新「シネマに包まれて」

字幕翻訳家で映画評論家の齋藤敦子さんのブログ。国内外の国際映画祭の報告を中心にシネマの面白さをつづっています。2008年以来、河北新報のウェブに連載してきた記事をすべて移し、新しい装いでスタートさせました。

2012年11月

 閉会式は26日午後7時半から、昨年と同じロワール川中州にある国際会議場「シティ・コングレ」で開かれ、コロンビア映画「LA PLAYADC」(2012年、ブラジル・コロンビア・仏合作、ファン・アンドレス・アランゴ監督)を上映後、受賞作が次々と発表された。

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祝福を受けるグランプリのワン・ビン監督 

コンペ部門だが、中国のドキュメンタリー「三姉妹~雲南の子」(ワン・ビン監督=香港・仏合作、2012年)がナント出身のジュール・ベルヌにちなんだ金の熱気球賞(グランプリ)と観客賞(観賞後の観客投票で決定)をダブル受賞、アルゼンチンの「BEAUTY」(ダニエラ・セギアロ監督=2012年)が銀の熱気球賞(準グランプリ)を獲得した。
 
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 銀の熱気球トロフィーを手にほほえむダニエラ・セギアロ監督

 ワン・ビン監督は3部作、9時間に及ぶドキュメンタリー「鉄西区」で2003年、山形国際ドキュメンタリー映画祭と、ここ3大陸映画祭でともにグランプリに輝いている。日本の約6時間に及ぶドキュメンタリー「演劇1・2」(想田和弘監督=2012年)が若い審査員賞、韓国の「眠れない夜」(チャン・ゴンジェ監督=2012年)が審査員特別賞を受賞した。

 地元紙「ウエスト・フランス」は翌朝、「ワン・ビン監督、2度目のグランプリ」の見出しで閉会式の様子を報じた。

 「三姉妹~雲南の子」は、中国市西南部、雲南州の標高3,200メートルにある寒村を舞台に、父親が出稼ぎに出て、残された幼い姉妹3人(6~2歳)が厳しい環境にも負けず自活するさまを描いたドキュメンタリー。3人は、近くに住む祖父や伯母の放牧や農作業を手伝い、食事は一緒にするものの、それ以外は3人だけで生活する。着の身着のまま、靴には穴があいていても、泣き言も言わない。子どもの愛らしさはなく、下の2人は女の子にも見えない。

 特に前半のシーンでは3人の子どもたちに厳しい状況ばかりが続き、ワン・ビン監督は「何を撮りたくてカメラを回しているのだろう」と疑問に感じたほどだった。ただ、そこには哀れみはなく、自らが生き、助け合う3人の姿勢への強い共感がうかがえたことから、約2時間半、最後まで見続けたのだった。

 終盤、父親が帰ってきて、祖父たちも交えての久しぶりの団らん。ファミリーの温もりがジワッと伝わってきた。新しい服と靴を素直に喜ぶ3人。父親は子どもたちを働いている町に連れて行こうと考えるが、経済的な理由から長女だけは置いていかなければならなくなる...。

 生きることのたくましさとは、肩肘を張ったものではなく、自らやらなければならないことを、他人に頼らずにやっていくことだ、という当たり前のことを教えられる。この当たり前が今や当たり前でなくなっている。経済格差、地域格差をあえて突いているわけではなく、都市部では忘れかけているものを、山間の寒村で、しかも幼い子どもの中に見いだしたことに多くの観客は共感したのだろう。観客賞受賞に監督は「驚いた」と話したが、もっともな評価だったと思う。

 準グランプリの「BEAUTY」は、アルゼンチンの先住民出身ながら、親元を離れて白人家庭で生活する若い娘を通して、何が「美しいもの」「伝えていくもの」なのかを問う作品。ダニエラ・セギアロ監督は、長編第1作となるこの作品で、母親との回想や月、樹木などのシーンに母国語を重ねるという穏やかな演出で、土着の起源を伝えたところが評価されたようだ。

 審査員特別賞の「眠れぬ夜」は、30代半ばのカップルを通して、「自分の人生を楽しみたい」のに鬱屈を感じている韓国の現代世相を切り取っている。核家族化、少子化のジワジワとした進行は、韓国でなくとも身近な問題。チャン・ゴンジェ監督は、同年代の主演カップルと共有できるエピソードを積み上げることで、若者の「確固たる不満はないが、大きな希望もない」という現状をさりげなく、でも具体的に提示したところが出色だった。
 
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審査員特別賞のチャン・ゴンジェ監督

 若い審査員賞の「演劇1・2」は劇作家で演出家の平田オリザ(50)の世界を描いたドキュメンタリー2部作。「演劇1」では、平田演劇の哲学や方法論を「平田オリザの世界」として、「演劇2」では芸術と社会との関係を「平田オリザと世界」として描いたものといえる。

