-去年から今年にかけてのアジア映画の成果というか、動きはどうですか。
石坂:結果として、今回のアジアの未来も11月の東京フィルメックスも、東アジアの映画がすごく増えています。特に中国の勢力が非常に厚くなっている感じがしました。特に若い力というか。それで、今年は私としては珍しく、中国語圏の映画が多いです。
-これまで避けてましたよね(笑)
石坂:避けてたということはないですが、バランスを重視していたことは間違いない。それが、クオリティ重視で選んでいくと、当然多くなった。
-少し前まではイランとかトルコとか西が強い感じでしたが、それが東に来たというのは何か理由があるんでしょうか。
石坂:相変わらずトルコは元気で、今年は3本入ってますし、ヌリ・ビルゲ・ジェイランがいたりと、個別の例はあるけれど、群れとして出て来ているのは中国語圏ですね。
-資本とかが、うまく回っているということですか。
石坂:もあるけど、コンペの「ぼくの桃色の夢」の監督ハオ・ジエはインディーズで2、3本撮って、東京フィルメックスで受賞した人ですが、こういう人がスケールアップして普通の映画というとおかしいけど、予算もそれなりのものを撮っている。
●アングラからスケールアップ
-成長してきている?
石坂:それなりに政府と闘ったり、アングラというか、無許可映画を作っていた若者たちが、こういう一般映画を撮るようになっているわけです。ハオ・ジエの「ぼくの桃色の夢」は、ちゃんとした青春映画です。それから、地方、といっても広いんだけど、内モンゴルやチベットの映画もある。「河」の監督のソンタルジャはペマ・ツェテンのところのカメラマンだった人で、これもある意味でチベット・インディーズ発だけど、ちゃんと上海映画祭に出ている。やっぱりスケールアップしてきている。ペマ・ツェテンの新作は11月の東京フィルメックスで上映されるから、ペマ・ツェテン組が2人出ています。その「河」は、たぶんいろんなメッセージが込められてるんだろけど、見た目はものすごく雄大な高原の幼い娘の話で、非常にうまく出来てる。内モンゴルの「告別」も非常に変わった映画で、監督のデグナーはロンドンと北京電影に留学した女性で、自伝的な話を自分が主役で演じる、相当頭のいい人です。
-他に香港映画の「レイジー・ヘイジー・クレイジー」が。
石坂:監督のジョディ・ロックはパン・ホーチョンの弟子、それから「The Kids」のサニー・ユイはチャン・ツォーチの弟子。
-弟子の世代なんですね。
石坂:世代交代を非常に感じますね。
-台湾、香港、内モンゴルと中国、たしかに中国系多いですね。
石坂:それに10本中5本が女性監督、日本の横浜聡子、中国、台湾、香港、内モンゴルです。
-アジアの女性は優秀ですね。
石坂:特に意識はしてなかったんです。女性映画祭じゃないから。もう違う土俵で女性特集という時代じゃないですね。
-女性特集というもの自体が差別だと私は思います。
石坂:去年の特別賞を獲ったカンボジアのソト・クォーリカーも女性監督でした。今度、TIFFでアジア三面鏡というオムニバス映画を作るんだけど、彼女はその1人です。
-知りませんでした。
石坂:この間の記者会見で発表したんですが、彼女と、今年フィリピンで特集するメンドーサ、日本からは行定勲。
-3本とも長編?
石坂:いや、30分×3本です。40分くらいになるかもしれないですが。それぞれの監督が自国以外の国で撮るというのが条件で、メンドーサとクォーリカーは日本でロケしたいと言っていて、行定さんは未定です。行定さんは韓国で「カメリア」という作品を撮り、中国で「真夜中の五分前」を撮っていて、いろいろアイデアはあるようです。
-どこだったか、韓国の映画祭で最初にやりだした企画と似てますね。
石坂:チョンジュです。チョンジュはもうやめちゃいましたが。一応、つなぎ目も作って3話で1つの物語にはしようと思っています。来年のTIFFでお披露目というお尻が決まっているんで、今、みんなシナリオを書いているところです。
●80、90年代の回想目立つ中国
-そういうステップアップが見えてないと、作品を出しにくいですしね。
石坂:女性監督の作品が10本のうち5本、ワールドプレミアも5本で、残り5本も全部インターナショナルプレミアだから、TIFFまで来て見てくださいと、海外のプレスにはそういうPRの仕方をしています。プサン映画祭のニュー・カランツ部門は今年8本なんですが、8本ともワールドプレミアを揃えた。ところが中東だけなんです。理由はわからないですが。今年はプサンと1本も被ってなくて、新人というか新鋭のいい映画は、もっといっぱいある感じがしました。
-そういう意味では選び甲斐がある?
