2012年11月
(4)若い世代の素顔切り取る/眠れぬ夜
25日はコンペ作品から韓国「眠れぬ夜」、メキシコ「MAI MORIRE」の2本、相米慎二監督特集から「セーラー服と機関銃」を見た。久しぶりに晴れ上がり、商店街、マルシェには子ども連れの人が集まり、映画館も前日(土曜日)に負けない観客で賑わった。
「眠れぬ夜」(2012年)は、30代半ばの結婚2年目を迎えるカップルを通して、現代の韓国の若者が抱える鬱屈をさりげなく切り取った作品。
夫は加工場勤務、妻はヨガのインストラクター。仕事帰りはお互い待ち合わせて一緒に自転車で、休日はワインを飲みながらテレビを楽しむ。何も問題がないカップルなのだが、夫は無給での休日出勤を求められ、妻は母から「そろそろ子どもを」と迫られているうちに、妻の自転車が盗まれたことを契機に言い争いをしてしまう...。
チャン・ゴンジュ監督(35)は、「韓国でも核家族化、少子化が進行している中、若者たちは確固たる不満もないが、大きな希望も持てないでいる。そこを具体的なエピソードで描いてみたかった」という。カップル役は監督と同年配だけに、共有できるエピソードから積み上げていき、監督の自宅を使うなど経費を切りつめながら約3カ月で撮り上げたという。
監督にとって、この作品は長編2作目で、韓国の全州国際映画祭でグランプリと観客賞を獲得、今年の東京国際映画祭アジアの風部門にもノミネートされた。
幸せなはずのカップルが、手放しで幸せと言えない、何とも言えないもどかしさを、決して押しつけずに、誰もが納得するようなエピソードの積み重ねで伝えているところがにくい。
【写真】夫のつくった食事を仲良くたべる2人(「眠れぬ夜」より)
「MAI MORIRE」(2012年)は、メキシコシティ内の行政区の1つ、アステカ以来の伝統色が強いソチミルコを舞台に、老女たちが伝統を引き継ぎながらも、工業化での便利さを柔軟に受け入れて暮らしているさまを描く。
エンリケ・リベロ監督(36)は、2008年にメキシコシティにある高級住宅を30年にわたって管理してきた初老の男が、住宅が売りに出されたことで人生の分岐点に立った時の生きざまを描いた「パーク・ビア」で、三大陸映画祭のグランプリを獲得している。フィクションだが、登場人物のリアルな描写は限りなくドキュメンタリーに近く、そのリアルさで、屋敷を出る当日、彼が自分の中に隠していた本心を凶暴な形で出すシーンも納得させた演出が印象的だった。
今回の「MAI MORIRE」でも、死が近い母を世話し、100歳の誕生パーティーを準備するために戻ってきた中年女性を軸にドキュメンタリータッチで展開する。
ソチミルコは縦横に運河が行き交い、沼に浮かぶ農地(チナンバ)での農耕で先史以来から生計を立ててきた地域で、「花の野の地」を意味する。今は巨大化するメキシコシティに取り込まれているが、独特の雰囲気を今に伝えていて、ユネスコの世界遺産にも登録されている。
冒頭の朝もやの中に広がる運河の光景から目を奪われる。監督は、この美しい光景とともに工業化が浸透するさまを、小舟で出かけた老女の足元が、裸足から自慢げな靴へのアップに変わるなどの表現で、田舎の老女たちの、柔軟な暮らしぶりをも描き出す。そして、このシンプルな老女たちの生き様を、将来の世代は受け継いでいけるのだろうか、と問い掛けているのだ。
相米慎二特集の「セーラー服と機関銃」(1981年)は、当時17歳の薬師丸ひろ子を主演に据えたアイドル映画。当時、彼女がラストで歌う主題歌とともに大ヒットを記録した。
相米監督にとっては監督第2作。女子高校生がヤクザの組長になるという破天荒な設定の赤川次郎原作を映画化したもので、当時30代半ばで、若者に遠慮しながら見た記憶は、映画の展開としてはやや平凡だったものの、不思議な味わいの作品だったというものだ。
今回、31年ぶりに見直してみて、大いに楽しんだ。ヒロインが大型クレーンにつり上げられてコンクリート漬けにされそうになったり、対抗組織の本部に乗り込んで機関銃を乱射して「カ・イ・カ・ン」とつぶやいたりなど、えっ本当、というシーンが続出するのだが、妙にシリアスで、監督の遠景でのカメラ長回しも生きていた。何よりアイドルとしての薬師丸が輝いていた。1980年代の東京の風景も今では懐かしい。
