新「シネマに包まれて」

字幕翻訳家で映画評論家の齋藤敦子さんのブログ。国内外の国際映画祭の報告を中心にシネマの面白さをつづっています。2008年以来、河北新報のウェブに連載してきた記事をすべて移し、新しい装いでスタートさせました。

2017年02月

2017berlin_p_06_01.jpg 2月18日の夜、授賞式が行われ、以下のような受賞結果が発表になりました。個人的には金熊賞を期待していたアキ・カウリスマキが監督賞に終わり、ちょっとがっかりです。

 金熊賞の『肉体と魂』は前のレポートでも触れたように、面白い映画で好きでしたが、まさかここまで大きな賞を獲るとは正直思いませんでした。

 審査員大賞のアラン・ゴミスは、セネガルとギニアビサウにルーツを持つフランス人で、今回はコンゴの首都キンシャサを舞台に、交通事故に遭った息子の手術費を捻出しようとする歌手フェリシテの姿を描いたもの。フェリシテを演じたヴェロ・チャンダ・ベヤの木彫りのお面のような美しい顔と歌の迫力に魅了されました。

2017berlin_p_06_02.jpg ホン・サンスの『夜、浜辺で一人』は、妻のある映画監督との不倫に疲れた女優が、ハンブルグに傷心旅行に行く前半と、韓国に戻って、ロケハンに来た映画監督の一行と浜辺で遭遇する後半から成る作品で、いつものホン・サンスより、私的でメランコリーな感じがしました。

 『白夜』は、死んだ老父の遺品を片付けるために、疎遠だった息子を連れてノルウェイに行き、父子関係を立て直そうとする男を描いたもの。父子は安易な和解には至らないなど、劇的な要素を排した誠実な作りながら、その分面白みが少なかったので、受賞は予想外でした。主演のゲオルグ・フリードリヒはオーストリアの名優で、『ワイルド・マウス』というオーストリアのコンペ作品にも出演していました。

2017berlin_p_06_03.jpg その『ワイルド・マウス』は、リストラで新聞社をクビになった音楽欄担当記者が、クビにした上司に復讐するというコメディで、コメディアンのヨーゼフ・ハーダーが監督兼主演を務めています。ワイルド・マウス(野ネズミ)とは、プラタ-遊園地(『第三の男』の観覧車で有名なウィーンの遊園地)にある乗り物のことで、主人公が偶然出会った幼なじみの男に、この乗り物の権利を買う金を出してやるのです。

 実は、友人のベルリンの新聞記者もリストラにあったばかり。映画の中の、上司が言う「君の給料で若手が3人雇える」という台詞や、主人公が「僕がクビになると、愛読者が黙っていない」と言うと上司が「君の愛読者なんて、もう皆死んでるよ」と言い返す台詞に、いちいち共感していました。新聞記者が花形だったのはいつのことだったでしょう。思えば殺伐とした時代になったものです。

 さて、長い間ご愛読いただいた<シネマに包まれて>は、今回のベルリン映画祭レポートをもって終了することになりました。私にレポートを書く機会を与えてくださった河北新報社の故桂直之さん、毎回お世話になった元メディア局局長の佐藤和文さん、スタッフの皆さん、ここまで読んでくださった皆さんに感謝いたします。ありがとうございました。


【受賞結果】

●コンペティション部門
金熊賞:『肉体と魂』監督イルディゴ・エンエディ(ハンガリー)
審査員大賞:『フェリシテ』監督アラン・ゴミス(フランス)
アルフレッド・バウアー賞:アグニェシュカ・ホランド、カーシア・アダミック
      『足跡』監督アグニェシュカ・ホランド(ポーランド)
監督賞:アキ・カウリスマキ
    『希望の裏側』(フィンランド)
女優賞:キム・ミニ
    『夜、浜辺で一人』監督ホン・サンス(韓国)
男優賞:ゲオルグ・フリードリヒ
    『白夜』監督トマス・アルスラン(ドイツ)
脚本賞:セバスチャン・レリオ、ゴンザロ・マザ
    『ファンタスティック・ウーマン』監督セバスチャン・レリオ(チリ)
芸術貢献賞:ダナ・ブネスク(編集)
    『アナ、マイ・ラブ』監督カリン・ペーター・ネッツァー(ルーマニア)


●国際批評家連盟賞
コンペティション部門:『肉体と魂』監督イルディゴ・エンエディ
パノラマ部門:『振り子』監督フリア・ムラ(ブラジル)
フォーラム部門:『愛より偉大な感情』監督マリー・ジルマヌス・サバ(イスラエル)

●テディ賞(LGBTをテーマにした映画に対する賞)
作品賞:『ファンタスティック・ウーマン』監督セバスチャン・レリオ
審査員特別賞『彼らが本気で編むときは、』監督荻上直子


 写真(上)は「夜、浜辺で一人」のホン・サンス監督と女優賞のキム・ミニ
 写真(中)は主会場ベルリナーレ・パラストのロビーに飾られた「ミスター・ロン」チーム
 写真(下)は映画館CinemaxXの入口

