新「シネマに包まれて」

字幕翻訳家で映画評論家の齋藤敦子さんのブログ。国内外の国際映画祭の報告を中心にシネマの面白さをつづっています。2008年以来、河北新報のウェブに連載してきた記事をすべて移し、新しい装いでスタートさせました。

2014年11月

tokyo_fil_p_2014_0401.jpg 11月29日夕の授賞式を前に、プレス向けに受賞結果の発表と記者会見が行われました。中国の映画監督ジャ・ジャンクーを審査員長とする5人の審査員が選んだのは、最優秀作品賞がフィリピンの『クロコダイル』、審査員特別賞がイスラエルの『彼女のそばに』、そして中国の『シャドウデイズ』にスペシャル・メンションを、という結果でした。

【写真】受賞者と審査員。前列左が作品賞のフランシス・セイビヤー・パション、右がスペシャル・メンションのチャオ・ダーヨン。後列右から審査員の柳島克己、ジャ・ジャンクー、張昌彦、リチャード・ローマンド。

 フランシス・セイビヤー・パション監督の『クロコダイル』はフィリピン南部の湿地帯で少女がワニに襲われて亡くなったという事件をドラマ化した作品で、再現ドラマの部分とドキュメンタリー部分を、村の長老が語るワニ神話で包んだ、不思議な味わいの作品でした。パション監督は2010年のネクスト・マスターズ(現タレンツ・トーキョー)修了生で、『イロイロ ぬくもりの記憶』(12月13日より日本公開)のアンソニー・チェン監督とは同室だったそうで、劇中で母親を演じたアンジェリ・バヤニは、『イロイロ』では主人公の少年と心を通わせるフィリピン人のメイドを演じているという繋がりがあります。

 アサフ・コルマン監督の『彼女のそばに』は、学校の用務員として働く姉と、彼女が一人で面倒を見ている知的障害のある妹との関係を描いたもの。姉を演じた監督の妻リロン・ベン・シュルシュの実体験が基になっていて、姉妹の親密な愛情関係と、愛する者に束縛され、自分の人生を失ってしまう女性の痛々しい姿が胸に迫ってくる作品でした。

 ヨルダンの『ディーブ』やイランの『数立方メートルの愛』といった、まとまりのいい、よく出来た映画でなく、荒削りながらアイデアの優れた『クロコダイル』が選ばれたことは、フィルメックスの主旨に合った、いい選択だったと思いました。また、中国の『シャドウデイズ』にスペシャル・メンションが出たことは審査が割れたことをうかがわせますが、その点について質問したところ、スペシャル・メンションは作り続けることを応援するという意味で、各賞は審査員の全員一致で決まったとのことでした。

 私が特に感銘を受けたのは、パク・ジョンボム監督の『生きる』でした。山崩れで両親を失い、神経衰弱の姉とその娘の面倒をみながら、山奥の味噌工場で働く男の必死に生きる姿を描いた3時間近い作品で、市山ディレクターとのインタビューにもあるように低予算で撮られていますが、そんな悪条件を突き抜けるような監督の意志とパワーに圧倒され、この力作が賞から漏れてしまったことを、とても残念に思いました。

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nantes2014_map.jpg 11月の第3火曜日開催と決まっているが、今年は暦の関係で例年より遅く11月27日朝、西フランスの古都ナントにやってきた。3大陸映画祭(11月25-12月2日)は第36回を数え、当方は20度目の訪問となる。

  映画祭はアジア、アフリカ、中南米の3大陸に絞った作品だけを提供し続けるユニークなもの。コンペティション部門10作品(フィクション9作品、ドキュメンタリー1作品)、招待作7作品のほか、「コロンビア映画の位置づけ」33作品、「香港の監督・撮影監督ユー・リクウァイのモダンな世界とデジタルリアリティ」11作品、「セネガルの映像制作者・小説家カファディ・シャラ」8作品、「春の行進~アラブ世界の思考」12作品、「メロドラマの輝き」11本の特集が組まれ、今年も盛りだくさんだ。ただ今年のコンペ部門には残念ながら日本作品はない。会期中、中心街の3つの映画館(6スクリーン)と郊外の2会場で計92本が延べ196回上映される。 

