新「シネマに包まれて」

字幕翻訳家で映画評論家の齋藤敦子さんのブログ。国内外の国際映画祭の報告を中心にシネマの面白さをつづっています。2008年以来、河北新報のウェブに連載してきた記事をすべて移し、新しい装いでスタートさせました。

2011年05月

 壇上のロバート・デ・ニーロが最高賞のパルムに『ツリー・オブ・ライフ』の名を告げると、副会場のドビュッシー・ホールで授賞式の中継を見ていたプレスの間から、どよめきがあがりました。

 このレポートでもお伝えした通り、"今年のカンヌはテレンス・マリックにパルムを与えるためにある"、というのがプレスの間での通説で、私の友人など、"ロバート・デ・ニーロはそのために審査員長に選ばれた"とまで言っているほど。私は『ツリー・オブ・ライフ』がとても好きでしたし、マリックの経歴を考えれば納得の受賞だと思いますが、ストーリーのない、難解な内容には評価が分かれていました。

 2席のグランプリには、賞の常連ダルデンヌ兄弟とヌリ・ビルゲ=ジェイランが並びました。『少年と自転車』はダルデンヌ兄弟らしいヒューマニズムに溢れた作品でしたが、彼らの他の作品に比べると少し物足りなさを感じました。逆に、ビルゲ=ジェイランの『昔々、アナトリアで』は、ありふれた殺人事件を通じて人間の弱さや悲しさを細密に描き出した傑作で、3年前に監督賞を獲った『3匹の猿』より遙かに力があり、今年でなければパルムを獲っていたかもしれません。

 プレスが最も沸いたのは、今年、最も広く支持を集めた2本、ニコラス・ウィンディング・レフンの『ドライヴ』とミシェル・アザナヴィシウスの『アーティスト』に、それぞれ監督賞と男優賞が与えられたときでした。が、最も驚いたのは『メランコリア』のキルステン・ダンストの女優賞。というのも、数日前の騒動でラース・フォン・トリアー監督に"ペルソナ・ノングラータ"の処分が下された後、彼の作品がどう扱われるかに注目が集まっていたからです。女優賞を獲らせたことは、トリアー作品の無視できない力を映画祭が認めている意思表示と私は理解しました。ただし、これ以上問題が悪化するのを避けるためか、授賞式後に行われる受賞者の記者会見にダンストは現れませんでした。

 残念だったのは、私が最も好きだったアキ・カウリスマキの『ルアーヴル』が賞から漏れてしまったことです(ただし、国際映画批評家協会賞を受賞)。実は、授賞式の前日、シネマテーク・スイスの元館長でカンヌ映画祭参加54回目の大長老、フレディ・ビュアシュさんから、"カウリスマキは本賞の審査員には受けてないよ"と聞いていたので、この結果には驚きはしませんでしたが、さらに、犬のライカ(5代目)まで、『アーティスト』で大活躍するジャックラッセルテリアのアギーにパルム(名犬賞)をさらわれ、次点の審査員特別賞に終わってしまいました。

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 今年は、若手の登竜門である短編コンペとシネフォンダシオン部門でも日本映画と日本に関連する映画が上映されました。

CIMG1348.JPG 1本は、短編コンペ部門で上映された田崎恵美(めぐみ)監督の『ふたつのウーテル』。母親が違う姉と弟の出会いを描いた15分の作品。姉弟の複雑な感情に正面から向き合い、きちんと描き出そうとしているところが魅力的な小品でした。田崎さんは1987年生まれの24歳。早稲田大学の映画研究会に所属し、自主映画作りの現場で映画を学んだそうで、若いながら、すでに短編2本、長編2本を撮っているという"ベテラン"です。

 昨年の東京フィルメックスのレポートで市山尚三ディレクターにインタビューした際にも話題になった通り、日本映画の課題の1つは若手の育成。今年は2本の日本映画がコンペ入りするという画期的な年でしたが、日本映画界の現状は決して明るいものではありません。市山ディレクターの話にあったように、河瀬直美監督を追って世界に出て行く若手がいないことが、人材の厚い中国や韓国に大きく差をつけられているところです。田崎さんのように、きっかけを掴んだ若い映画作家が、この先も順調に伸びていくにはどうすればいいのかを、日本映画界全体の問題として考えていかなければならないと思います。

