新「シネマに包まれて」

字幕翻訳家で映画評論家の齋藤敦子さんのブログ。国内外の国際映画祭の報告を中心にシネマの面白さをつづっています。2008年以来、河北新報のウェブに連載してきた記事をすべて移し、新しい装いでスタートさせました。

2016年02月

2016berlin_p_06_01.jpg 2月20日の夜、授賞式が行われ、以下のような賞が発表になりました。最高賞の金熊賞には、予想通りジャンフランコ・ロージの『海の火』に授与され、今年の映画祭のイベントだった8時間を超えるラヴ・ディアスの大作『悲しい秘密への子守歌』はアルフレッド・バウアー賞という、新しい映画の地平を拓く作品に与えられる賞を受賞。意外だったのはダニス・タノヴィッチの『サラエボに死す』の高評価でした。

 映画は、第一次大戦の発端となったオーストリア皇太子暗殺事件百周年の式典のためにサラエボにやってくるVIPのおかげで、ようやく活況を呈した名門ホテルを現在のボスニア=ヘルツェゴビナの状況に喩えた風刺喜劇。膠着状態のボスニア戦争を、中立地帯に取り残された敵同士の2人の兵士に喩えた『ノー・マンズ・ランド』でデビューしたタノヴィッチ監督らしい作品ですが、『ノー・マンズ・ランド』も『サラエボに死す』も、見事に戯画化できていると感心はするものの、作品としての深みが足りないように思いました。

 今年は強い映画があまりなく、批評家も一致して高評価だった『海の火』の金熊賞は納得ですし、アルフレッド・バウアー賞も芸術貢献賞も納得で、メリル・ストリープを長とする審査員の裁定はおおむね順当だったように思います。

2016berlin_p_06_02.jpg 賞は逸したものの、コンペのもう1本のドキュメンタリー『ゼロ・デイズ』もとても面白く見ました。映画が描いているのはサイバー戦争。イランの核開発を止める目的でアメリカとイスラエルが開発したコンピューターウィルスがめぐりめぐって全世界にばらまかれ、アメリカを攻撃するために使われるという怖い映画でした。

 またベルリナーレ・スペシャルで上映されたマイケル・ムーア監督の『次に侵略するところ』は、おなじみマイケル・ムーア監督がアメリカ国旗を持ってヨーロッパ各国を"侵略"、それぞれのよいところを"略奪"するというユーモアたっぷりのドキュメンタリー。ムーアが略奪するのはイタリアの長期有給休暇や、スロベニアの大学教育無料化、フランスの豪華な学校給食などなど。見ているうちに、それらが必要なのはアメリカ以上に今の日本であることに気づき、とても笑って見ていることは出来ませんでした。『次に侵略するところ』は『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』という邦題で5月に日本公開されます。

【受賞結果】

金熊賞/最優秀作品賞:「海の火」監督ジャンフランコ・ロージ
銀熊賞/審査員大賞:「サラエボに死す」監督ダニス・タノヴィッチ
アルフレッド・バウワー賞:「悲しい秘密への子守歌」監督ラヴ・ディアス
監督賞:ミア・ハンセン・ラヴ「未来」
女優賞:トリーヌ・ディルホム「コミューン」監督トマス・ウィンターベア
男優賞:マジド・マストゥラ「ヘディ」監督モハメッド・ベン・アティア
脚本賞:トマシュ・ワシレウスキ「ユナイテッド・ステーツ・オブ・ラヴ」
        監督トマシュ・ワシレウスキ
芸術貢献賞:李屏賓「長江図」監督楊超の撮影に対して

 写真(上)は「8時間を超える大作『悲しい秘密への子守歌』上映後に挨拶するラヴ・ディアス監督
 写真(下)は「今年のポスターが貼られた広告塔」

2016berlin_p_05_00.jpg フォーラム部門の特集<8ミリ・マッドネス>はアーセナル、デルフィ、キュービックスという3会場で上映が行われました。私は主会場に近い、フィルムハウス(映画博物館と上映館を兼ねた、日本のフィルムセンターに相当する施設)の地下にあるアーセナルで、山本政志『聖テロリズム』、園子温『男の花道』、諏訪敦彦『はなされるGANG』の3作品を見ました。上映開始が22時30分と遅いのと日本からのゲストがいないのとで観客は弱冠少なめでしたが、それでも顔見知りのドイツ人評論家が連日姿を見せるなど、熱心な映画ファンが集まっていました。