 今年は羽田経由で少し楽をした。27日早朝のパリは激しい濃霧で自動操縦での着陸となったものの、気温は6度と思った以上に暖かだった。新幹線(TGV)を使ってのナント着が午前10時前。10時半から映画を見始めた。初日はコンペ部門3作品と、招待作と特集の各1本を見た。 

nantes2014_p01_anata.jpg 南アフリカのジーナ=カトー・バス監督(28)の「あなたが愛したものが好き」(2014年)は、監督の若さを反映して、タイトルからポップな画面で、陽気な音楽が流れ続ける。ただ、内容はそう簡単ではない。テリーとサンディルは仲間たちに愛されるカップルだが、サンディルがテレフォン・セックスオペレーターをやっていて、彼女へのコールは、2人の間にさざ波を起こした。彼女はどんな場面でも電話に出て、時には相手に親身になってしまうのだ。2人の間だけでなく、テリーの顧客の1人は親身なサンディルにのめり込むのだが...。

 2人の親密な空間に割り込む電話、対応後の気まずさ、関係修復の繰り返しに、取り巻く友達や家族、社会までもが関わってくる。関係のミスマッチが生む滑稽さ、時には辛辣さを、監督は第1作ながら、優れた俳優たちを使って最小限の構成で生み出している。

【写真】テリーとサンディルの間はどうなるのか(「あなたが愛したものが好き」より)

nantes2014_p01_hitozato.jpg  ベトナムのグエン=ホン・ディップ監督の「人里離れたところで羽ばたく(FLAPING IN THE MIDDLE OF NOWHERE)」(2014年、ベトナム・独・仏・ノルウェー合作)は、ベトナムが抱える貧富の差が生み出す一面を、女子学生と家をシェアしているニューハーフの売春婦を通してあぶり出している。

 ヒェンエンは田舎から首都に出て学校に通っているが、実態は「無一文の労働者」ながら、同居人のたくましさにも助けられ、比較的自由な生活をやってきた。ところが妊娠していることが分かった。相手は同郷の高所作業員だが、違法な賭け(闘鶏)にのめり込み、カネには縁がない。中絶をしようにも先立つものがなく、同居人に頼み、売春のまねごとをしようとする。そんな時、若い医師を紹介され、彼と中絶の契約を結ぶのだが、実は彼は若い女性を実験台に、中絶前後の体や性的な変化を調べて論文に仕上げようとしていたのだ。ヒェンエンはそうとも知らずにホッとするのだが、ひどいつわりに見舞われ、相手にも知られてしまう。田舎がホッとするのだが、このままでは帰れない。良く通っていた田舎の廃墟へ、相手と一緒に高所作業車で行き、作業バスケットの中から、都会では感じたことのない空気と開放感を味わう。孤独を突き抜けて、自分で立っていく覚悟が生まれたのでは...。医師との契約は、同居人が体を張って阻止してくれた。

 ここに描かれる、貧富がもたらす教育格差、人格を否定する売春は一端でしかない。ここまであからさまではない日本にも存在する。若い人間の声には出せない悲しみを、どこまで聞き取り、何か行動を起こせるのかを問われている。

【写真】作業車の男の誕生日に、謎の女がバスケットに載った2人(「人里離れたところで羽ばたく」より)

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tokyo_fil_p_2014_0301.jpg-今年のカンヌで特に感じたんですけど、今のカンヌは巨匠が何個パルムドールを取るかみたいなところに来ていて、いきなりコンペでパルムを取るような新人は出てきにくくなっている。新人発掘の機能はフィルメックスのような、あまり大きくない映画祭に託されているような気がするんですが。

林:カンヌは既にパルムをとってしまった監督たち用にもう1つセクションを作らないと、同じ人達の同窓会の繰り返しになってしまうと思いますね。ただ、あれだけ大きいカンヌだけど、プサンやベルリンに比べたら、かなりコンパクトである努力はしていると思う。それは悩ましいとは思うし、誰に言われるよりもカンヌが一番よくわかっていると思うんだけど、映画祭の宿命として、映画祭は大きくなっちゃうんです。フィルメックスの場合は逆に広げないように、大きくしないようにしています。これで何億円かポンともらったらわからないけど(笑)。ニューヨーク映画祭なども厳選して30本くらいしかやらない。フィルメックスは今年25本ですが、全部の映画を見ることができる。1日3本とか4本で、同じ映画について話せる映画祭にしたいんです。ベルリンに行くと"私はパノラマのこれを見た、よかった"と言っても、"私はフォーラムでこっちを見ていた"となって話として成り立たない。カンヌはあれだけ大きいけれど、オフィシャルの数が限られているから、会って同じ話ができる珍しい映画祭です。

