祝福を受けるグランプリの富田監督
閉会式は28日午後7時半から、昨年と同じ市内中州にある国際会議場「シティ・コングレ」で行われた。
コンペ部門だが、ナント出身のジュール・ベルヌにちなんだ金の熱気球賞(グランプリ)は日本の「サウダーヂ」(富田克也監督=2011年)、銀の熱気球賞(準グランプリ)は中国の「人山人海」(蔡尚君監督=2011年)と、ともにアジアの作品が獲得した。
日本のグランプリ獲得は1990年の「ウンタマギルー」(高嶺剛監督=1989年)、1998年の「ワンダフルライフ」(是枝裕和監督=1998年)に次いで3作目。
富田監督は金色の熱気球トロフィーを手に、「映画発祥の地フランスに来て、あこがれていたナント3大陸映画祭の最高賞はうれしい」と、喜びを表現した。
審査員特別賞と観客賞(観賞後の観客投票で決定)はブラジルの「Girimunho(渦巻)」(ヘルヴェチオ・マリンとクラリサ・カンポリーナの共作=2011年)が受賞した。地元紙「ウエスト・フランス」は翌朝、「映画のない国は存在しない」との見出しで閉会式の様子を報じた。
「サウダーヂ」は、富田監督の出身地甲府市が舞台。中心街がシャッター通り化し、閉塞感漂う中、工事現場で働く若者、日系ブラジル人移民、タイ人ら出稼ぎアジア人たちが、それぞれのグループを形成しながら複雑に絡み合い、いろいろな問題が顕在化してくる。
建設業にもリストラの波が襲い、かろうじて均衡が保たれていた人種を超えたコミュニティーもゆがんでくる。日本に心を残しながら帰国していく移民たち、日本での稼ぎにしがみつくしかない出稼ぎの人たちに対して、日本人は...。逃げ帰る所はなく、「ここしかない」の必死さも希薄だ。目の前のことだけでやり過ごそうとしてしまう。だが、心は複雑に揺れる。日本はどうなってしまうのか、そんな富田監督のつぶやきが耳元に響く。
この状況は甲府だけではないのだが、自分の住むところは違う、と思って見る人もいるだろう。だが、ナントの審査員は、この問題点をしっかり受け止めた。人種問題も含んだエピソードの数々を、約3時間、丁寧に積み重ねことで、「今の日本を伝えたい」という監督の思いはストレートに伝わったようだ。カトロザでの上映では、熱い拍手が贈られた。
授賞式後に富田監督に会った。
-一番描きたかったことは。
「欧米が日本に抱いているイメージは、映画の作品としてでも現実でも、少し前の過去に固定されているのではないか。"今の日本"を知ってほしかった」
タイトルの「サウダーヂ」は、愛情の対象となる人や事象を喪失した際に感じる切なさなどの心の動きを意味するポルトガル語だ。
-どの段階で、このタイトルを?
「脚本づくりの途中では固まっていたが、最終的にはサウダーヂを実在する山王団地と言い間違うシーンがあって、これだ、と決めました」
-現実を描くのに普通の人を使ったのは。
「自分自身が映画づくりの資金を稼ぎながら週末に撮るというスタイル。1年間の下調べの中で人と出会い、構想を練った。出演者の中にはリストラで帰国する人も出てきたが、何とか仕事を見つけて残ってもらったケースも。こんなやり方でしかできない」
「映画祭でいい出会いがあったので、次の作品に向けて動き出したい」
準グランプリの「人山人海」は、弟を殺された兄が、復讐心から犯人を追って非合法炭鉱にたどりつく。そこでの過酷な労働を通して、兄の心は微妙に変化する。兄は復讐を遂げるのか...。
非合法炭鉱の描写が中国当局の検閲を受けていないことから、ベネチア映画祭コンペ部門でサプライズ上映され、銀獅子賞(監督賞)を受賞した作品。炭鉱での過酷な状況の丹念な描写は観客を圧倒し、意外な結末へと連なる兄の心の動きから目が離せなかった。中国映画の底力を感じた。観客も準グランプリ受賞を沸き上がる拍手でたたえた。
審査員特別賞と観客賞の「Girimunho」は、死を自然に受け入れようとする高齢者の暮らしぶりが描かれるが、日程の関係で見ることはできなかった。
新体制となった一昨年から、"節約"が第一目標になって女優、男優、監督賞などの各賞はなくなった。審査員が選ぶのはグランプリ、準グランプリの2つだけ。昨年も感じたが、審査の過程でいいものがあれば、別の賞を復活する気概が欲しいと思った。
閉会式前の時間を利用して、イランのアミール・ナデリ監督が、日本を舞台に日本人俳優を使って、映画への熱い想いを表明した「Cut」(2011年)を見た。
殴られた秀二を気遣う陽子=「Cut」より
妥協を許さない映画作家の秀二(西島秀俊)は、彼を支援してくれていた兄が殺され、ヤクザに多額の借金を背負うことになる。殴られ屋で返済しようとする秀二を、組事務所のバーテンダー陽子(常盤貴子)は陰ながら支える。期限前日、1日で約400万円を稼ぎ出さなければならない。自分の愛する作品を思う浮かべることで耐え続ける秀二だが...。
今年のベネチア映画祭オリゾンティ部門のオープニングを飾った作品。
ナデリはアッバス・キアロスタミ監督作品で脚本を担当、3大陸映画祭では1986年に「駆ける少年」、1989年に「水、風、砂」で2度グランプリを獲得している。
2005年、東京フィルメックスで審査員だった西島とナデリ監督が出会ったことが、この作品を生むきっかけとなった。監督は殴られるシーンを省略することなく執ように描く。「7年間待っていた」言う西島の演技もすさまじい。殊に最終日の100発を、愛する100本のタイトルと重ね合わせるシーンは、ここまでやるのかと思わせる。それだけに「真の娯楽であり、芸術である!」はずの映画の、娯楽本位に傾いた現状への"殴り込み"ともいえる。秀二が黒澤明、小津安二郎、溝口健二の墓を訪れ、映画の在り方を自問するシーンも印象的だった。
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新体制で3年目の採点も、辛くしか付けられない。事前PRはラジオと大型ポスターで昨年よりは改善され、週末は入場者でいっぱいになった。うれしい光景だった。日活100周年特集は楽しかった。特に活動弁士つきのサイレント上映はなかなか出合えないだけに、中心部から離れた会場で行われても、フランス人の好奇心を刺激したのか、大盛況だった。だが、映画祭が目的の1つにしている町おこしの側面は後退感がぬぐえず、閉会式での会場と壇上とが一体となった高揚感は感じられなかった。課題は持ち越された。