 ニューヨーク在住の想田監督は2000年、2006年、平田オリザのニューヨーク公演に出合い、ち密な計算とたゆまぬ練習の上に成立した演劇は、観たままの世界を切り取る自らの観察映画にも通じると感じ、2008年から平田に密着、断続的に延べ60日、300時間を超えて撮影した。編集段階で1本にはまとめきれないと分かり、2部作になったという。

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若い審査員賞の想田和弘監督 

 若い審査員たちは、「ワークショップでの演劇理論、海外公演などの場面に魅了された」と評価した。

 僕にとっても、ワークショップで平田が明快な説明で演劇の世界へと生徒たちを導くシーンは印象的だった。さらに、目指す演劇にどん欲に迫ろうとする平田の気迫を、つかの間の仮眠をいびき付きで挿入するセンス、平田演劇の全体像を切り取ろうと格闘した監督パワーにも圧倒された。カトロザでの上映では、約6時間という上映時間に恐れをなしたのか観客は半分ほどの入りだったが、見終わった人たちは一斉に拍手をしていた。

 授賞式後に想田監督に会った。

 -若い人たちの評価をどう感じましたか。
 「若い人が理解してくれたことは、私も望んでいたことなので大変うれしい」
 
 -十分グランプリに値する内容だったと思うが。
 「長いということで敬遠された面はあったかもしれないが、見てもらえれば、伝えたいことは分かると思っていた。若い人たちに評価されたことで満足だ」

 -平田演劇を描くために苦労した点は。
 「映画の中で平田さん自身が映画と演劇は違うと説明している。そこを乗り越えて平田演劇の全体像を伝えられるか、という点では悩み、2部作になってしまった」

 閉会式後のパーティーでは相米慎二監督特集でナントを訪れていた榎戸耕史監督とも話をする機会があった。相米監督とは「ションベン・ライダー」「台風クラブ」「ラブホテル」の3作で助監督としてコンビを組んだ。映画祭の印象を尋ねたところ「映画が長い歴史として街に息づいていることを感じた。ナントにほれ込んでしまった。相米監督が生きているうちにぜひ来たかった」と感慨深げに話してくれた。

 前日見た「セーラー服と機関銃」を話題にしたら、完成後に角川春樹オーナーと相米監督と3人だけの試写会でのエピソードを披露してくれた。見終わった後、角川オーナーから「角川映画らしくないけど上出来」と言ってもらったという。「角川さんはつくる映画を自分の型に入れようとすると見られていたが、ちゃんと評価できる人だった」

 閉会式前の時間を利用して、コンペ作品のインド映画「ID」(20012年)と「都市に生きる」特集の1つ「お早よう」(小津安二郎監督=1959年)を見た。

 「ID」はムンバイでマーケティングの仕事に就く若い女性が、壁を塗り替えにきた作業員の病死に遭い、理不尽ながらも携帯電話で撮影した彼の写真を手掛かりに身元探しに奔走する。カマル・K・M監督は、大都市の人と人との関係のあいまいさを、見知らぬ男の死に立ち会うという設定で浮き立たせ、"現代の最新武器"すらも、結局は役に立たないということを痛烈に指摘している。

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受賞者・審査員らが勢揃い。右端には榎戸耕史監督の姿も
            
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閉会式の様子を伝える「ウエスト・フランス」

 今回はプログラム構成が変わり、閉会式当日もコンペ作品の上映が行われた。このため上映2日目に訪れると、コンペ作品何本かを見逃すことになるのだが、今回は11本すべてを見ることができた。とはいえ、一方で特集映画を楽しむことができなかった。殊に今回は相米慎二、香港ノワールを中心としたミルキーウェイ作品、「都市に暮らす」がテーマの3つの魅力的な特集がラインアップされていた。コンペ作品が「演劇1・2」の6時間、「三姉妹~雲南の子」の2時間半という長編があったことも、数多くの作品を見る機会を失わせた。招待作の黒沢清監督「贖罪」もコンペ優先で見ることができなかった。何とも悩ましい。ただ、ラインナップが充実していたことは成果だったと思う。来年はどういう構成になるのか楽しみだ。

 25日はコンペ作品から韓国「眠れぬ夜」、メキシコ「MAI MORIRE」の2本、相米慎二監督特集から「セーラー服と機関銃」を見た。久しぶりに晴れ上がり、商店街、マルシェには子ども連れの人が集まり、映画館も前日(土曜日)に負けない観客で賑わった。

 「眠れぬ夜」(2012年)は、30代半ばの結婚2年目を迎えるカップルを通して、現代の韓国の若者が抱える鬱屈をさりげなく切り取った作品。
夫は加工場勤務、妻はヨガのインストラクター。仕事帰りはお互い待ち合わせて一緒に自転車で、休日はワインを飲みながらテレビを楽しむ。何も問題がないカップルなのだが、夫は無給での休日出勤を求められ、妻は母から「そろそろ子どもを」と迫られているうちに、妻の自転車が盗まれたことを契機に言い争いをしてしまう...。