 この企画は、フォーラム部門のディレクター、クリストフ・ヘルテヒト氏と、香港国際映画祭のキュレーター、ジェイコブ・ウォン氏、それにPFF(ぴあフィルムフェスティバル)のディレクター荒木啓子さんとの繋がりから実現したもの。82016berlin_p_05_01.jpgミリの自主映画、特に長編映画は70年代から90年代初めにかけて日本で独自に発展した文化ですが、8ミリフィルムの消滅と共に半ば忘れられた存在になっていました。ネガが存在せず、完成されたフィルムが1本しかないという8ミリは、汚れや傷、紛失などによって作品そのものがたやすくなくなってしまう危険があります。今回のPUNKというテーマで9監督11作品を選び、2Kでデジタルリマスターし、英語字幕をつけてヨーロッパとアジアの2つの映画祭で上映するという企画は、8ミリを次世代に残すために試行錯誤を続けてきたPFFの活動のひとつの成果でもあります。

 17日夕、同じアーセナルでフォーラム・エクスパンデッド部門の森下明彦監督『XENOGENESE』と、フォーラム部門の杉本大地監督の『あるみち』が上映されました。

 『XENOGENESE』は1981年に製作され、84年にフォーラムのニューシネマ部門で上映された16ミリの短編で、今2016berlin_p_05_02.jpg回の上映のためにニュープリントが作られたそうです。内容は、監督自身が歩いている映像に3本の縦線が入り、線の前を歩いたり、後ろを歩いたりするという実験映画。縦線は監督自身が1コマ1コマ、フィルムの表面をひっかいて入れたもので、上映時間は7分ですが、気の遠くなるような作業が必要。同じように直接フィルムをひっかいてアニメ作品を作ったカナダのノーマン・マクラレンに似たような作品があったように思います。

 『あるみち』は東京造形大学映画専攻の学生である杉本監督の初監督作品で、昨年のPFFグランプリ受賞作。授業で初めて脚本を書くことになった杉本監督が、子供の頃の自分が情熱を持っていたトカゲの採集のことを思い出し、その情熱が今の映画への興味に続いていることを見つめなおしていくという内容で、監督を始め、家族や友人もすべて本人の出演という、一種のホームムービーでもありました。

 フォーラム部門最年少という弱冠22歳の杉本監督のみずみずしい作品を見て、30年前の8ミリ映画との違いを痛感しました。8ミリという素材に出会い、自分なりの作品を作ろうと意気込んだ自主映画の監督たちの創作意欲と、セルフィー時代の監督の映像への取り組み方とはまったく異なっているように思われます。『あるみち』の軽さと自由さには、若さだけではない、不可逆的な時代の変化が現れているように感じました。

 写真(上)は「〈8ミリ・マッドネス〉の上映会場アーセナルの入口で開場を待つ人々。
 写真(中)は、「上映前に挨拶する森下明彦監督」
 写真(下)は「『あるみち』上映後の質疑応答の模様。中央が杉本大地監督」

2016berlin_p_04_01_02.jpg 2月14日の10時から、ポツダム広場の一角でプサン国際映画祭を支援する集会が開かれました。ことの発端は、2014年に、セウォル号沈没事件を題材にしたドキュメンタリー『ダイビング・ベル』が政治的中立性に欠けることを理由に、プサン市長から上映を中止するよう要求されたことでした。

 映画祭側は、これを表現の自由への政治的圧力として拒否。すると、市長はイ・ヨングァン執行委員長の辞任を要求。これも映画祭側が拒否すると、映画祭への助成金カットなどの実力行使に及び、2015年には実際に縮小された予算で映画祭が開催される事態になりました。

 これに対して昨年暮れからツイッター(#ISUPPORTBIFF)上にプサン映画祭サポートの声が挙がり始め、韓国国内はもとより、プサンにゆかりのある各国の映画人がサポートを表明。日本からも是枝裕和監督や黒沢清監督が参加し、連帯の輪が世界中に広がっていきました。今回の集会は、韓国国内のチョンジュ国際映画祭、ソウル国際女性映画祭、プチョン国際ファンタスティック映画祭など5つの映画祭が共同でプサンを支援する声明を出すとともに、ベルリンにいる世界の映画関係者と連帯する目的で開かれたものです。