【写真】当時17歳、薬師丸ひろ子の左頬に一筋の血(「セーラー服と機関銃」より)
この日の上映では、黒沢清監督と相米監督とコンビを組んだ榎戸耕史さんがそろってあいさつするといううれしいハプニングがあった。榎戸さんは「相米監督が長回しを確立した作品。その分、スタッフは大変だった」と振り返った。
この作品で撮影のアシスタントだった黒沢監督は、機関銃乱射シーンでの忘れられないエピソードを紹介してくれた。
乱射シーンはハイスピード撮影され、薬師丸がガラスの破片でけがしないように、窓に近づきすぎたら「カット」と言うのが黒沢監督の役目だったそうだ。だが実際は、声を出さないでいて、ガラスの破片で薬師丸の頬に一筋の血が流れたが、そのまま公開された。「相米組とは長回しでのワンカットにかけていて、すごいカットが撮れれば満足という、そういう"狂信的"な集団だった。『カット』と言えなかったことを反省しつつ、映画の一番大切なことを学んだのが、このときだった」
日曜日の朝一番の上映だったが、満席の観客は、2人のあいさつに大きな拍手で応えた。
【写真】「セーラー服と機関銃」の上映前にエピソードを紹介する黒沢清監督。
左は相米監督と助監督で長くコンビを組んだ榎戸耕史さん(シネマトグラフで)
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日曜日、映画の合間を縫って、映画祭の通訳ボランティアとして知り合って以降、ナントを訪れるたびに交流をしている日本人女性の3家族と食事をともにした。「香港ノワールと相米さんの特集で10本以上見た」と話す家庭、関心がありながら仕事の関係などで1本も見ていないという家庭、とさまざまだったが、どの家庭も映画祭への関心は強い。そんなところに34回続いている映画祭の"伝統"があるのかもしれない。
再び映画を見るための中心街への帰路、ナント市内で一番高い国際コミュニティーセンタービルの最上32階が特設カフェバー「nid(巣)」として開放されていると聞き、上ってみた。
店名にちなみ巨大なコウノトリのオブジェがテーブル代わりに置かれていた。この日は暗くて見えなかったが、近くのビル何個所かの屋上には、コウノトリが産み落とした卵の跡が目玉焼き風に描かれているという。ここまで遊び心があるとまいってしまう。
店外の通路からナント市街が一望できた。日曜日とあって子ども連れもたくさんいた。ライトアップされた大聖堂、トラム(路面電車)の線路や主要道沿いの街灯、マンション群から漏れる光などが一面に広がっていて素晴らしかった。センタービルはナントの景観を壊すと、僕は好きではなく、唯一、市内を歩き回っているときの目印になるだけと思っていたのだが、こんな景色に出合えるなら、よしとしなければならないだろう。
【写真】国際コミュニティーセンター32階から見たナントの夜景
(3)日本映画の質を高める補助制度を/市山尚三ディレクターに聞く
(3)反米、心のルーツ/メキシコ「リオ・デ・オロ」
監督と主人公という2つの立場を、微妙な距離感を保ちながら描き切ったところは長編第1作とは思えないほど。彼女は20歳までの家族との同居では接点が少なかったが、2年間の海外生活後に親密さを取り戻したこと、父親は消極的だったが、母親が撮影に同意してくれたことが、この作品を生むきっかけになったという。今年のロカルノ映画祭で最優秀新人監督賞を受賞、開幕中の東京フィルメックスではコンペ部門にノミネートされている。
(2)都市の不安 底流に格差の歴史/ブラジル「近隣の音」
23日はブラジルの「近隣の音」、アルゼンチンの「BEAUTY」、中国の「三姉妹」というコンペ作品ばかり3本を見た。
「近隣の音」(2012年)は、ブラジル北西部の都市レシーフェの中間層が暮らすエリアが舞台。一日中、番犬の吠え声が響き、路上駐車の車がいたずらされるなど、住民は漠然とした治安不足に神経をとがらせ、近隣の音にどこかイラついていた。そんな中、警備会社が夜の見張りに乗り出し、さらにはマンション所有者からボディガードの依頼が飛び出す。治安に対する偏執症的な雰囲気は地域にまん延していく。