CIMG1662.JPG もう1本は、シネフォンダシオン部門で上映されたナタナエル・カルトンさんの『スウとウチカワ』で、東京に住む70代の老人ウチカワとミャンマー人の不法滞在者の妻スウを主人公にした11分の短編。監督のカルトンさんは東京生まれ。お父さんがパティシエで、東池袋とアビニョンとパリで育ち、ニューヨーク大学ティッシュ・スクールで映画を学んだという変わり種です。日本映画を知ったのは実はフランスに帰国してからなのだそうで、初めは溝口健二や黒澤明といったクラシックを、最近では黒沢清や是枝裕和の映画を見ているとか。この作品のテーマは、日本の新聞で読んだ不法滞在者の記事に感銘を受けて決めたとのこと。この後もまた東京で映画を撮る予定だそうです。

 2年前にヴェネチア映画祭で日系アメリカ人ディーン・ヤマダ監督が東京で撮った『自転車』が短編コンペ部門に出品されていたのも記憶に新しく、カンヌでも10年前にデヴィッド・グリーンスパン監督がカリフォルニアで撮った日本映画『おはぎ』が短編グランプリを獲りました。これからも日本で映画を撮ろうとする若い映画監督がどんどん出てくることでしょう。
国と国との交流は、政治や外交で行うことより、映画を始め、アニメや漫画、音楽といった大衆文化によることの方がずっと広く、深く、温かく、浸透すると思います。聞くところによると、数年前にカンヌで発表された日仏映画合作協定は、日本側の対応の遅れで、いまだに締結に至っておらず、フランスで映画を撮りたい日本の映画人の足かせになっているそうです。カトリーヌ・カドゥ監督の『クロサワの道』を見るまでもなく、黒澤映画が世界中のどれほど多くの人々に日本を知るきっかけを与えたかは明らか。日本政府には映画を通じた文化交流の大切さに目を向け、もっと積極的に取り組んでもらいたいと切に願います。

写真上は田崎恵美さん、今年中に30分の中編を撮る予定とか。
写真下はナタナエル・カルトンさんで、『ドラゴンボールZ』を見て育ったという好青年です。

 今年から、映画祭が1つの国を選んで、その国の映画を紹介する企画が始まり、最初の招待国にエジプトが選ばれました。これは今年の1月に民衆の抗議活動がムバラク大統領を辞任に追い込み、独裁体制を倒したことを受けてのことで、前のレポートでお伝えした"チュニジアへのオマージュ"も、同じ意図で企画されたものです。

 去年のレポートでもお伝えした通り、去年のカンヌは、イラン当局に突然逮捕・拘束されたジャファール・パナヒを助けるため、映画祭が彼を審査員に選び、結果として彼の不在が強調されて、表現の自由を奪われたイランの映画人の問題を世界にアピールした年でした。
その後、各国の映画祭や映画人が連帯して働きかけた結果、パナヒは、今は拘束を解かれて自宅軟禁状態にあります。そのパナヒがドキュメンタリー作家のモジタバ・ミルタマスブと共同で作った『これは映画ではない』が特別上映されました

 『これは映画ではない』という題名は、シュールレアリストの画家ルネ・マグリットの有名な絵<これはパイプではない>のもじりではなく、当局から20年の活動禁止を申し渡されているパナヒが編み出した、"映画でなければ何を作ろうと違反にならない"という苦肉の策。
その内容は、テヘランの花火大会の日、自宅でひとり留守番をするパナヒを友人のミルタマスブが訪れ、弁護士からの電話を受けたり(その内容から、パナヒにかかっている罪は法律上には存在しないもので、純粋に政治的な処置であったことがわかってきます)、ペットのイグアナに餌をやったり、隣人の犬を預かったりするなか、彼が撮ろうとしていた映画の内容を説明しようとする(パナヒ曰く"映画に作ることは禁じられているが、脚本を読むことは禁じられていない")1日を追ったドキュメンタリーです。