石坂:ありますね。というより、これはどうしようかと悩む映画が多い。アジアの新人コンペは映画祭の身の丈に合っていると思います。今年3回目ですが。
中国語圏の映画は非常にノスタルジックな、ちょっと前の過去を回想するものが多いです。それは今、この5,6年の流行で、台湾の「あの頃、君を追いかけた」とかヴィッキー・チャオが監督した「So young 過ぎ去りし青春に捧ぐ」とか、どれもそんな感じです。80年代、90年代を振り返るのはなぜかと考えると、文革が終わり、自由になった時期、台湾だと戒厳令がなくなった時期、表現の自由を若者が謳歌するというか。日本だと戦後15年たって太陽族が出たり、日活アクションがあったり、そういうずれた感じが今来ているのではないかと。
-私は逆じゃないかと思います。前の方ががんばってた気がする。規制があっても闘ってた。それを一番よく感じるのは韓国映画で、80年代、90年代の韓国映画はどれを見てもすごく触発されたけど、最近は技術は上手だけど、あんまり打たれない。韓国には韓国の事情があると思うけど、中国の若い監督は現状に窮屈な感じがあって、過去に行ってしまうのではないか。
石坂:今ノスタルジックに思い出す余裕が出て来ているくらい豊かになっている。豊かになった時点で、あの頃は貧しかったけど、結構よかったんじゃないかという描き方は半分ありますね。
東南アジアはタイとインドネシアですが、両方に共通するのは宗教的な紛争とか不寛容とか、そういう問題です。
-タイもインドネシアもイスラム原理主義の問題が出て来ていますしね。
石坂:タイの「孤島の葬列」は、おばさんを訪ねて南へ旅していく話ですが、タイの南はイスラム地域なんです。それで車のラジオをつけるとバンコックの政治的な争乱のニュースが入ってきたり、南へ行ったら行ったで、テロの恐怖があったり、という。インドネシアの「三日月」は、新月の後の最初の月を見るために父と息子が旅をしていく過程で、イスラム原理主義とキリスト教会のいざこざに巻き込まれたりという。この2本がアジアにおける宗教的な問題を扱っています。
あと、インドの「If Only」のイシャーン・ナーイルはミーラー・ナーイルの甥なんだけど、これは何というか、おしゃれな映画です。
-審査員は?
石坂:ジェイコブ・ウォンは同じ。あとアルテ・フランスのオリヴィエ・ペール、大森立嗣監督。
-ワールド・フォーカス部門のアジアの部分ですが。
石坂:アジアの未来は新人、ワールド・フォーカスは巨匠という風に色分けしています。まさに今年は巨匠が揃いました。巨匠ばかりだけど、今の時点では配給がついてないんです。
-私はホン・サンスの「今は正しくあの時は間違い」が楽しみなんですが。
石坂:今年のロカルノ映画祭の金豹賞ですね。去年はラヴ・ディアスでしたが。
-東アジア、強いですね。
●東アジアにネットワークを
石坂:あと、マニラトナム、ガリン・ヌグロホ、懐かしいところで台湾のワン・トン。侯孝賢が美学の世界に行ったとすると、ワン・トンの「風の中の家族」は、逆に「悲情城市」みたいな世界。台湾は「九月に降る風」のトム・リンの「百日草」もいいです。
今年の傾向は上海映画祭と提携したということ。それで「少年班」と「河」の2本を推薦してもらいました。ジェイコブ・ウォンは香港との提携だし、東アジア圏で横のネットワークを作っていくという目的です。
-いいアイデアですね。それで、ブリヤンテ・メンドーサの特集ですが、ひとこと言わせてもらいたいのは、カンヌのコンペに初めて「キナタイ」が出たとき、記者会見で本人を前にして司会者が開口一番、「皆さん、この人の名前はブリランテでもブリリャンテでもなく、ブリヤンテです」と言ったんです。それで私はずっとブリヤンテと表記してきたんですけど、なぜブリランテにしたんですか?
石坂:彼は商業公開された映画があるんで、その表記にならったんです。この特集は福岡のアジア・フォーカスで上映された3、4本と、DVDが出ている「キナタイ」を除く、ほぼ全作になります。
-今年大変だったことは?
石坂:アジアの風の時代はプレミアにこだわることもなく、何でもやりますというスタンスだった。だから自由だったけど、その代わり、海外プレスにしたら、東京まで行かなくてもどこかで見られるということだった。それを3年でチェンジし、コンペティティヴにプレミアを取りに行くということになると熾烈な争いがある。
-矢田部さんの苦労がわかってきたわけですね(笑)
石坂:アジアの未来はまだ助かっているところがありますが、それでも、いろんな映画祭の連中と会うと、昔は「ハーイ!」なんて言ってたのが、今はバチバチっと(笑)、表面はニコニコしてますけど。相当選び方、探し方が違ってきてますね。
-アジアの未来という部門には、これから面白くなるかもしれない人を見るという楽しみもあるし、ようやくTIFFから新しい才能が出て来るというか、育てようという気配が出て来たなと思いますね。
石坂:もともとTIFFはヤングシネマがメインだったわけですから。
(10月19日、新川の東京映画祭事務局にて)