 チャン・ゴンジュ監督(35)は、「韓国でも核家族化、少子化が進行している中、若者たちは確固たる不満もないが、大きな希望も持てないでいる。そこを具体的なエピソードで描いてみたかった」という。カップル役は監督と同年配だけに、共有できるエピソードから積み上げていき、監督の自宅を使うなど経費を切りつめながら約3カ月で撮り上げたという。

 監督にとって、この作品は長編2作目で、韓国の全州国際映画祭でグランプリと観客賞を獲得、今年の東京国際映画祭アジアの風部門にもノミネートされた。
幸せなはずのカップルが、手放しで幸せと言えない、何とも言えないもどかしさを、決して押しつけずに、誰もが納得するようなエピソードの積み重ねで伝えているところがにくい。

12_001.jpg【写真】夫のつくった食事を仲良くたべる2人(「眠れぬ夜」より)


「MAI MORIRE」(2012年)は、メキシコシティ内の行政区の1つ、アステカ以来の伝統色が強いソチミルコを舞台に、老女たちが伝統を引き継ぎながらも、工業化での便利さを柔軟に受け入れて暮らしているさまを描く。

 エンリケ・リベロ監督(36)は、2008年にメキシコシティにある高級住宅を30年にわたって管理してきた初老の男が、住宅が売りに出されたことで人生の分岐点に立った時の生きざまを描いた「パーク・ビア」で、三大陸映画祭のグランプリを獲得している。フィクションだが、登場人物のリアルな描写は限りなくドキュメンタリーに近く、そのリアルさで、屋敷を出る当日、彼が自分の中に隠していた本心を凶暴な形で出すシーンも納得させた演出が印象的だった。

 今回の「MAI MORIRE」でも、死が近い母を世話し、100歳の誕生パーティーを準備するために戻ってきた中年女性を軸にドキュメンタリータッチで展開する。

 ソチミルコは縦横に運河が行き交い、沼に浮かぶ農地(チナンバ)での農耕で先史以来から生計を立ててきた地域で、「花の野の地」を意味する。今は巨大化するメキシコシティに取り込まれているが、独特の雰囲気を今に伝えていて、ユネスコの世界遺産にも登録されている。

 冒頭の朝もやの中に広がる運河の光景から目を奪われる。監督は、この美しい光景とともに工業化が浸透するさまを、小舟で出かけた老女の足元が、裸足から自慢げな靴へのアップに変わるなどの表現で、田舎の老女たちの、柔軟な暮らしぶりをも描き出す。そして、このシンプルな老女たちの生き様を、将来の世代は受け継いでいけるのだろうか、と問い掛けているのだ。


 相米慎二特集の「セーラー服と機関銃」(1981年)は、当時17歳の薬師丸ひろ子を主演に据えたアイドル映画。当時、彼女がラストで歌う主題歌とともに大ヒットを記録した。

 相米監督にとっては監督第2作。女子高校生がヤクザの組長になるという破天荒な設定の赤川次郎原作を映画化したもので、当時30代半ばで、若者に遠慮しながら見た記憶は、映画の展開としてはやや平凡だったものの、不思議な味わいの作品だったというものだ。

 今回、31年ぶりに見直してみて、大いに楽しんだ。ヒロインが大型クレーンにつり上げられてコンクリート漬けにされそうになったり、対抗組織の本部に乗り込んで機関銃を乱射して「カ・イ・カ・ン」とつぶやいたりなど、えっ本当、というシーンが続出するのだが、妙にシリアスで、監督の遠景でのカメラ長回しも生きていた。何よりアイドルとしての薬師丸が輝いていた。1980年代の東京の風景も今では懐かしい。

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【写真】当時17歳、薬師丸ひろ子の左頬に一筋の血(「セーラー服と機関銃」より)


 この日の上映では、黒沢清監督と相米監督とコンビを組んだ榎戸耕史さんがそろってあいさつするといううれしいハプニングがあった。榎戸さんは「相米監督が長回しを確立した作品。その分、スタッフは大変だった」と振り返った。
 この作品で撮影のアシスタントだった黒沢監督は、機関銃乱射シーンでの忘れられないエピソードを紹介してくれた。
 乱射シーンはハイスピード撮影され、薬師丸がガラスの破片でけがしないように、窓に近づきすぎたら「カット」と言うのが黒沢監督の役目だったそうだ。だが実際は、声を出さないでいて、ガラスの破片で薬師丸の頬に一筋の血が流れたが、そのまま公開された。「相米組とは長回しでのワンカットにかけていて、すごいカットが撮れれば満足という、そういう"狂信的"な集団だった。『カット』と言えなかったことを反省しつつ、映画の一番大切なことを学んだのが、このときだった」
 日曜日の朝一番の上映だったが、満席の観客は、2人のあいさつに大きな拍手で応えた。