 "人は映画を撮ることで映画監督になる"と言ったのはアニエス・ヴァルダですが、逆の意味で、映画監督に映画を撮ることを禁じるのは、息を吸うことを禁じるようなもの。どんな手段でも創作活動を続けようとするパナヒ監督のゆるぎない強い意志と作家魂に感服すると共に、その勇気に拍手を送りたいと思いました。
写真は、『これは映画ではない』の上映前に、国外はもとより、家の外にさえ出ることが出来ないパナヒ監督に代わって会場の観客に挨拶するミルタマスブ監督(右)です。

20110523.jpg 今年のカンヌには、こういった特別な企画だけでなく、上映される作品にも政治を扱ったものが沢山ありました。フランスのサルコジ大統領やシラク元大統領といった政治家をそっくりの俳優が演じるグザヴィエ・デュランジェの『征服』や、フランスの架空の運輸大臣を主人公に、政治の裏側を描いたピエール・シェラーの『政府の演習』、コンペ作品のアラン・カヴァリエ『パテル』(ラテン語で"親"の意味)は、カヴァリエと俳優のヴァンサン・ランドンが"フランス大統領と首相ごっこ"をするというドキュメンタリーとフィクションの狭間にある面白い映画でした。

 そんな政治的な年だからなのか、映画祭の最中にドミニク・ストロス=カーンの事件が起こって、映画祭から世間の注目が奪われてしまったのは皮肉なことでしたが、最後にだめ押しのようにラース・フォン・トリアーの舌禍事件が起きてしまいました。

 事件の発端は、コンペに出品している新作『メランコリア』の記者会見で、映画にゴシックな雰囲気があると質問されたトリアーが、"自分はヒトラーに少し親近感を抱いている"と言ってしまったことでした。その場を取り繕おうと、冗談のつもりで"僕はナチなんだ"と言って笑いを誘ったものの、その日の午後、発言を問題視した映画祭から謝罪を求められ、トリアーもそれに応じて一端騒動は終結しました。
ところが翌朝、映画祭のオフィスで開かれた謝罪会見のときのフォトセッションで、今度はFUCKと書いた拳をカメラに突き出してみせ、反省の色のないトリアーに映画祭側も堪忍袋の緒が切れて、前代未聞の"ペルソナ・ノングラータ"(好ましからざる人物)処分が下り、トリアーの会場への立入が一切禁止されてしまいました。

 トリアーは、いわゆる紙一重の天才で、これまで何度も舌禍事件を起こしているうえ、特に最近は精神的に不安定な状態にあるので、映画関係者の間では"ああ、またか"という反応が多いのですが、ヨーロッパではネオナチの台頭が無視できない時期。真意はともかく、トリアーには公人としての自覚を持ち、発言・行動を謹んでもらいたいというのがプレス共通の思いです。

 映画祭が終盤に入った18日に河瀬直美監督の『朱花の月』、翌19日に三池崇史監督の『一命』の公式上映がありました。17日の夜には、ある視点部門で、シンガポールのエリック・クー監督が日本の劇画家辰巳ヨシヒロの作品をアニメ化した『TATSUMI』の上映があり、18日の夜には、監督週間で園子温監督の『恋の罪』の上映もあったので、この3日間は、ちょっとした日本デイズとなりました。

 『朱花の月』は、万葉集で歌われた愛の三角関係(畝傍山の愛を香具山と耳成山が争ったという巻一の十三の歌)をモチーフに、古代から現代へと続いてきた果たせない人間の思いを、河瀬らしい感性で綴った作品で、日本では9月3日から公開されます。

110522-1CIMG1068[1].jpg 前日17日の午後には、エストニア・パビリオンで「零年における60秒の孤独」プロジェクトの発表が行われ、河瀬監督が会見に招かれました。これは、ヨーロッパ文化首都に選ばれたタリン市が、世界中の映画人に60秒の映像の絵葉書を撮ってもらい、それをコラージュした作品を1度だけ上映してタリンの海に沈めるというプロジェクトで、カウリスマキ、クローネンバーグ、ジャームッシュら、そうそうたる世界の映画監督と共に河瀬監督の参加が決まったもの。
 この会見に引き続き、今度は河瀬監督から、"3.11 A Sense of Home"フィルム・プロジェクトの発表がありました。これは河瀬監督が発起人となって、3月11日の東日本大震災にちなんで世界の20人の映画作家に3分11秒の短編を撮ってもらい、1本の作品にして9月11日に奈良の寺院で上映し、その後、被災地で巡回上映するというプロジェクトです。写真は、2012年に映画誕生百年を迎えるエストニア映画を記念するポスターの前に立つ河瀬直美監督です。