富裕層は高級マンションに住み、働いているとは思えない。若者は恋の行方だけに気を取られている。だが、富裕層の人たちは、コーヒープランテーションでの酷使で使用人たちが反抗したシーンを回想することがあり、そこから言葉にならない不安が生まれてきている。
番犬を毛嫌いする妻は、それ以外では2人の子供を構い、子供も母親の疲れをほぐしてやろうとする。その一方で、富裕層のガードマンに雇われることになった警備スタッフだったが、そこには酷使の歴史が黒く忍び寄っていた...。
都市生活の小さなあつれきに、歴史の重みを伴った格差が重なるとき、悲劇が生まれることを、監督はワイド画面とフレーミングを駆使して描き切ったといえる。
「BEAUTY」(2012年)は、アルゼンチンのエスニックグループ出身ながら、グループから遠く離れた白人家庭で生活する若い娘ヨーラを通して、何が「美しいもの」なのかを問う。
ヨーラは母親から独りで生活できる術を学んでいて、メイド役を務めるとともに、白人家庭の娘アントの"姉妹"的な役割も担う。アントの15歳の誕生パーティーが伝統通りに行われる中で、ヨーラの長い髪に嫉妬したアントの意向もあって、白人社会で流行しているショートカットにさせられてしまう。母から伸ばし続けるよう言われていたヨーラは一時気落ちするものの、パーティーの準備を黙々と果たしていく。
ヨーラにとっては、目の前の美しさや楽しさより、月、樹木など自然界との接点を大事にした先住民の生き方、考えが自分を支えるものだったのだ。
ダニエラ・セギアロ監督(33)は、幼いヨーラと母親の回想シーン挿入、月や樹木に言い伝えの言葉を重ね合わせるなどの穏やかな表現で、自らの主張を伝えている。
近くに祖父、伯母の家族がいて、牛や羊の飼育などを手伝う代わりに食事は一緒にとるのだが、それ以外は3人だけで暮らしている。服は着たなり、長靴には穴があいている。一見、男の子みたいで、愛らしさとは無縁だが、だからといって哀れみも感じさせない。自らができる範囲で働いているからだ。「近隣の音」でのブラジル富裕層の生活振りとは全く異質の世界なのだ。
2010年の映画祭では、監督初の長編フィクション「無言歌」(原題は「溝」)と、陰陽の写し絵の関係にあるドキュメンタリー「名前のない男」が同時上映され、「生きる」ことへの問い掛けのすさまじさで反響を呼んだ。
今回は直接的な政治的メッセージはないが、経済発展を続ける中国内での地域格差、経済格差の大きさにあらためて直面させられる。舞台となった寒村は標高3,200メートルで、監督は撮影中に高山病にかかって入院、後遺症にも悩まされているという。
過酷な条件の中でも、村の人たちは、それぞれの立場で働き、助け合う。ここには贅沢はないが、生きることのたくましさと生きることの喜びがあふれている。父が帰ってきての親族全体の食事での和みと温かみ、それがあれば、1人残る長女もやっていけるだろう。153分の長編だったが、エンドマークが出る前に観客から大きな拍手が湧いた。
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今年の上映開始映像が昨年の焼き直しだと書いたが、今年、刷新されたものがある。商店街に飾られる映画祭のフラグだ。これまでは赤くて細長いものに「3大陸映画祭」のロゴが入ったものが33年間、ずっと使われ続けた。今年からは幅広い紺地に、ナント出身のジュール・ベルヌにちなみ、熱気球と映写カメラ組み合わせた図案と「3大陸映画祭」ロゴを白抜きにした。見た目もスッキリ、クリスマス商戦の商店街を盛り上げる格好になっている。
「三姉妹」が3時間近い長編だったこともあり、この日は3本だけにして、ナント在住の日本人の友人たちと113年の歴史があるレストラン「シィガル」=写真=で食事をした。前菜に近海で採れるカキ、ハマグリ、エビなどの盛り合わせを頼んだら、宮城県産カキの津波被害に話が及んだ。2年目の今年は出荷できているものの、異常天候もあって小さなものにしか育っていないことを伝えた。ナントでは在住日本人の呼び掛けで寄付、千羽鶴づくり、支援メッセージ集めなどが行われた。