新「シネマに包まれて」

字幕翻訳家で映画評論家の齋藤敦子さんのブログ。国内外の国際映画祭の報告を中心にシネマの面白さをつづっています。2008年以来、河北新報のウェブに連載してきた記事をすべて移し、新しい装いでスタートさせました。

2010年11月

「溝」resize.jpg非日常の検死と愛憎が絡まる(「検 死」)

 27日はコンペ作品からチリの「検死」と香港の「The High Life」を見た。クリスマスを控えた週末とあって、各広場には恒例のマルシェが登場、曇り空だったものの多くの市民で賑わっていた。

 チリのコンペ作品「検死」(2010年)はラテン世界の濃厚な味わいが魅力的だった。
 冒頭、タンクローリーがキャタピラ音を響かせて行き去ると、向かいの家を観察、近寄ってのぞき込む男、マリオ(アルフレッド・カストロ)が登場する。死体の検死報告書を作る仕事をしている彼は55歳。向かいの家の住人、キャバレーの踊り子、ナンシーに恋心を募らせているが、1973年の軍のクーデターで、コミュニストのシンパだった彼女の家は最初に狙われる。クーデターで死体が山積みになり、仕事に追われるマリオだが、頭の中はナンシーのことばかり。ある日、彼女が自宅の隠し部屋に隠れていることに気付いた彼は、食事を差し入れるなどして彼女を守ろうとする。ところが、彼女は恋人と一緒に隠れていたことを知り、隠れ部屋から2人が出られないように、狂ったように家具を積み上げる...。

 パブロ・ラライン監督(34)はマドリッドで学び、メキシコ、スペイン、チリで活躍している。自身が体験のないクーデターを素材に、異常事態の日常にも反応しない男の恋心を、淡々と表現することで、その一途さを浮き彫りにさせている。また、舞台俳優として実績のあるカストロの愛と嫉妬に狂う男の演技も見所だ。
 今年のベネチア国際映画祭のコンペ部門出品作。


上映前にあいさつするチュウ・ダユン監督(中央)=カトロザ2
 
 「The High Life」(2010年)は、広州のスラム街に生きる人たちの押し込められた生活を描く。お上りさんをカモに仕事のあっせんで生きているジャン・ミン。特に夢も野心も持たず、金持ち女と付き合いながら、日々を送っている。ただ、どうにもならない気持ちになると、屋上に出て京劇の衣装を着て舞うことで心の空白を埋めていた。「確実にもうけて、より良い生活をするべきだ」とたきつけられ、その気になって知人のネズミ講にかかわり、刑務所に送られてしまう。そこでは看守が、人間性を否定する本の朗読を強制するのだった...。

 チュウ・ダユン監督は、わずかの利益が人間性を侵食し、それ以上に権力は不当に人間を圧迫することを伝えたかったようだ。ジャン・ミンが口利きをして美容院に勤めたシャオ・ヤーはレイプした相手を刺して、同じく刑務所に入れられる。だが、妹の行く末を案じて前向きな彼女には、本の朗読を強制されてもジャン・ミンとは違うのだ。
 上映前に監督があいさつしたこともあって、終わった後は盛んな拍手がわいた。

 ◇

 週末となって、この時期特有の"マルシェ(出店)"も登場した。マルシェは1~3坪程度の三角屋根の木造小屋で、扱う商品はクリスマス用品の小物から装身具、チョコやワインとさまざま。ナントの中心ロータリー、パレ・ロワイヤルでは60近くのマルシェが肩を寄せ合うように並び、例年通り大型のメリーゴーランドも登場していた。日中の気温が氷点下近いこともあって、ホットワインを手にする人たちが多かった。夜はライトアップされ、一足早くクリスマス気分を盛り上げる。


マルシェでホットワインを楽しむ人たち=ゴーモン前広場


枯れ草のわずかな実も貴重だ(「溝」)

 26日はコンペ作品の中国「溝」とパラグアイの「祈りの9日間」、招待作の「イエローキッド」などを見た。

 中国第6世代の旗手の1人、ワン・ビン監督(43)の「溝」(2010年)は初の長編フィクションで、今年のベネチア国際映画祭にサプライズ出品され、大きな反響を呼んだ。今回、第6世代特集に組み込まれていた彼のドキュメンタリー「名前のない男」(2009年)を合わせて見たことで、手法を変えた2作品が「人間とは」をより強烈にあぶり出していたように思う。

 中国党中央は1957~61年、反右派(反革命)闘争で、知識人たちをモンゴル国境近くのゴビ砂漠に送って強制労働させた。収容所は砂漠に溝を掘り、板を渡しただけのもので、多数の犠牲者を出した。中国現代史の暗部で、中国では許可にならないことから、生存者にも取材、フランス、ベルギーの協力を仰いで制作された。