2017berlin_p_05_01.jpg 映画祭が終盤に入った2月16日に日本映画2本の上映があったので取材に行ってきました。

 パノラマ部門とジェネレーション部門の両方で上映された荻上直子監督の『彼らが本気で編むときは、』は、母ヒロミ(ミムラ)が恋人を追って失踪し、叔父の家に身を寄せることになった小学生の少女トモ(柿原りんか)が主人公。叔父マキオ(桐谷健太)にはトランスジェンダーの女性リンコ(生田斗真)という恋人がおり、3人で暮らし始めるうちに、家事にも子供の教育にも関心のない母親に対して、家事も編み物も何でも完璧にできる優しいリンコにトモは次第に打ち解けていき、リンコもトモを我が子のように愛するようになるが...、というストーリー。さすが『かもめ食堂』の荻上監督だけあって、リンコが作る色とりどりのキャラ弁や丁寧に撮られた日本の風景、リンコのしとやかな美しさがベルリンの観客に大いに受けていました。

 『彼らが本気で編むときは、』は全部門のLGBTをテーマにした作品を対象にしたテディ賞の審査員特別賞を受賞しました。日本公開は2月25日から。

2017berlin_p_05_02.jpg 石井裕也監督の『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』は、最果タヒの同名詩集の映画化。昼間は看護師、夜はガールズ・バーでバイトする美香(石橋静河)と、工事現場で日雇いをして暮らす慎二(池松壮亮)を通して、東京の街の生きにくさと閉塞感にあえぐ若者の姿を描いたもの。石井監督といえば日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した『舟を編む』や『ぼくたちの家族』を思い出しますが、本作は今までとはまったく違い、原作はあるとはいうものの、ストーリーは完全な石井監督のオリジナル。作風もアニメを取り入れたり、様々なスタイルを混交させた斬新なもので、石井監督自身、今までの自分を壊し、新しい映画作りを模索しているように思えました。ベルリンで見ていると、東京という街の特殊性やイライラ感が、東京で見る以上に際立って伝わってきて、それだけ時代を見事に捉えた映画なのだと思います。

 『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』は5月13日から新宿ピカデリーとユーロスペースで、5月27日から全国ロードショーされます。

 写真(上)は『彼らが本気で編むときは、』囲み取材の後で。右から荻上直子監督、柿原りんか、生田斗真、桐谷健太の各氏。

 写真(下)は、​『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』上映後のQ&Aの模様。石井裕也監督、石橋静河、池松壮亮の各氏。

2017berlin_p_04_01.jpg 映画祭が後半に入った14日のコンペ部門では、アキ・カウリスマキの『希望の裏側』、アンドレス・ヴィールの『ボイス』の2本が上映され、2本とも素晴らしい作品で、何らかの賞を獲るのではないかと期待しています。

 『希望の裏側』は、妻と別れ、ポーカーで儲けた金で、レストランのオーナーになったセールスマン(サカリ・クオスマネン)とレストランの従業員たちが、シリア難民の青年(シェルワン・ハジ)と出会い、生き別れになった彼の妹を探してやる、という、カウリスマキ的ユートピア物語。おなじみのフィンランドのロック音楽や日本語の歌謡曲で彩られた楽しい映画で、プレスや観客から満遍なく支持を集めています。

 『ボイス』は、1986年に65歳で亡くなったドイツの現代芸術家ヨーゼフ・ボイスの生涯を描いたドキュメンタリーです。ボイスといえば、私には日本のウィスキーのCMに登場した有名なアーティスト、くらいの知識しかなかったのですが、この映画を見て、芸術と社会をつなぐ方法を探り、政治にも関心を示し、緑の党を結成して議員に立候補するなど、多面的な生き方をした人だったことを知りました。映画は、一切の説明を加えずに、ボイスのアーカイヴの映像と当事者の証言だけで、ボイスの人生は「人間の活動は何であれ芸術であり、すべての人間は芸術家である」という彼の言葉の実践だったこと、"ヨーゼフ・ボイス"こそ彼の最高の芸術作品であったことを解き明かしています。

 アンドレス・ヴィールは1959生まれの58歳。クシシュトフ・キェシロフスキに演劇を学んだという人で、2011年にベルリンのコンペに出品した『もし我々でなければ、誰が?』という劇映画でアルフレッド・バウアー賞を獲っています。友人も推奨する他のドキュメンタリー作品が見てみたくなりました。


 写真は「希望の裏側」の記者会見の模様。右からサカリ・クオスマネン、アキ・カウリスマキ、シェルワン・ハジの各氏。

2017berlin_p_03_01.jpg 映画祭の中日にあたる13日に、コンペ部門に選出されたSABU監督の『ミスター・ロン』の公式上映と記者会見がありました。

 台湾の高尾から東京の歌舞伎町へやってきた殺し屋ロン(チャン・チェン)が、殺すはずの新興ヤクザの奸計にあって負傷、廃墟のような町に流れ着く。そこにはヤクザから身を隠した台湾人の薬物中毒の母(イレブン・ヤオ)と息子の少年が住んでいた。ロンは少年を介して次第におせっかいな町内の人々と打ち解け、ついには屋台のラーメン屋まで始めることになるのだが...、という面白い映画で、武術を訓練しているというチャン・チェンの体技も鮮やかで、ベルリンのプレスや観客にも十分に楽しんでもらえたようです。

