2018tokyo_eigasai_p_0101 ●恋愛映画新事情

―まず、今年の傾向や、出品作について。 

石坂:“映画とは、すべて恋愛映画である”といってもいいくらいですが、今は恋愛といっても男と女とは限らない。なので、男と男、女と女の恋愛も今年選んだ8本の中に全部入ってます。

 

―“生産性のない”恋愛ですね(笑)

石坂:その切り口で言うと、ベトナム映画の『ソン・ランの響き』は、私はLGBT色を感じずに見ました。

 

―私は感じて見ました。

石坂:『ソン・ランの響き』を人に説明するときに『覇王別姫』マイナスLGBTと説明していたんです。 

―マイナスしてはダメですよ。『覇王別姫』のときは京劇の女形のレスリー・チャンの片思いだったけど、今回は両思いですから。

石坂:これを選んだ後、トラン・アン・ユンとファン・ダン・ジーという、今、国際映画祭にベトナム出身でおなじみの2人から、よく選んだねと誉められました。先週、トラン・アン・ユンが来日していて、アンスティテュ・フランセでイベントがあり、MCをやったんですが、ちょうどこの映画の話になって、今、ベトナムでは大量のエンタメ映画と、ほんの少しのアート系映画しかなく、この映画がちょうどその橋渡しのようになっていると。カイルオンという伝統芸能が寂れていて、そこから話が始まります。

 男と男の恋愛でいうと、香港の『トレイシー』ですね。これは奥さんと子供がいて普通の暮らしをしている男のもとに、高校時代の友人が死んだという電話があって回想に入るんだけど、かつて好きだった男の同性婚の相手が遺灰を持って香港に帰ってきて、そこでまた火がついてしまう。

 

―香港では同性婚が認められているんですか? 

石坂:台湾では認められていますが、香港は厳しいと思います。主人公を演じるフィリップ・キョンは強面のハードボイルドな役の多い人気俳優で、絶対に女装が似合いそうもない人なんだけど、この人が最後に全部捨てて女として生きていく。いろんなタイプの同性愛者がいて、いろんな性がある。その一つですね。奥さんの役をカラ・ワイが演じています。昔、カンフー映画に出ていた大女優です。

 

―カンフーといえば、中国の『武術の孤児』という作品がありますが、これは学校の先生ものですか? 

石坂:そうです。夏目漱石の<坊ちゃん>みたいな設定で、『トレイシー』とは、まったく対称的な映画です。

 

―こっちの方は健全な感じですね。 

石坂:監督は北京電影学院を出たばかり。言ってみれば、中央のエリート校の出身で、扱っている題材も中国武術で、武術の学校に体育会系ではない国語の先生が赴任して、いろいろドタバタあるという、しごく真っ当な映画です。カンフー映画への愛に満ちていて、保健室にはマドンナがいて、いじめられっ子が出てきて、という。

 

―“生産性”の高い映画ですね、子供を育てるから(笑)中国はもう1本ありますね。 

2018tokyo_eigasai_p_0102●新疆ウイグル自治区から『はじめての別れ』

石坂:『はじめての別れ』は『ソン・ランの響き』と並ぶ、いち押し映画で、初登場の新疆ウイグル自治区の映画です。中国には内モンゴル、チベット、新疆ウイグルと自治区が3つあり、前の2つは、映画祭にぼつぼつ出てきていますが、ウイグル映画は相当珍しいです。

 

―新疆ウイグルといえば中国政府とウイグル族が対立しているというニュースを聞きました。 

石坂:映画のルックは、ほとんどキアロスタミで、たぶん言いたいことはいっぱいあるだろうけれど、それを全部子供の世界に落とし込んで描いています。映画はウイグル語を話しているんですが、学校ではウイグル語の授業と中国語の授業があり、中国語のできない子は特訓しなくちゃいけない。けれど、それ以上は何も語らず、観客に感じてください、みたいな。国籍としては中国映画ですけど、風景も出てくる人もすべて中央アジアです。

 

―台湾は?
石坂:これはマイノリティからの発言という意味で、先住民の子供達の話です。去年の台湾の『アリフ ザ・プリン(セ)ス』も先住民ものでしたが、LGBTのテーマも入っていました。

 

―今年のテーマの一つですね。

石坂:ジェンダー、自治区、マイノリティ、伝統芸能です。別に意図して選んだわけではないですが。

 

●デジタル化でマイノリティに発言のチャンス

―若い作家がそういうテーマの方に意識が向いているということでしょうね。

石坂:そう思います。特にデジタルで低予算で撮れるようになって、マイノリティの人たちがどんどん発言してきていることをひしひしと感じます。

 

―東南アジアの方に移ると、『母との距離』がフィリピンですね。

石坂:こっちは女と女の恋愛が絡んでくる。ネタバレになるかもしれませんが、お母さんが家を出ていってしまって、お父さんが連れ戻すところから始まるんです。半分くらい行くと、5年前に出ていったのが、女と駆け落ちしたからだということが分かってくる。

 

―『トレイシー』と逆なんですね。

石坂:2年前にコンペで受賞した『ダイ・ビューティフル』のチームの製作で、プロデューサーと監督が役割を入れ替え、プロデューサーが監督した作品です。

 

―フィリピンは歴史的にも映画人の層は厚いのではないかと思うんですが、その傾向は続いているんですか。

石坂:続いてますね。マルコス時代を振り返るという映画がすごく増えている。現政権のやってることはマルコス時代と似ているからと、マルコス時代を描いて現政権批判をやろうという意志を感じます。

 

―アジアでは政権が長くなると必ず権力集中のようなことを始めますね。

石坂:あからさまな独裁というのは減ってはいますが。

 

―そういう独裁はサウジに行った(笑) 商業的な映画は批判をせず、観客を楽しませる方へ向かい、強い不満や批判は下に溜まり、インディーズや独立系の映画の問題意識が強くなる?

石坂:そういう図式は感じますね。意図的に組み立てようというところまでではないけど、結果としてそうなってます。

 

―フィリピンはもともと作家の批判精神が強い伝統があるから安心していますが、中国はどうでしょう。今、中国はすごく二極化していて、インディーズ系の新人は撮れているのか不安に思っているんですが、そういう人たちの作品はTIFFまで届いてきているでしょうか?

石坂:インディーズといっていた人たちでも、少し予算が多くなって、刃の鋭さが感じられなくなっている人も何人かいるようです。インディーズの映画祭が潰されてから、発表のやり方が上映というよりも配信の方に移っているんじゃないでしょうか。それが国際的に広がるかどうかというのはまだ分かりませんが。

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