-カンヌの場合はコンペがすべての中心で、レッドカーペットにしても何にしてもすべてコンペが基本になっていて、そこを外していない。だけど、ベルリンの場合はコンペが弱いから、パノラマを見たり、フォーラムを見たりしないとベルリンに行った甲斐がないということになる。

林:映画祭の醍醐味を味わえない。

-フィルメックスもコンペが柱ですね。

林:コンペが核だと言い続けているんですが、コンペというのははっきり言って、お客様が一番入らないセクションなんです。それはカンヌとの大きな違いで、なぜなら今年9本コンペティションでやりますが、そのうち5本がデビュー作なんです。だから監督といっても知る人がいない。あとはフィルメックスを信じて見てもらうしか方法がないんだけれども、11月3日からチケット発売をしていますが、売り切れになっているのは特別招待のキム・ギドクであったり、クローネンバーグであったりで。でも考えてみるまでもなく、ギドクさんは第2回のコンペティションで上映した作家だし、アピチャッポン・ウィーラセタクンも第1回のコンペティションで上映しているんです。特別招待作品はお祭り的な賑やかなものを必要としているけれども、フィルメックスの核はコンペティションで、コンペティションを見てもらいたいと思う。みんな自分が審査員になったつもりで見てみてください。これが今、世界で最も新しい映画だし、10年15年たったときに、ギドクさんのように、即日完売のような形で新作を待っている監督になってくれる可能性はありえると思うから。

-映画祭は満席にならないと苦しいものですか?

林:満席になってもだめです。チケットの売り上げだけでは1席1万円くらいにしないと。1万円で売ってもぎりぎりかな。以前、"3分の1は州や国などの行政でカバー、3分の1はスポンサー、3分の1は入場料収入だと、なんとかバランスがとれる"と、セルジュ・ロジック(モントリオール世界映画祭ディレクター)に言われたことがあって、なるほどと思ったけれども、会場費などを全部計上していくと映画祭によっては凄いでしょうね。カンヌなんかは自前の会場がありますが。

●映画祭ならではの自己矛盾
-そうすると、チケットを売っても売らなくても赤字で、寄付なり助成金なりで補填して運営していくわけで、純粋にお客に来て欲しいというのは、この映画監督を見て欲しい、作品を見て欲しいという気持ちですよね、儲かりたいという気持ちじゃなくて(笑)。

林:というか、お客様が入ることは結果的には望まなきゃいけないことだけど、入ることを1番の目的としていたら、もっとお客様が入る映画ってある。たとえばエンターテインメント。香港映画とか、スターが出ているとか。入ることを目的とするんであれば、全然違うセレクションになるわけです。

-以前、市山さんが"インド映画をやれば入ることはわかってるんですけどね"と言ってました。

林:うちのアンケートでも、サプライズ映画はインド映画や香港映画がいい、誰々の新作だったらいいというはある。でも、お客様はもちろん大事だけど、お客様が見たいものを見せるだけだったら映画祭じゃないと思う。ただ、やる限りはお客様に入っていただかないといけなくて、"こんな凄い映画をやってるけど誰も見てくれなくていい"というのとは違う。見てもらいたいんです。そこの自己矛盾は凄いです。逆に、映画祭のビジョンとは何かを考えていたときに、逆説的に考えたらフィルメックスがなくてもいいことだと思ったんですね、世の中的に。東京フィルメックスがなくても、こういう映画が普通に公開されて、普通にお客様が見に来てくれて、配給会社でも何でも全然なりたっていて、フィルメックスがなくても機能しているんだったら、本当はそれが一番理想なんじゃないかなと思った。

-そうはいかない、"もっと他にいい映画がありますよ"って絶対に言い出すよ(笑)、今年のコンペ9本以外にも紹介したい映画があるはずだから。

林:元を返すと、フィルメックスがなかったら日本で上映されなかった作品がこれだけあるってことですね。私がどうしてもやらなきゃと思う映画が日本でどんどん公開されて、いくらでも見るチャンスがあれば、普通にお金を払って映画を見た方が、精神的には幸せじゃない?って思う。天の邪鬼な言い方じゃなくて、本当の幸せはどこにあるんだろう?と思います(笑)

-15年やってきて、フィルメックスでやらないとどこもやらないような映画が増えていると思いますか?