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【写真】「セーラー服と機関銃」の上映前にエピソードを紹介する黒沢清監督。
左は相米監督と助監督で長くコンビを組んだ榎戸耕史さん(シネマトグラフで)  


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 日曜日、映画の合間を縫って、映画祭の通訳ボランティアとして知り合って以降、ナントを訪れるたびに交流をしている日本人女性の3家族と食事をともにした。「香港ノワールと相米さんの特集で10本以上見た」と話す家庭、関心がありながら仕事の関係などで1本も見ていないという家庭、とさまざまだったが、どの家庭も映画祭への関心は強い。そんなところに34回続いている映画祭の"伝統"があるのかもしれない。

 再び映画を見るための中心街への帰路、ナント市内で一番高い国際コミュニティーセンタービルの最上32階が特設カフェバー「nid(巣)」として開放されていると聞き、上ってみた。

 店名にちなみ巨大なコウノトリのオブジェがテーブル代わりに置かれていた。この日は暗くて見えなかったが、近くのビル何個所かの屋上には、コウノトリが産み落とした卵の跡が目玉焼き風に描かれているという。ここまで遊び心があるとまいってしまう。

 店外の通路からナント市街が一望できた。日曜日とあって子ども連れもたくさんいた。ライトアップされた大聖堂、トラム(路面電車)の線路や主要道沿いの街灯、マンション群から漏れる光などが一面に広がっていて素晴らしかった。センタービルはナントの景観を壊すと、僕は好きではなく、唯一、市内を歩き回っているときの目印になるだけと思っていたのだが、こんな景色に出合えるなら、よしとしなければならないだろう。


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【写真】国際コミュニティーセンター32階から見たナントの夜景

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-今年はカンヌもヴェネチアも中国映画がコンペにない年でしたが。

市山 有名監督の大作でヴェネチア映画祭のコンペに入りそうなものもありましたが、結局入りませんでした。一方、フィルメックスには中国映画がコンペに3本あります。若手の方が面白い。エミリー・タンの「愛の身替わり」はサン・セバスチャンのコンペ、ハオ・ジェの「ティエダンのラブソング」はサン・セバスチャンの若手の部門、「記憶が私を見る」はロカルノの若手のコンペ部門に出ていた作品です。ロカルノのコンペ部門は今、1、2本目の若手監督と、メインと2つあるんで。

-昔は新人に特化した映画祭でしたよね?

市山 マルコ・ミュラーがディレクターをやめた後に、国際映連のAカテゴリーにしたんです。なぜかというと、話がずれますけど、ラテン・アメリカやアジアの国だと、国際映連のAカテゴリーの映画祭だと監督の渡航費が出る。ところが、ロカルノのように特殊なコンペティションの映画祭だと渡航費が出ない。それで、ロカルノのコンペに選ばれたと最初は喜んでいても、ヴェネチアのサブのセクションに入ってしまうと、渡航費が出るのはそっちの方なので、それを理由に断られることが続いたらしい。それで、バカバカしいとは思うがAカテゴリーの映画祭にした、ということです。フィルメックスで、チョンジュ・プロジェクトとして上映するイン・リャンの映画は、単独でロカルノのメインのコンペに出て監督賞を獲りました。イン・リャンはもう4本か5本撮っていますから。さらに、1、2本目の若手監督の作品が入るサブのコンペの方でソン・ファンの「記憶が私を見る」が最優秀新人監督賞を獲っています。ソン・ファンは侯孝賢の「レッド・バルーン」に出ていた女性で、本来監督志望で、カンヌのシネフォンダシオンにも作品が選ばれたりしている人で、彼女の長編デビュー作です。

-マルコ・ミュラーがローマのディレクターになったせいか、ローマは中国映画が多かったし、フィルメックスにも3本ある、ということは中国映画の世代代わりでしょうか?

市山 それもありますね。あと、重要な作品はカンヌのある視点に出ていたロウ・イエの「ミステリー」という映画ですね。

-フィルメックス的な流れで言えば、今年やるべき作品ですが。

市山 日本の配給会社の都合で出来なかったんです。あの映画は実は検閲を通っているんだけど、いろいろとヤバイところがある。最初の金持ちの息子がひき逃げする事件などは今中国で頻繁に起こっていて、中国のお客さんが見たら、"ああ、あの事件か"と腑に落ちるらしいです。

-男に妻と愛人がいて、みたいなメインのストーリーは?

