、蔡監督に、ラストの長回しが素晴らしかったと言ったら、「もっと長くてもよかった」と返されたことを思い出していました。あれから四半世紀、蔡監督は視線の力をこれほどまでに研ぎ澄ましてきたのでした。

 

【写真(上)】『ファースト・カウ』記者会見、ケリー・ライカート監督

【写真(中)】『走った女』記者会見、ホン・サンス監督(右)と主演のキム・ミニさん

【写真(下)】『日々』記者会見、蔡明亮監督(左)と主演の李康生さん

 

2020berlin_p_02_01_web 今年の日本映画はコンペにはなく、フォーラムで想田和弘監督の『精神0』、フォーラム・エクスパンデッド部門で田中功起監督の『抽象・家族』、フォーラム50で大島渚監督の『儀式』、ジェネレーション14プラス部門で諏訪敦彦監督の『風の電話』、クラシックで今井正監督の『武士道残酷物語』などが上映されます。

 

 23日(日曜)の夜、『風の電話』の上映が行われ、上映後に諏訪敦彦監督、主演のモトーラ世理奈さん、渡辺真起子さんが登壇し、観客とのティーチインが行われました。映画は1月から日本公開されているので、見た方も多いと思いますが、2011年の震災で家と家族を失い、広島に住む叔母(渡辺真起子)に引き取られたハル(モトーラ世理奈)が、震災後8年経っても苦しめられる喪失感に向き合うため、故郷の大槌町を目指す旅を描いたもの。風の電話とは、亡くなった人と話が出来ると評判になって多くの人が訪れるようになった、大槌町に実在する電話のこと。ヨーロッパは地震や津波という自然災害とは無縁ですが、家族を失う苦しみ、喪失感はどの国の人にも共通。映画は大きな共感を持って受け入れられたようでした。

2020berlin_p_02_02_web 上映会場ウラニアの850席がほぼ満席、上映後も日曜の遅い時間ながら、ほとんどの観客が残って、監督や出演者の話に聞き入っていました。特にモトーラさんがゆっくり一言一言考えながらする答えには拍手が起こるほどで、モトーラさん演じるハルが観客の心をしっかり掴んだようでした。ハルが天国にいる家族に電話する、ラストの10分あまりの長い場面は、台詞もすべてモトーラさんの即興だったと聞き、会場から驚きの声があがっていました。

 

【写真(上)】会場からの質問に答えるモトーラ世理奈さん(中央)、諏訪敦彦監督と渡辺真起子さん。 

【写真(下)】フォトコールで、諏訪敦彦監督、モトーラ世理奈さん、渡辺真起子さん

2020berlin_p_01_01_web 70回目の記念の年を迎えたベルリン国際映画祭が220日に開幕しました。日本は新型コロナウィルスで大変なことになってますが、ドイツでは前日の19日、フランクフルト郊外のハーナウという町で、シーシャ(水煙草)を吸わせるバーがテロリストに襲われ、9人のトルコ系の移民、主としてクルド人が殺されるという事件が起きました。メルケル首相は直ちに地方出張を取りやめ、「人種差別は毒である」という声明を発表。ベルリン映画祭でも、オープニングセレモニーの前に、犠牲者と家族に1分間の黙祷が捧げられました。

 

2020berlin_p_01_02_web 開幕の直前に、映画祭の創設者アルフレッド・バウアーのナチス時代の活動歴が明らかになる事件があり、映画祭はこれに直ちに反応。彼の名前を冠した銀熊賞を取りやめ、代わりに70回記念銀熊賞とすると発表しました。悲惨なホロコーストを生んだ過去の過ちは、ここでは決して忘れてはならない、生きた歴史であるのです。

 

 オープニング当日の午前中に、審査員の記者会見が行われましたが、冒頭、今年の審査員長ジェレミー・アイアンズから、性的虐待、同性婚、妊娠中絶に関する、自分の過去の発言について謝罪し、訂正する一幕がありました。これはアイアンズが審査員長に決まってから、メディアで取り上げられ問題になっていたことへの対応です。

 

 公文書を破棄して過去をなかったことにする、謝ったのか謝らないのか分からないようなやり方で謝ったことにして反省しない。昨今の日本の政治家によく見られる曖昧な態度は、ここでは決して許されないのです。

 

2020berlin_p_01_03_web 今年はロカルノ映画祭のアーティスティック・ディレクターだったカルロ・チャトリアンが新アーティスティック・ディレクターに就任した1年目。新機軸は<エンカウンターズ>という部門ですが、既存の<パノラマ>、<フォーラム>という2つの部門とどうバランスをとっていくのかは、ラインアップを見ても、はっきりしません。また、昨年まで副会場に使われていたソニーセンターのシネスターが閉館したため、<フォーラム>と<パノラマ>がツォー駅周辺とアレキサンダー広場の映画館に追い出される形になりました。ソニーセンターが出来てから、ポツダム広場に集中してきた映画祭の地図が再び変わろうとしています。見る作品も増え、なんだか慌ただしい映画祭になってきました。

 

【写真(上)】審査員のベレニス・ベジョと審査員長のジェレミー・アイアンズ

【写真(中】記者会見の前に、ジェレミー・アイアンズから発表があると司会者(右端)が告げたところ。

【写真(下)】昨年末に閉館したソニーセンターのシネスター。

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