林:数としてどうなっているかわからないけど、相変わらずありますね。

-この15年、リーマン・ショックの前後でいろいろ変わったし、映画がフィルムじゃなくなったり、日本映画も沢山作られているけど上映されない映画も沢山あって。

林:80年代90年代ミニシアターまで含めると波が幾つもになりますが、ここ15年に絞ってもフィルメックスで上映される映画が1本も配給が決まっていなかったときと、ちょっと決まっていたときがあって、また最近厳しくなっていて、より一層やらなきゃいけない映画がある。それは悲しい、残念なことだと思う。

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tokyo_fil_p_2014_0201.jpg-まずうかがいたいのは、今年インディペンデント映画祭(北京独立電影展)が中止になり、香港でも学生デモがあって、外から見ると揺れている中国のことですが。

市山:検閲に関しては特に変わってないです。コンペ作品の『シャドウデイズ』は、内容が一人っ子政策の批判なので、許可がとれないのをわかりきって作っていて、ベルリン映画祭を始め、いろんな映画祭に出ていますが、特に監督に何か害が及んだという話は聞いていない。ジャ・ジャンクーやロウ・イエがアンダーグラウンドで撮っても妨害がなかったのと同じで、アンダーグラウンド映画を作ることに特に締め付けがきつくなったということは聞かない。締め付けが厳しくなったのは映画祭なんです。インディペンデント映画祭に対して締め付けが厳しくなった。それは3年前に、誰も知らないと思いますけど、北京映画祭(北京国際電影祭 BJIFF、今年4月に第4回を開催)というのが始まって、その頃から始まっているんです。

-上海映画祭は有名ですが。

市山:上海は歴史があるし、国際映画製作者連盟にも加盟しているんですが、突然北京映画祭というのが始まって、それはもう完全に国家イベントなんです。上海映画祭は、上海撮影所を母体としている上海電影集団という製作配給会社があって、そこが運営しているんで、ある意味民間なんです。民間といいながら、中に国家官僚出身の人達がいるんだけど、厳密に言うと国家イベントではない。

-私は国家がやっていると思っていました。

市山:許可をとった映画しかやっていませんけど、もともと国営の撮影所だった上海撮影所を民営化して、製作出資をやったり、配給をやったり、ジャ・ジャンクーにいつも投資している上海電影集団というのになって、そこのトップの人がプレジデントの映画祭なので、実は国家イベントとは言えないんです。これに対して北京映画祭は完全に国家イベントで、1年目には結構日本映画もやって、日本の映画関係者もたくさん行って混乱ぶりを目の当たりにして(笑)、いろんな話を聞いたんですが、2年目から日本映画をやらなくなって、第2回、第3回は日本映画一切上映なし。それに対して上海映画祭は日本映画をがんがん上映している。

-そう聞くと、確かに国家イベントですね(笑)。

市山:インディペンデント映画祭は、北京映画祭が始まった年から突然締め付けが厳しくなった。今までリ・シェンティン(栗憲庭)というアーティストが募金で作った基金(栗憲庭電影基金)があって、そこがソンチュアン(宋荘)という北京の郊外にあるアーティスト村で映画の上映会をやったり、ドキュメンタリー映画の助成をやったりしてきた。それが、今年ついに中止に追い込まれた。一説には、どうせインディペンデント映画祭なんて見に行く人もいないだろうと思っていたら、意外に海外で評判になって外国の映画祭のディレクターが見に行ってる、あるいは北京市内の映画ファンが行ってるということで、今まで無視していいと思っていたものが、何となく盛り上がっていることに気がついた。今までも、オープニングの招待者の名簿を出せとか、そういう干渉はあったんですが、今年はついにアートディレクターのワン・ホーウェイと、もう一人が呼ばれて、宣誓書みたいなのを書かされて中止になったということです。これは僕の予想ですけど、たぶん北京映画祭をネットで検索していたら、知らない間にこっちが出て来て(笑)、それで気がついたんじゃないかと。

●映画祭の影響力
-今年は香港で大規模なデモもあったんで、いろんなところに締め付けが来ているのかと思いました。

市山:それとはあまり関係ないです。3年前からじわじわと。オープニングのパーティをやってると警察がやってきて、皆を見張っている中で飯を食っているという、そういうのが2年くらい続いてた。

-なるほど(笑)