2016berlin_p_04_02_02.jpg 映画祭の予算をたてに圧力をかける行政側と表現の自由を守りたい映画祭側の攻防が今後どのような決着を迎えるかはまったく予測できませんし、海外からいくら支持の声が高まったとしても、それを行政側が素直に受け入れるかどうかは不明です。今月18日にはプサン市長が映画祭の組織委員長を辞任するなどの動きもあり、事態は予断を許さない状況にあります。

 さて、ひるがえって今度は同じようなことが東京国際映画祭に起こったとしたらどうなるかを考えてみましょう。日本国内の映画祭が手を組んで東京国際映画祭に連帯し、表現の自由を求めて政府に立ち向かうなどということは、まずありえない気がします。そもそも東京国際映画祭が政府の意向に背く作品を選んで上映するということが考えられない。その前に自主規制してしまうでしょう。こう考えると、プサンも大変ですが、一見平穏な東京の方が、より重い問題を抱えているように私には思えるのです。

写真(上)は「会場の入り口に貼られたプサン国際映画祭を支援するポスター」

写真(下)は、「思い思いに支援の言葉を記していく来場者」

2016berlin_p_03_01.jpg 映画祭が半分まで終わり、これまでのところコンペで最も評価が高い作品は、イタリアのジャンフランコ・ロージのドキュメンタリー『海の火』です。ロージは、ヴェネツィア映画祭で金獅子賞を獲った『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』が日本公開されているので、ご覧になった方もいらっしゃるでしょう。

 『海の火』は、シチリア沖に浮かぶランペドゥーサ島を舞台にしたドキュメンタリー。イタリアよりもアフリカ大陸に近い島の地理的関係から、北アフリカから船で脱出した難民が流れ着くところでもあり、映画は彼らを救助する沿岸警備隊の活動と、島で生きる人々の暮らしを交互に描いていきます。ロージは、島での撮影に1年間かけたそうで、警備艇に同乗する許可を得て、隊の人々と一緒に遭難したボートに乗り込み、船底に押し込められて脱水と窒息で瀕死の人々を救助する模様や、バッグに入れられた死体まで生々しく捉えています。映画の救いになっているのは、島の暮らしを描いた部分。特に、学校をサボって遊んでばかりいるサミュエルという12歳のやんちゃな少年が、船酔いを克服しようとしたり、先輩からオールの漕ぎ方を習ったりして、一人前の海の男になろうと奮闘する姿には心が和みました。

 ロージの作品は、2010年の『エル・シカリオ ルーム164』という、メキシコの麻薬マフィアのヒットマンとして数百人を殺した男の告白を撮った、ちょっと薄気味悪いドキュメンタリーから見ていますが、彼にはカメラを向けた相手から信頼を勝ち取る独特の才能があるように思います。ちなみに、"海の火"というのは、映画の中のラジオでも流れるイタリアの歌謡曲の題名です。

 写真はベルリナーレ・パラスト前のスクリーンに、フォトコール中のジャンフランコ・ロージとサミュエル少年が映し出されたところです。

2016berlin_p_02_01.jpg 13日の夜、副会場のフリードリヒシュタット・パラストで、ベルリナーレ・スペシャルのオープニングを飾って、黒沢清監督の『クリーピー 偽りの隣人』のワールドプレミア上映が行われました。会場のフリードリヒシュタット・パラストは、戦前のベルリン一の繁華街だったところにあり、"昭和の香りがする"と言いたいくらい、往時の雰囲気をそのまま残した、今では珍しい大劇場です。ヨーロッパの映画ファンにも黒沢清の名前が浸透したのと、土曜の夜ということも手伝って、会場には満員の観客が詰め掛け、黒沢清監督、主演の西島秀俊さん、竹内結子さん、香川照之さんに、惜しみない拍手が贈られました。

 『クリーピー 偽りの隣人』は、日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した前川裕の小説の映画化で、元刑事で犯罪心理学の教授と妻が、引っ越した家の隣人に恐怖に陥れられるというサスペンス・スリラー。さすがに黒沢清監督だけあって、単なるホラーを超えて、家族の崩壊を描いた『トウキョウソナタ』に通じる、現在の日本社会における家族や社会の繋がりのあり方を問い直すような作品になっていました。『トウキョウソナタ』で失業したことを家族に告げられず、離れていく家族を引き留めようと孤軍奮闘する父親を演じた香川照之さんが、『クリーピー』では、隣家の家族に寄生し、のっとってしまう"偽父親"を演じているのも、黒沢的テーマとの繋がりを感じさせます。

 写真は、ワールドプレミア上映の前に行われた記者会見の模様です。

↑このページのトップヘ