市山 ロウ・イエは野村芳太郎を研究していると言っていました。「0の焦点」など、夫に別の女がいたという話でしたからね。ロウ・イエの1つ前の映画は神代辰巳を研究したそうです。ラブストーリーで、室内のセックスシーンが多いんで、日本の日活ロマンポルノを研究しようとしたら、"1人、格の違う、すごい監督がいたんだ、名前が思い出せない"というんで、僕が"神代辰巳"と書いたら"これだ!"と(笑)。

-今年はイスラエルが大クローズアップされていますが。

市山 コンペにたまたま2本入りましたが、これはイスラエル特集があるからではなく、シャロン・バルズィヴの「514号室」は結構早めに決めたんです。これは低予算でも撮れるという映画で、1つの部屋の中でほとんどすべてのドラマが起こる。ものすごい緊張感を持っているし、デビュー作でここまでやるのは大したものだという映画です。もう1本のアミール・マノールの「エピローグ」はヴェネチアのベニス・デイズに出ていた映画で、かなりスタイリッシュで、イスラエルの建国のときに理想に燃えてイスラエルにやってきたのに、今はもう全然だめだと絶望した老夫婦の話なんです。

-コンペの2本の他に特集がありますね。

市山 今年はイスラエルと日本の外交関係が始まって60周年の記念の年で、2年前に僕と林さんでエルサレム映画祭に行ったんです。それで新作を見るのと同時にアーカイブで旧作を見たら、面白いものが沢山あったので、新作の特集をするよりも今までやったことがない旧作の特集をやろうということで、この4本になりました。「エルドラド」と「サラー・シャバティ氏」は完全な娯楽映画で、「子どもとの3日間」はカンヌのコンペに出ていたアート系の作品、「アバンチ・ポポロ」は戦争映画で、日活が80年代の終わりぐらいに公開していますが、見ている人がほとんどいない。僕も実は見てなかったんです。すごい低予算映画で、2人のエジプト兵がシナイ半島を敗走するうちにイスラエル兵と遭遇し、という話で、イスラエル映画として画期的なのは、アラブ人の側から戦争を描いていること。もちろん反戦映画ですが、そういうところが当時は画期的だった。他の3本は完全に日本初上映で、特にメナヘム・ゴーランの「エルドラド」がめちゃくちゃ面白いです。

-ゴーランはプロデューサーになってからしか知りません。

市山 この人は監督としてかなり優秀です。ミュージカルから何から、いろんなものを撮っていて、ゴーラン特集をやってもいいくらい。彼がロンドンに留学している頃、ロジャー・コーマンがロンドンで撮ってた映画に助監督でついているので、実はロジャー・コーマンの弟子なんです。

-コンペに戻って、イラク映画の「111人の少女」は?

市山 監督はバフマン・ゴバディのお姉さんなんですが、ゴバディの活動拠点が今はイラクというか、イランとイラクにまたがったクルディスタンで、イラク側にお金を出してくれた人がいるらしい。なので、この映画もゴバディの映画も国籍はイラク映画になっています。どこで撮っているかは定かではなく、イラン側かイラク側かわからないクルディスタンのどこかですが、話としてはイランです。

-イランの大統領に手紙を書くという話だから、間違いなくイラン映画ですよね。

市山 "大統領に手紙を書こうキャンペーン"て、知ってます? チェコの監督が撮ったそのドキュメンタリーをベルリンで見たんですが、地方の人達に向けた"大統領に手紙を書こう"というキャンペーンがあって、たぶん大統領本人は読んでないだろうけど、係の人が読んで、ときどき返事が来るらしいんです。どこかの女の子がメッカに巡礼に行きたいんだけど、お金がなくて行けませんとかいう手紙を書くと、その女の子のところに交通費が支給されたりする。そのドキュメンタリーでは、その後、実際に陳情に行く人がいて、たらい回しにされて、みたいな様子を追っています。

-今年は、韓国映画は1本だけですね。

市山 今年はあんまりなかったですね。もちろん特別招待にホン・サンス、キム・ギドクという二大巨頭の映画がありますが。候補の作品は沢山見ましたけど、新しいものがなかった。キム・ヒジョンの「グレープ・キャンディ」は特に新しいものではなかったけど、非常にかっちりとよく出来ているんで。それこそ、野村芳太郎じゃないけど、サスペンス・タッチなんです。

-野村芳太郎特集をやらなきゃいけないですね。

市山 いつかやろうとは思ってるんです。ユー・リクウァイも"すごく面白い"と言ってました。なぜかというと、戦後すぐの日本の混乱した状況、社会不安な部分が今の中国にすごく似ているからでしょうね。

-それで、日本映画2本ですが。

市山 これは2人ともPFFのOBです。インディペンデントの映画ですが、2本ともなかなかすごい作品です。興行とかそういうことは考えずに作りましたという映画で、本当はこういうのがちゃんと当たってくれればいいんですが。

-市山さんは最近の日本映画をどう見ていますか。

市山 最近の日本映画は面白いです。国際映画祭で活躍しないからどうこう、と言われているようですが、見ていくと結構レベルは高いです。ただ、三大映画祭のコンペクラスの映画がないというのは正直なところです。