市山:笑い事じゃないですよ。でも、去年までは結構笑い事で終わってたんですが、今年ついに中止に。

-私もネットのニュースで知りました。
市山:中止だけだったらいいんですが、映画基金に置いてあった、いろんなドキュメンタリーのフッテージが接収されたらしい。そっちの方がもしかしたら重大かもしれません。そこで中国のドキュメンタリーを閲覧できた。見たいというと見せてくれたんです。製作に関しては相変わらずで、許可をとらずに勝手に撮って、それが妨害されたという話は聞かないけど、上映活動に関して、いろいろなクレームが来ている。それは北京だけじゃなく、地方の主要都市でもインディペンデント映画祭をちょくちょくやってるんですが、場所によってはホールを貸してくれないとか、そういった締め付けが来ている。もしかしたら、北京が中止に追い込まれたんで、地方のホールがビビってるだけかもしれないけど、今年になってから上映活動に関する締め付けが厳しくなったのは間違いない。以前は映画祭なんて関係ないと思ってたのに、意外に影響力を持ち始めていることに気がついたのかもしれないですね。

-『シャドウデイズ』は無事に外へ出られたわけですか?

市山:ベルリンで上映してますし、監督本人もいろんな映画祭に参加しています。

-中国国内での上映は?

市山:できないですね。前はできたんです。インディペンデント映画祭では王兵の『無言歌』を上映してQ&Aをやっているんで。今回は何を上映するのか事前にリストを出せというところからじわじわ始まって、最終的には、何が理由かということは言わないんです。この映画をやったらダメとかは絶対に言わない。とにかく中止にしないと、お前達はここから帰さないみたいなことを言われて結局中止という。

-作れていることは作れているが、上映はできなくなっている?

市山:ただ、いずれにしても収入にはならないんです。こういう作家は海外に出資相手の人達がいるし、細々と上映料を徴収したりしながら何とかやっているけど、中国国内では見返りを期待していない。公開はできないわけだし、インディペンデント映画祭から上映料をとるわけにもいかないだろうから。でも、今までは少ないながらも見せる機会があったのに、それが今、失われつつある。中国のインディペンデントの作家達が今大変だと思うのは、彼らが普通の映画を撮ろうと思ったとしても、今度は商業的な検閲があって公開されないとか、その前に出資者がつかないとか、アートシアターというものが全然ないんで、結局、作ったのはいいけど世に出ない映画がたくさんある。

-作っても上映できなければ出資者がいなくなるでしょうね。それで自己検閲したりする。

市山:作家性なんか関係なくなって、スターを使って娯楽映画を作らないと道がない。だから、政府の検閲にプラスして、そういう商業的な一種の検閲があって、そういう点では厳しい状況ではありますね。

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tokyo_fil_p_2014_0101.jpg 11月22日夕、第15回東京フィルメックスが開幕しました。これから30日までの9日間、林加奈子ディレクターが胸を張る"厳選の25本"が、メイン会場の有楽町の朝日ホールとTOHOシネマズ日劇、ヒューマントラストシネマ有楽町で上映されます。

 オープニング作品は、今年の9月にヴェネツィア映画祭コンペティション部門でワールド・プレミア上映された塚本晋也監督の『野火』で、今回の上映がジャパン・プレミア。原作は大岡昇平の小説<野火>で、大岡自身のフィリピンでの戦争体験を基に、飢えにさいなまれながら敗走する兵士の孤独と生への執着をテーマにしたもの。

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 1959年に市川崑が船越英二主演で映画化していますが、当時はまだ戦争の記憶があらわに残っていたため、モノクロ映像を使うなど、わざと残虐さを弱める配慮がなされていましたが、今回の映画化は逆に、熱帯の緑、血の赤、死体の黒など原色を強調したリアルな映像で、戦争の悲惨さ、残酷さを目に焼き付けています。20年前から映画化を願っていたという塚本晋也監督は、「多くの人に見てもらいたいので有名な俳優に主役を演じてもらいたかったが、こういう映画が作りずらい状況になってきたので、自分とカメラ1台から始め、1人1人協力者を集めていった。暴力シーンがポイントで出て来るので、げんなりされると思うが、本当に戦争が始まればこんなことではすまない。"戦争は映画の中でたくさん"という気持ちを込めて作った」と語っていました。

tokyo_fil_p_2014_0103.jpg 『野火』は来年7月25日より、東京・渋谷ユーロスペース他で全国公開されます。

【写真・上】開会宣言する林加奈子ディレクター
【写真・中】来日が間に合わず、ビデオで挨拶する今年の審査員長ジャ・ジャンクー監督
【写真・下】『野火』の舞台挨拶の模様で、右から音楽担当の石川忠、出演のリリー・フランキー、森優作、監督・主演の塚本晋也の各氏

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