新「シネマに包まれて」

字幕翻訳家で映画評論家の齋藤敦子さんのブログ。国内外の国際映画祭の報告を中心にシネマの面白さをつづっています。2008年以来、河北新報のウェブに連載してきた記事をすべて移し、新しい装いでスタートさせました。

2008年11月

02nantes_01.jpg 29日はキルギスタンのコンペ作品「南の海からの歌」だけを見て、午後からはロワール川の中州に昨年からオープンしたアミューズメント・パークを見学した。

 「南の海からの歌」はカザフスタンの小さな村を舞台に、複雑に入り組んだ人種、宗教問題を、隣り合わせに住む、人種の違う2人を軸に描いたもの。
 ロシア系のイワンに子どもが誕生するが、赤ちゃんは金髪(ロシア系の象徴)ではなくて黒髪(カザフスタン系の象徴)だった。イワンは、妻と隣家の友人、カザフ系のアッサンとの仲を疑ってしまう。夫婦は壮絶なケンカの後、落ち着くのだが、事あるごとにイワンには疑念がわき起こる。誕生した男の子が、馬好きで、カザフ風なのも気に障る。

 15年がたったある日、イワンの妻の肉親たちがやって来て酒盛りとなった。妻の出身はカザフ、酒宴は歌に踊りにと大いに盛り上がるが、イワンだけは溶け込めず、とうとうケンカになってしまう。家を飛び出したイワンは、バイクで自分の親類の古老を訪ね、出自を知ろうとする。そこで聞かされたのは、彼の血筋は純粋なロシア系ではなく、カザフでの生活とカザフの女性を愛した者もいた-ということだった。
 どこか吹っ切れて帰宅するイワン。同じころ、アッサンも馬で自分の出身地を巡りながら、自分につながる長い歴史に思いめぐらしたのだった。2人には、以前の付き合いが戻ってきそうだ。

 マラット・サリュリュ監督(51)は、中央高原が持っている特殊さを題材にしながら、血筋の違う夫婦に、互いに反対の髪を持つ子供が誕生するというコミカルな設定で、その実、重い人種問題をもテーマにしている。中央高原でロシアだカザフだ、もっと目を開けばヨーロッパだアジアだ、ということすら無意味ではないかとも訴えている。でも、イワン夫婦の真剣なケンカぷりはさわやかだし、中央高原の素晴らしい景色も満載、影絵劇を進行役に使うなど、深刻ぶるより"おとぎ話"的な演出にして、エンターテイメントな作品に仕上げている。

 このあたりの心憎い演出が観客にも受け、終わった直後には大きな拍手が送られていた。


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 ナントは、ここ15年人口が増え続けているという。物価高が殊にひどいパリを逃れて、ナントに割安な一戸建てを求める人すらいるそうだ。

 パリの日本語新聞OVNI(オヴニー)は、5年前に「生活度ナンバーワンの町」としてナントを取り上げているが、最近号ではナントの魅力を「文化が町を活性化させている」として、三大陸映画祭、クラシックをより身近にさせたラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)音楽祭、現代アートビエンナーレ・エスチュエールを挙げている。

 そこに新たに加わったのが、「文化+町おこし」事業、中州の再開発「レ・マシン・ド・リル」だ。著名な建築家3人がプランを立て、フランス国内の技術者を結集して"動く生物"をつくり出す一方で、集大成した巨大なメリーゴーラウンド(高さ25m)を完成させ、永続的な町のシンボルとしての遊園地にしようというもの。

 昨年訪れた際は、月曜日で休園。木と鋼を組み合わせたゾウ(高さ12m、幅8m、重さ45トン)が動くところは見ることができなかった。また「機械たちのギャラリー」の人が乗って楽しめる小型のイカやアンコウ、エイなども、眺めるだけで終わっていた。
 今回は、動くゾウを確認し、「機械たちのギャラリー」の新人たちに合うのが目的だった。

02nantes_03.jpg 小雨模様のあいにくの天候だったが、子ども連れで大にぎわい。ゾウは、それこそノッシノッシと歩くだけでなく、鳴き声をあげ、鼻を振り上げながら水も吹き出す。そして動くイカやアンコウ、カニの幼虫などは、もっと楽しい。微妙な動きがちゃんと再現されているだけでなく、入場者がスタッフの指導で運転できるのだ。スタッフは「アンコウの運転者は、力がないとダメ。毛むくじゃらの大柄の人、志願してくれませんか」と、大道芸人さながらの口上で入場者の興味を引く。選ばれるのは普通の大人や子どもたち。アンコウの口を大きく開かせ、背びれをばたつかせ、さらには"毒ガス"まで吐く。乗れなかった人たちからも大拍手。時間はあっという間に過ぎていた。

 全体の完成は2013年。遠大な計画だが、完成したものを順次公開して、未来の来場者を早くも取り込んでいる、何ともしたたかだ。もっと関心のある方は「Les Machines de l'ile」プロジェクトのサイトをご覧ください(英語版)。

(桂 直之)

写真(上)コンペ作品を見終わった後、評価を投票する観客たち
写真(中)客を乗せ、鼻を振り上げて歩く巨大なゾウ
写真(下)乗客の操作で口を大きく開け、"毒ガス"を吐くアンコウ

04filmex_01.jpg 林加奈子ディレクターとのインタビューにも出てくるように、今年は日本人のブラジル移民百年の記念の年でもあり、フィルメックスでは、ウォルター・サレス&ダニエラ・トマス共同監督によるブラジル映画「リーニャ・ヂ・パッシ」がオープニングを飾り、シネマ・ノーヴォの知られざる監督ジョアキン・ペドロ・デ・アンドラーデの特集が組まれた他、サンパウロ映画祭が製作した17話のオムニバス短編集「ウェルカム・トゥ・サンパウロ」が特別招待作品として上映されている。