-製作規模が小さく、大きいものが撮れないから、アイデアが小さくなっているところがあるように思います。

市山 それはありますね。ただ大きく作ろうと思ってもお金が集まらない。内田伸輝の「おだやかな日常」は、おそらく1千万円くらいの規模で作ったんだと思います。高橋泉の「あたしは世界なんかじゃないから」はもっと低予算のように思いますが、そこは極まっていて、すごいものがあるんで。本当はこういう作品に助成金を出すべきなのに、文化庁の助成金制度では製作費5千万というのが申請できる最低のレベルなんです。

-今はデジタル化して、フィルム代と現像代がかからないから、製作費が圧縮されて、1千万でも映画が出来てしまいますよね。

市山 東京単館、全国20館くらいで上映という規模を逆算していくと、1千万以上かけるとリスクが大きくなる。単館で観客が1万人で製作費1千万だと赤字、2万人なら、ようやく何とかという感じです。

-単館で2万人は相当大変ですね。今、劇場自体があまりないし、長くかけてくれません。

市山 ロングランというのがない。観客2万人でも、DVDが売れてプラスマイナス0、テレビセールスで一生懸命がんばって売って、ようやく回収できました、くらいな感じなんです。

-儲けがない?

市山 ないです。本当はそういう映画が5百万補助金をもらったら、すごく大きいわけですが。僕がプロデュースした映画の場合、仕方がないんでプサン映画祭に申請して、プサンのファンドをもらって、ソウルで仕上げをやったことがあります。

-それも恥ずかしい話ですね。

市山 インディペンデントは大変です。DVDが売れそうなバイオレンスものとか、エロチックものだったら、製作費5千万はありえますが、今一番必要なのは、5千万以下の映画に対する助成です。フィルメックスでやるような映画こそ、助成金を必要としている。なのに申請できない。審査すらしてもらえないんです。

-上限を5千万にすればいいのに。

市山 あるいは5千万以下の枠を作ればいい。助成金の総額は今と同じでも、大きな映画に沢山渡しているものを少し削って-

-5千万以下の映画に小分けする。

市山 助成金のシステムはたぶん10年前くらいに出来ているんだと思います。10年前には1千万の映画など自主映画に限られていて、それでは商売にならないし、助成を出す意味がない、ということだった。今や1千万がプロの映画になっている時代ですから。

-この10年で激変した?

市山 格差社会ですね。製作費をかけられる映画はどんどんかけられ、シネコンの大きなチェーンで上映できる。以前はDVDがその辺を調整していたのに、一気に売れなくなったので、劇場で大当たりする映画と単館で終わる映画の差がすごく出て来ました。

-せっかく作った映画が、単館でもなんでも劇場にかけられて、製作費が回収できる形にならないと、映画界はよくならないのでは?

市山 そうなんです。

(11月14日、赤坂の東京フィルメックス事務局にて)

 

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アメリカ人を追って、山を駆け巡る先住民(「リオ・デ・オロ」より)

 24日はコンペ作品のメキシコ「リオ・デ・オロ」、中国「記憶が私を見る」の2本と相米慎二監督特集から「台風クラブ」を見た。

 「リオ・デ・オロ」(2012年、メキシコ・米合作)は、メキシコ北西部のアメリカと接するソノラ州を舞台に、先住民、アパッチ、アメリカ人たちが欲望と憎悪の中で争い、傷ついていくさまを、砂漠と山岳地帯の広大な景観を写し込みながら描く。

 メキシコは1936年、アングロサクソン系入植者の反乱でテキサスが独立、45年には米国に併合されるが、テキサスの領有を巡ってアメリカ・メキシコ戦争が起こり、その敗戦で48年にはテキサスだけでなくカリフォルニアも失った。この作品は、その後の1853年の姿を描く。

 平穏な入植者集団を問答無用に銃撃するアメリカ人、黄金を求めて孤独な旅を続ける男、先住民の集団も追い詰められ、一部はアメリカ人に反撃をする。社会的、民族的格差は大きい傷口となって、今も根強く続いている。言い換えると、それが今のメキシコ人の"闘争心"を支えているとも言えるかもしれない。

 パブロ・アンドレテ監督(40)は、それだけを主張しないで、砂漠に生き続けるサボテン、その花に集う虫たち、広大な山岳地帯を自由に飛び回る鳥たちのシーンを挟み込むことで、人間の欲望と憎悪の世界の小ささをあざ笑ってでもいるかのようだ。

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本当の家族の中から紡ぎ出される会話が心地よい(「記憶が私を見る」より)

 「記憶が私を見る」(2012年)はソン・ファン監督自身が主人公となって、南京に住む両親を訪ね、両親や親族らとの会話を通して1つの家族の姿を描き出したユニークな作品。まさにドキュメンタリーとフィクションの境界に立つ作品だ。家族間ならではの会話は、リズム良く展開されて心地いい。話題はありふれたものだが、健康や老いなどでは世代間の違いもあぶり出され、家族と自分の過去がどうで、現在にどうつながるかが、見る側にもすんなりと伝わってくる。