 写真(上)は記者会見の模様で、右からSABU監督、チャン・チェン、イレブン・ヤオ、青柳翔の各氏です。東京でエドワード・ヤン監督の名作『嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』デジタル・レストア版の試写を見たばかりだったので、もしエドワード・ヤンが生きていたら、立派に成長したチャン・チェンを使って、少年のその後を描く『嶺街2』を撮ってもらえるのに、と痛切に思うのです。

 さて、中日までで評判のよいコンペ作品は、まずチリのセバスチャン・レリオ監督の『ファンタスティック・ウーマン』、ポーランドのアグニェシュカ・ホランド監督の『足跡』、ハンガリーのイルディコ・エンエディ監督の『肉体と魂』など。

2017berlin_p_03_02.jpg 『ファンタスティック・ウーマン』は、年の離れた恋人オルランド(フランシスコ・レイエス)と同棲を始めたばかりの主人公マリナ(ダニエラ・ヴェガ)が、オルランドが急死した後、彼の遺族である元妻や息子、それに死因を疑う警察から、イジメともとれるひどい扱いを受けながら、人としての尊厳を求めて戦うというもの。なぜ彼女がファンタスティックな女性なのかは、ストーリーが進むにつれて次第に明らかになっていくのですが、主演のダニエラ・ヴェガの絶妙な演技にとても魅了されました。

 エンエディの『肉体と魂』は私にとって、1989年のカンヌ映画祭でカメラ・ドールを獲った『私の20世紀』以来の作品。畜殺場に務める管理責任者の初老の男と、新任の品質管理責任者で、潔癖症の美人が、薬品の盗難事件がきっかけで、同じ夢を見ている、それも牡鹿と牝鹿として、ということが分かるという、ちょっと不思議な、面白い映画でした。

 写真(下)は「ファンタスティック・ウーマン」の記者会見、右から、助演のフランシスコ・レイエス、セバスチャン・レリオ監督、主演のダニエラ・ヴェガ、プロデューサーのフアン・デ・ディオス・ラライン

2017berlin_p_02_01.jpg ポリティカルな年と呼ばれる今年をよく表した映画を2本見ました。両方ともベルリナーレ・スペシャル部門で上映された作品で、1本はアスコルド・クーロフの『トライアル:ロシア国家対オレグ・センツォフ』というドキュメンタリー、もう1本はラウール・ペックの『若きカー

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ル・マルクス』です。

 『トライアル』は、ウクライナのドキュメンタリー作家オレグ・センツォフの裁判を追ったドキュメンタリーです。センツォフはロシア寄りの政権に反対して起こった住民運動マイダンの活動家でしたが、クリミア半島がロシアに併合された後、テロリストの疑いでロシア警察に逮捕されてしまいます。が、最初に家宅捜索されたときには何の証拠も発見されなかったのに、2度目の家宅捜索で彼の映画の記事の載った新聞に包まれた武器が発見されてしまいます。明らかにでっちあげの罪なのですが、裁判の目的は反ロシア活動への見せしめなので、弁護側の主張が認められるはずもなく、センツォフは20年の禁固刑でシベリアの刑務所へ送られてしまうのです。今回の上映は、30周年を迎えたヨーロッパ映画アカデミーが、彼の問題を再びクローズアップして釈放運動に繋げるためのものだそうです。

 つい先日もトランプ新大統領によるイスラム系7カ国の国民の入国差し止めの大統領令にアメリカの司法が効力の停止を命じたことがありましたが、もし三権分立が失われ、司法が権力の手先に堕してしまったらどうなるか。『トライアル』が描いている恐怖は、実はもうすぐそこに迫っているのかもしれません。

 『若きカール・マルクス』は、若きジャーナリスト、カール・マルクスが、裕福な紡績工場主の息子フリードリッヒ・エンゲルスに出会い、共産党宣言を発表するまでの青春時代を描いたもの。マルクスというと白い顎髭を生やした晩年の姿を連想しますが、こちらはまだ髪も髭も黒々とした20代の青年で、演じるアウグスト・ディールは若い頃のマルクスに意外によく似ています。脚本はパスカル・ボニゼールとペックの共同で、青年マルクスらの社会改革運動に、60年代の学生運動を投影しつつ、現代に繋げる目的を持って作られた映画のように感じました。

 はたして、この映画が若い世代に共感を持って受け入れられるかどうか。社会の不正に躊躇なく声をあげるアメリカやヨーロッパはともかく、学生運動も左翼も消滅してしまった今の日本の若者たちは、いったいどんな反応をするのだろう。果たしてマルクスという人を知っているのだろうか、などなど、いろんなことを考えさせられる映画でした。

 写真(上)はベルリナーレの記者会見場
 写真(下)上映会場シネスターのあるソニーセンター入口

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