 毛沢東の大躍進政策が破たん、天災も重なって収容所では餓死者が相次ぎ、とうとう強制労働すら中止になる。ネズミを捕らえたり、草の実を集めたり、他人の吐瀉物に手を出す事態も。さえぎるものがなく晴れわった地上と対比させ、逆光で溝の中での生活を淡々と描写していく。

 ワン・ビン監督は3部作、9時間に及ぶドキュメンタリー「鉄西区」で2003年、山形国際ドキュメンタリー映画祭と、ここ3大陸映画祭でともにグランプリに輝いている。なぜ今、フィクションなのか?

 1つの契機は「鳳鳴(ファンミン)―中国の記憶」(2007年、山形ドキュメンタリーでグランプリ)だろう。反右派闘争と文化大革命で迫害を受けた女性・鳳鳴が30年をかけて名誉回復するまでを語るさまを描いたドキュメンタリーだ。監督は「人間の経験や考えを伝えることが歴史を伝えることだ」と語っている。歴史をさかのばらなければ描けないものもあるのだ。

 「溝」は、そこでの地獄ぶりを淡々と、だからこそ怖いのだが、描いていく。ただ、夫を亡くした妻が上海からやって来たところから、濃厚な、フィクションならではの展開になる。遺体を引き取りたいという妻に、収容所の仲間は、衣服も肉体の一部も奪われていることを伝えることはできない。でも妻は1人で雪の舞う荒野に出て遺体を探す...。

 さて、ドキュメンタリーの「名前のない男」だが、こちらも凄まじい。土中に穴を掘り、土を運び、馬ふんを肥料にしながら野菜を育てる。食べ物の小さな破片1つ見逃さず食べ尽くし、完全な自給自足生活を送っている。居住区の補習もあって毎日が"忙しい"。名前を捨てたところに彼の自在さがあるように見える。

 一方、「溝」の知識人は1人ぼっちではないのだが、生きているのではなく、生きながらえているだけなのだ。強いられて「食べる糧」を得るかどうかが、分岐点のような気がする。ワン・ビン監督は、同じような状況でありながら、手法を変えて陰陽、背中合わせのような2作品を生み出すことで、中国だけにこだわらない人間の根源に迫っていることを強く感じた。

 もう1つのコンペ作「祈りの9日間」(2010年、一部1997年)は、同じ人間が生きる中でも「鎮魂」の持つ深い静まりに魅了された。

 パラグアイの小さな村に住む、詩人で職人のジャンは、この地を離れたことがなく、ずっと一緒に暮らしてきた母親を亡くす。平穏な生活が、祈りの9日間で訪れた親族らによって、少し波立ったりする。エンリケ・コララ監督(46)は、ほとんど変わりのない日常を淡々と描きながら、微妙な人情の行き違いや交流を織り込んでいる。ジャンがタイヤを加工して植木鉢や籠にするさま、夕闇の中で静かに詩を朗読するさまなどは、「溝」を見た後では、何と世界が違うのだろうか、思わせられてしまった。

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映画製作について語る真利子監督(右端)=3大陸映画祭カフェ

 最後に招待作の「イエローキッド」を見た。真利子哲也監督(29)の東京芸大修士科の卒業制作で、監督にとって初の長編。若さが持つエキセントリックな突っ張りが良い形で表に出た作品だった。
 米国のコミック・ストリップ・ヒーロー「イエローキッド」をテーマに、現状からの脱皮をヒーローに仮託しようとしながら、果たせない若者たちの物語だ。

 祖母2人暮らしの田村(遠藤要)はボクシングジムに通っているが上達には程遠い。漫画家(岩瀬亮)が、彼をモデルにヒーロー漫画を書き出したことで、内心、高揚してくるのだが、周囲との状況は悪化をたどる。ヒーローもどきに元世界チャンピオンに挑んだり、憎らしい先輩に鉄槌を加えはするが、それは何も裏付けのないものだった...。

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漫画家も現実と夢が交錯、混乱していく(「イエローキッド」)

 真利子監督は、ふんどし姿で食堂内を怪走したり、建物の屋上からバンジージャンプで飛びおりたりと、自らが出演、手持ちカメラで撮影した多くの短編で、若者たちを刺激してきた。

 今回は初めて俳優、カメラマンを揃えて制作。ナントの地元ラジオ局での対談で、「イエローキッド」の背景について、監督は「誰もがヒーローに変身したいという気持ちを持っているはず。その気持ちを大事にしながら、現状は...ということを描いた」と話していた。「一回性」にこだわってワンカットを多用した映像は迫力があった。