 監督と主人公という2つの立場を、微妙な距離感を保ちながら描き切ったところは長編第1作とは思えないほど。彼女は20歳までの家族との同居では接点が少なかったが、2年間の海外生活後に親密さを取り戻したこと、父親は消極的だったが、母親が撮影に同意してくれたことが、この作品を生むきっかけになったという。今年のロカルノ映画祭で最優秀新人監督賞を受賞、開幕中の東京フィルメックスではコンペ部門にノミネートされている。

 相米慎二監督特集は、ドキュメンタリーの「月山」とフィクション全13作品が集められた。版権の問題でDVD化されてない「雪の断章 情熱」(1985年)は貴重な出合いになるはずだったが、コンペ作品との関係で見ることができず、残念だった。

 「台風クラブ」(1985年)は、東京近郊の中学校を舞台に、台風の接近とともに自分でも説明のつかない感情に突き動かされて騒乱状態に陥る中学生たちの姿を通して、思春期の揺れ動くさまをクールに描いた青春映画。ヤクザの対立に巻き込まれて誘拐されたガキ大将を救出しようと、大人の論理に振り回されながらも奮闘する少年少女たちを描いた「ションベン・ライダー」(1983年)とともに、相米監督の思春期映画の代表作だ。

 冒頭の夜の学校プールのシーンから"過激"だ。泳ぎに来た女子生徒5人(工藤静香、大西結花ら)は、先に来ていた男子生徒を見つけてイタズラをし、おぼれ死に寸前にさせてしまう。台風が近づいていて、生徒たちは徐々におかしくなっていく。

 台風襲来当日に学校に残って閉じ込められた生徒たちは、暴風雨のなか全員裸になって踊り狂うのだが、相米監督のカメラを引いた長回しが、この世代の訳の分からず、しかも危うい感情の発露を見事にとらえていたと思う。

 中学校時代の世間・大人への反発や感情のストレートなぶつかり合いなど、もう遠い過去のものとなっていたものが、見ているうちに、当時の感覚のまま呼びさまされた気がした。映画館を出てみると、一転外は強風が吹き荒れていた。映画祭フラグがバタバタとはためき、引きちぎれて落ちてくるのでは、と心配したほどだった。そういえば中学生までは台風の襲来に訳もなく心が騒いだことも思い出した。

 上映前に、この作品の助監督だった榎戸耕史さんが、「撮影時は雨も風もなく、台風シーンをつくり出すのにスタッフが必死だった。ほとんど素人のような子どもたちだったが、みんな頑張った。そんなことを知って見てもらえるとうれしい」とあいさつ、盛んな拍手を浴びた。ただ、上映では、フィルムが古いこともあって10回近く上映が中断、そのたびに相米ワールドから現実に引き戻されたのは残念だった。

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クリスマス商戦で賑わうマルシェ(パレ・ロワイヤル)

 週末になって、クリスマス商戦の装いも整った街には、プレゼント下見の人たちがどっと繰り出した。この日も小雨が降り、夕方からは強い風が吹き荒れたが、夜遅くまで人々の姿が町中にあふれた。クリスマス用品の小物から装身具、チョコレートやワインとさまざまなものを扱う、この時期特有の"マルシェ(出店)"も店開きした。ナントの中心ロータリー、パレ・ロワイヤルには60近くが開店、日中からホットワインの甘い香りが周囲に漂った。

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週末になり、映画祭上映館前にも長い列ができた(カトロザ前)

 23日はブラジルの「近隣の音」、アルゼンチンの「BEAUTY」、中国の「三姉妹」というコンペ作品ばかり3本を見た。

 「近隣の音」(2012年)は、ブラジル北西部の都市レシーフェの中間層が暮らすエリアが舞台。一日中、番犬の吠え声が響き、路上駐車の車がいたずらされるなど、住民は漠然とした治安不足に神経をとがらせ、近隣の音にどこかイラついていた。そんな中、警備会社が夜の見張りに乗り出し、さらにはマンション所有者からボディガードの依頼が飛び出す。治安に対する偏執症的な雰囲気は地域にまん延していく。

neighbors.jpg【写真】子どもに体をほぐされて一瞬、都市生活のストレスを忘れる(「近隣の音」より)

 クレバー・メンドウーサ・フィリオ監督(44)は、この地域の状況を3つの側面、「番犬」「夜の見張り」「ボディガード」に分けて、絡み合わせながら描く。「番犬」の中では、エリアの中では普通の家庭の妻が隣の番犬の吠え声に苛立ち、睡眠薬入りの肉を投げ与えたり、高周波で撃退したりする。「夜の見張り」では、警備での新たな出費を嫌がる一方で、富裕層は導入に積極的な姿勢を見せる。警備スタッフと地域住民との間には、目に見えない溝があるようだ。

 富裕層は高級マンションに住み、働いているとは思えない。若者は恋の行方だけに気を取られている。だが、富裕層の人たちは、コーヒープランテーションでの酷使で使用人たちが反抗したシーンを回想することがあり、そこから言葉にならない不安が生まれてきている。