110522-2CIMG1259[1].jpg 19日の午後、コンペ部門では2本目となる三池崇史監督の『一命』の上映がありました。三池監督は、前作の『十三人の刺客』が昨年ヴェネチア映画祭のコンペ部門に選ばれており、今、世界が注目する最も熱い日本人の映画監督と言ってもいいでしょう。製作は前作と同じジェレミー・トーマスで、コンペ部門初の3D作品ということも大きな話題になりました。写真は記者会見の模様で、三池監督(左)と瑛太さん(右)。カンヌに現れなかった主演の市川海老蔵さんに代わって、瑛太さんが役に込めた思いを語ってくれました。

110522-3CIMG1259[1].jpg110522-4CIMG1259[1].jpg 写真上は、『恋の罪』の上映前に観客に挨拶する園子温監督と主演の神楽坂恵さん。左は監督週間のディレクター、フレデリック・ボワイエ氏。

 写真下は、『TATSUMI』の上映後、観客からの拍手に応える辰巳ヨシヒロさん(左)とエリック・クー監督です。

20110520.jpg 本来なら、大本命の『ツリー・オブ・ライフ』の登場で一気に盛り上がるはずのカンヌでしたが、土曜の深夜、IMFのトップで、来年の大統領選の最有力候補といわれるドミニク・ストロス=カーン(愛称DSK)がニューヨークのホテルで部屋を掃除に来たメイドをレイプしようとして逮捕され、フランス中がひっくり返るような大騒ぎになりました。月曜には憔悴したDSKがニューヨークの法廷で女性判事から"逃亡の怖れあり"(ケネディ空港で離陸直前のパリ行きの機内で逮捕されたため)として(百万ドルの保釈金を積んでも)保釈が拒否される映像がニュース・チャンネルで繰り返し流され、映画祭の会場でもテレビの前に人だかりが出来るほど。
 月曜からメディアの話題はすべてDSKの事件で、火曜の朝刊一面も、『ツリー・オブ・ライフ』のブラピに代わってDSK一色。『ツリー・オブ・ライフ』があまりに強力なので、他の作品が別の日の上映を希望したため、通常なら1日2本上映されるコンペ作品が、月曜は1本だけになってしまったという、いわくがあるのですが、そんな配慮も吹き飛んでしまいました。

 私が驚いたのは、DSKの逮捕が最初にフランスに伝わったのが一般人のツイッターだったという事実です。東日本大震災のときも、テレビや新聞といったマスコミに代わってツイッターが大きな威力を発揮したのはご存知の通り。事件の報道があってから、映画祭の会場でもスマートフォンでニュースをチェックしている人達をあちこちで見かけ、今は情報伝達の流れが、量も質も方向も、まったく変わってしまったことを肌で感じます。

  "チュニジアへのオマージュ"として特別上映されたムラド・ベン・チェイクの『もう怖れない』を見たときも同じ感想を持ちました。この映画は、今年1月、ベン=アリ大統領の圧政に抗議する人々のデモによって大統領が辞任に追い込まれた、いわゆるジャスミン革命についてのドキュメンタリーで、若者が中心になって起こした抗議運動がFacebookを使って組織されたため、ソーシャル・ネットワークが起こした初めての革命とも言われています。

 映画の中でも、町の壁に"サンキューFacebook" と書かれた落書きが出てきたりするのですが、私が面白いと思ったのは、これまでニュースとは現場にカメラマンや記者が派遣されて取材するものだったのに、デジカメやスマートフォンを誰もが携帯するようになった今、偶然事件のそばにいた普通の人、あるいは事件に関わる当事者自身がニュースを発信する時代なったのだということでした。新聞やテレビといったマスコミは報道のやり方や考え方を全面的に改革する必要がある、メディアのソーシャル・ネットワーク革命が今そこに迫っている、いや、もう起こってしまったのかもしれません。

 写真は、映画祭会場のテレビの前に集まり、ニューヨークの法廷でDSKの保釈が却下されるときの中継映像を見る人々です。

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