 ◇

 週末になって劇場には徐々に観客が戻ってはきているものの、満席となることはない。どうしてなのだろうか、と悩んでしまう。昨年に比べると若者たちのグループもおおいようなのだが...。

 とはいっても、ナントの観客は温かい。たまに席を立つ人もいるが、ほとんどは最後まで見終わって、拍手やブーイング(今回はまだない)で自らの感想を表明する。コンペ作品だけに実施されている観客賞投票には、競って投票していた。

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コンペ作の観客賞を投票する観客たち=カトロザ

 最終日の28日に受賞結果が発表になり、最優秀作品賞は、内田伸輝監督の『ふゆの獣』に、審査員特別賞は、ハオ・ジェ監督の『独身男』に決定しました。審査員長のウルリッヒ・グレゴールさんによれば、コンペ作品はスタイルやテーマが様々で、それぞれよく出来ていたが、審査員の視点の差から審査は難航し、全員一致の結果を出すことができなかった。惜しくも受賞に至らなかったが、賞に値する作品が多くあった、とのことでした。また、受賞作は"映画の未来のために"というフィルメックスのモットーにのっとって、最もオリジナルで将来性のある作品に与えた、とのことです。

 最優秀作品賞の『ふゆの獣』は、1つの部屋で2組のカップルの恋愛感情がぶつかりあう様子を描いたもの。ノーギャラで出演してくれる俳優をネットで募集し、わずか110万円の製作費で撮ったというミニマルなインディーズ映画ですが、卓越したカメラワークと即興演技を取り入れた演出で、限られた予算の中で高い表現力を発揮していることが高く評価されました。

 ハオ・ジェ監督の『独身男』は、中国東北部の顧家溝という村を舞台に、結婚できずに年老いたラオヤンと仲間の独身男達の生態をユーモラスに描いたもの。ラオヤンは四川省から売られてきた若い娘を買って嫁にしようとしたところ、娘に逃げられて大騒ぎになり、仕方なく旅順に女を買いに出かけたりするのですが、この娼婦との場面が検閲にひっかかり、中国では劇場公開ができないのだそうです。四川省の娘を演じたイェランさん以外の出演者はすべてハオ・ジェ監督の故郷、顧家溝の村人達で監督の知り合い、演技の自然さもさることながら、フィクションとドキュメンタリーが混じった、嘘のような本当の物語です。この作品を強く推したアピチャッポン・ウィーラセタクン監督は、対象に愛情を持ち、共に協力して作り上げた映画で、完全ではないが、不完全なところに魅力のある作品と評していました。

20101129.jpg 写真は午後に行われた記者会見の後の記念写真で、左からニン・イン監督、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督、ウルリッヒ・グレゴールさん、内田伸輝監督、ハオ・ジェ監督、白鳥あかねさん、リー・チョクトーさんです。


【受賞結果】
最優秀作品賞:『ふゆの獣』内田伸輝監督(日本)
審査員特別賞:『独身男』ハオ・ジェ監督(中国)
観客賞:『Peace』想田和宏監督(日本/アメリカ)

【ネクスト・マスターズ】
最優秀企画賞:『Ilo Ilo』アンソニー・チェン(シンガポール)
スペシャルメンション:『It must be a camel』シャーロット・リム・レイ・クエン(マレーシア) 

 今年から新しく始まったネクスト・マスターズを取材してきました。市山尚三プロデューサーとのインタビューにもありますが、文化の消費地から文化の発信地への方向転換を目指す東京都が、アーティストの育成プロジェクトの一環として映像の人材育成プロジェクトとして企画したもの。
 ベルリン国際映画祭のタレント・キャンパスやプサン映画祭のプロジェクトを参考に、映画祭期間中にアジアから若手映像作家を東京に招き、講師のワークショップに参加し、映画祭ゲストの講演を聞き、企画のプレゼンテーションを行うというもの。ベルリンのタレント・キャンパスは3000人の応募者から350人を選ぶという大規模なものですが、フィルメックスでは、今回は各国の有識者に候補者を推薦してもらい、提出された作品を見て20人を選んだとのこと。レベルは高く、既に短編が三大映画祭に出品されていたり、長編を撮っていたりといった優秀な若手揃いだそうです。