 番犬を毛嫌いする妻は、それ以外では2人の子供を構い、子供も母親の疲れをほぐしてやろうとする。その一方で、富裕層のガードマンに雇われることになった警備スタッフだったが、そこには酷使の歴史が黒く忍び寄っていた...。

 都市生活の小さなあつれきに、歴史の重みを伴った格差が重なるとき、悲劇が生まれることを、監督はワイド画面とフレーミングを駆使して描き切ったといえる。

 「BEAUTY」(2012年)は、アルゼンチンのエスニックグループ出身ながら、グループから遠く離れた白人家庭で生活する若い娘ヨーラを通して、何が「美しいもの」なのかを問う。

 ヨーラは母親から独りで生活できる術を学んでいて、メイド役を務めるとともに、白人家庭の娘アントの"姉妹"的な役割も担う。アントの15歳の誕生パーティーが伝統通りに行われる中で、ヨーラの長い髪に嫉妬したアントの意向もあって、白人社会で流行しているショートカットにさせられてしまう。母から伸ばし続けるよう言われていたヨーラは一時気落ちするものの、パーティーの準備を黙々と果たしていく。

 ヨーラにとっては、目の前の美しさや楽しさより、月、樹木など自然界との接点を大事にした先住民の生き方、考えが自分を支えるものだったのだ。

 ダニエラ・セギアロ監督(33)は、幼いヨーラと母親の回想シーン挿入、月や樹木に言い伝えの言葉を重ね合わせるなどの穏やかな表現で、自らの主張を伝えている。
 

 「三姉妹~雲南の子」(2012年、仏・香港合作)は、中国最西南部、雲南省の寒村が舞台。母はなく、父は出稼ぎの幼い三姉妹(6~2歳)の生活にワン・ビン(王兵)監督(45)が執ように迫ったドキュメンタリーだ。

sisters.jpg【写真】幼子だけのぎりぎりの生活でも哀れみはない(「三姉妹~雲南の子」より)

 近くに祖父、伯母の家族がいて、牛や羊の飼育などを手伝う代わりに食事は一緒にとるのだが、それ以外は3人だけで暮らしている。服は着たなり、長靴には穴があいている。一見、男の子みたいで、愛らしさとは無縁だが、だからといって哀れみも感じさせない。自らができる範囲で働いているからだ。「近隣の音」でのブラジル富裕層の生活振りとは全く異質の世界なのだ。
 出稼ぎに出ていた父が戻り、子どもたちに笑顔が戻る。父は子どもたちを近くの町へ連れていこうと考えるが、経済的問題から難しい。長女だけが残ることに...。

 2010年の映画祭では、監督初の長編フィクション「無言歌」(原題は「溝」)と、陰陽の写し絵の関係にあるドキュメンタリー「名前のない男」が同時上映され、「生きる」ことへの問い掛けのすさまじさで反響を呼んだ。

 今回は直接的な政治的メッセージはないが、経済発展を続ける中国内での地域格差、経済格差の大きさにあらためて直面させられる。舞台となった寒村は標高3,200メートルで、監督は撮影中に高山病にかかって入院、後遺症にも悩まされているという。

 過酷な条件の中でも、村の人たちは、それぞれの立場で働き、助け合う。ここには贅沢はないが、生きることのたくましさと生きることの喜びがあふれている。父が帰ってきての親族全体の食事での和みと温かみ、それがあれば、1人残る長女もやっていけるだろう。153分の長編だったが、エンドマークが出る前に観客から大きな拍手が湧いた。

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 今年の上映開始映像が昨年の焼き直しだと書いたが、今年、刷新されたものがある。商店街に飾られる映画祭のフラグだ。これまでは赤くて細長いものに「3大陸映画祭」のロゴが入ったものが33年間、ずっと使われ続けた。今年からは幅広い紺地に、ナント出身のジュール・ベルヌにちなみ、熱気球と映写カメラ組み合わせた図案と「3大陸映画祭」ロゴを白抜きにした。見た目もスッキリ、クリスマス商戦の商店街を盛り上げる格好になっている。

flag02.jpg
【写真】一新された映画祭フラグ。クリスマス商戦の商店街を応援するかのよう


 「三姉妹」が3時間近い長編だったこともあり、この日は3本だけにして、ナント在住の日本人の友人たちと113年の歴史があるレストラン「シィガル」=写真=で食事をした。前菜に近海で採れるカキ、ハマグリ、エビなどの盛り合わせを頼んだら、宮城県産カキの津波被害に話が及んだ。2年目の今年は出荷できているものの、異常天候もあって小さなものにしか育っていないことを伝えた。ナントでは在住日本人の呼び掛けで寄付、千羽鶴づくり、支援メッセージ集めなどが行われた。


restaurant.jpg【写真】近海のカキなどを盛り合わせた前菜。室内装飾も一見の価値あり(「スィガル」で)



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