 あらかじめ選考されていた8名が企画のプレゼンテーションを行い、27日午後に、優秀な企画の発表と授賞式が行われました。第1回ネクスト・マスターズ最優秀企画賞を受賞し賞金30万円を手にしたのはシンガポールのアンソニー・チェンさん。1984年生まれの26歳で、既に6本の短編を撮り、3年前に短編第2作がカンヌ映画祭の短編部門に出品され、次点に入ったという俊英です。また、スペシャル・メンションにはマレーシアのシャーロット・リム・レイ・クエンさんが選ばれました。リムさんは29歳ですが、蔡明亮の『黒い眼のオペラ』や、アン・リーの『ラスト、コーション』で助監督を務めた経験を持つ、プロの映画人といってもいい人で、昨年、長編デビュー作がマラケシュ映画祭で審査員賞を受賞しています。

 2人とも既に才能が認められている人材ですから、6日間のネクスト・マスターズが彼らの将来にどれほど大きな影響を与えられるかどうかは、はっきり言って未知数だと思います。けれども、ロビーにふらりと現れた侯孝賢監督を参加者たちが囲んで話を聞いたりしている様子を見ていると、どこでもゲストに会え、気軽に立ち話が出来るフィルメックスの規模の小ささと気安さが、映画人と若手との親密な交流を生みのに役立っていることを強く感じました。

 人材育成ですから成果はわかるのはこれからずっと先のこと。東京フィルメックスから、いったいどんな才能が生まれていくのか、この先長い目で見守りたいと同時に、東京都には長い目の支援をお願いしたいと思います。

 写真上は、授賞式の後の記念写真で、前列左から、講師のサイモン・フィールドさん、マティース・ヴァウター・クノルさん、エミリー・ジョルジュさん、侯孝賢監督、後列のノールさんの後ろがシャーロット・リムさん、エミリー・ジョルジュさんの後ろがアンソニー・チェンさんです。

20101128_05_2.jpg 写真下は、26日に行われた侯孝賢監督によるマスタークラスの模様で、『憂鬱な楽園』や『フラワーズ・オブ・シャンハイ』のプロデューサーでもある市山尚三さんを聞き手に、長編デビュー作の『ステキな彼女』や、『珈琲時光』、『レッド・バルーン』の一部を見ながら、製作当時の裏話や、俳優を演出する際の秘訣などを気さくに話してくれました。

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 今年はコンペ部門に、韓国からは若手の作品が並びましたが、台湾と香港からはベテランが作品をエントリーしました。

 台湾のチャン・ツォーチ監督の『愛が訪れる時』の主人公は、17歳の娘ライチュン。台北で料理店を経営している一家の実権は、父親ではなく妻が握っています。というのは彼女との間に子供ができなかったため、ライチュンの母を家に入れたという経緯があるから。複雑な家庭環境で育ち、父親や母親に反発していたライチュンが、望まない妊娠をしたことで、次第に親の立場が理解できるようになり、成長していく姿を描いています。

 市山プロデューサーとのインタビューにもあるように、家族の絆と愛情をテーマにした昔ながらの台湾映画ですが、人間関係が複雑な上に、父親が病に倒れたり、自閉症の叔父がいたりといった様々な事件が絡まっているのに、すべてをさらりと見せてしまうチャン・ツォーチ監督の演出力が光っていました。11月20日に発表になった台湾のアカデミー賞、第47回金馬奨の作品賞、撮影賞、美術賞の3賞を受賞したそうです。写真は上映前の挨拶の模様で、左からチャン・ツォーチ監督、手のひらに書いたメモを盗み見ながら日本語で挨拶するライチュン役のリー・イージェさん、ライチュンの妹役のリー・ピンインさん、自閉症の叔父役のガオ・モンジェさんです。イージェさんは現在18歳、ピンインさんは17歳で、二人とも映画初出演だそうです。

20101128_4.jpg 香港のダンテ・ラム監督の『密告者』は、凶悪犯罪の摘発に密告者を使いながら非情に徹しきれない刑事(ニック・チョン)と、妹を組織から救うために密告者役を引き受ける男(ニコラス・ツェー)の葛藤を描いた香港フィルム・ノワール。香港の街を縦横に使ってロケした昔ながらの香港アクションで、刑事と密告者それぞれの事情に加えて、派手な襲撃場面やカーチェース、恋愛ドラマと盛りだくさんな娯楽映画でした。大陸からの資本もちゃんと入っていますし、刑事の妻役で中国のミャオ・プーが、強盗団の首相の女役で台湾のグイ・ルンメイが出演していて、3中国合作となっていたのが今風でした。

 両方とも、どちらかといえば商業映画に分類され、国際映画祭のコンペには登場しにくいタイプの作品ですが、こんな風にベテランにも目配りし、クラシックな映画の味わいを大切にするところが、いかにもフィルメックスらしいと思いました。


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