 今年はカンヌ映画祭でも「リーニャ・ヂ・パッシ」と並んで、ブラジル出身のフェルナンド・メイレレスの「ブラインドネス」がコンペに選ばれた他、アルゼンチンのパブロ・トラペロの「レオネラ」とルクレシア・マルテルの「顔のない女」がコンペに選ばれ、南米映画の活躍が目立った年だった。グラウベル・ローシャやネルソン・ペレイラ・ドス・サントスら、シネマ・ヌーヴォの作家の活躍は世界的に有名だが、その後、大きなブランクのあるブラジル映画の現状について、審査員として来日中のレオン・カーコフ氏にお話をうかがった。

-シネマ・ヌーヴォの後のブラジル映画について、私たちのところに何も伝わってこなくなってしまったのですが、最近の復活までの間に何があったんでしょうか。

 カーコフ「それは、様々な意味での繋がりが断ち切られてしまったからなんです。一つは1964年に始まる独裁政権の影響です。シネマ・ノーヴォの作品が公開されたり、海外に送られたりするのはよかったんですが、その後、検閲が次第に厳しくなっていき、映画の企画にまで検閲が加えられるようになりました。85年に独裁性が終わり、選挙で選ばれた大統領による民政に移行しましたが、オフィシャルな製作会社エンブラフィルメ(映画公社)を閉鎖してしまい、それまでブラジル映画が持っていた、海外の映画祭や映画人との関係をすべて失わせる結果になったんです。それが世界からブラジル映画が消えてしまった理由の1つです。その後、別の方法で援助を得る手立てが少しずつできてきて、ブラジル映画が再び見られるようになったというわけです」

-今年はブラジル映画だけでなく、アルゼンチン映画が2本、コンペに登場しましたが、最近、南米の映画がどんどん世界の映画祭に登場してきているので驚いているんです。

 カーコフ「パブロ・トラペロの作品はウォルター・サレスの会社との共同製作なんですよ」

-そう言えば、ブラジル・アルゼンチン両国で撮影されていましたね。というと、何か協力体制のようなものが出来ているということでしょうか。

 カーコフ「国のレベルではなく、人と人の関係です。ブラジルは国としては南米のどの国とも関係を持っていません。人と人との関係なんです。パブロ・トラペロとウォルター・サレスとの出会いがあり、彼らが友人になったので、サレスが「モーターサイクル・ダイアリーズ」をアルゼンチンで撮影する際にトラペロが協力し、今度はサレスが協力したというわけなんです」

-数年前にヴェネチア映画祭で見たトラペロの「ファミリア・ロダンテ」はすばらしい作品でした。南米では、例えばパラグアイの「ハンモック」やウルグアイの「ウィスキー」など、面白い映画が次々に出てきています。

 カーコフ「実は、ブラジルには国際協力について協定のようなものはあるんですが、まるで機能していません。それにブラジル人は南米映画に何の興味もないし、アルゼンチン人はブラジル映画など見ません。観客が興味を持つのはアメリカ映画であって、南米の映画ではないんです。まずアメリカ映画、次にヨーロッパ映画、少しアジア映画という具合です」

-カーコフさんが代表をなさっているサンパウロ映画祭は、どのような映画祭なんでしょうか。

 カーコフ「77年に私が創設したんですが、まだ独裁政権下で、映画を見たり、批評したりする自由を求めたプロテストの意味もありました。それで運営には非常に苦労しました。というのも、上映される映画を事前にすべて当局に見せねばならなかったからです」

-というと、作品によっては上映を拒否されたりしたんですか?

 カーコフ「検閲というよりは映画祭の運営を邪魔するのが目的でした。だから、当時、上映を拒否されたのはたった1本だけなんです。非常にキッチュな中国の短編映画で、洗脳がテーマで、幼稚園の園児が"社会主義のリンゴはより赤い"と歌を歌うんですが、それがプロパガンダだと言うんです(笑)。まったく馬鹿げていますよ。上映禁止はその1本だけでしたが、当局との折衝で、いつも非常に消耗させられました。

 私たちの映画祭は若い映画作家に上映の機会を与えるのが目的で、最も大きな賞は監督第1作か2作目までの若い監督が対象です。それに、観客に優先権を与えるというコンセプトは創設当初から今も変わっていません。サンパウロ映画祭ではまず観客が映画に投票し、その上位20本を審査員が審査するんです」

-それに「ウェルカム・トゥ・サンパウロ」のような大きな企画も実現なさってますね。

 カーコフ「規模は大きいですが、実は資金ゼロの企画なんです。これは今の映画製作に対するプロテストとして作ったものです。というのは、今、映画監督は資金でも設備でも非常に恵まれ、プロデューサーに守られていて、出来上がった映画に観客が集まるかどうかに注意を払わないようになっています。既に監督料を受け取っていますからね。それで、何の補助もなく、資金ゼロで映画を作ってみようと思ったんです。それで、企画に賛同してくれた海外の友人の監督たちに事前に何の説明もせず、ただサンパウロに来てもらい、ビデオカメラを渡して街を撮ってもらった、とういわけです」

-つまり、外国に配給するためではなく、自国の若い映画作家に、こういう方法があると教えるために作ったんですね。

 カーコフ「そうです。そして重要なのは外からの視線で撮ったということです。日本でも同じだと思いますが、毎日家を出て仕事に行きますよね。そういう日常を内からの視線でなく、外から見てみる。するとまったく別のものが見えてくるでしょう。その視線が大事なんです」

04filmex_02.jpg-では、あなたという外からの視線で、今の若い日本映画を見たご感想は?

 カーコフ「新鮮さと誠実さが特徴ではないでしょうか。普通の人々に向ける視線は他のどの国よりも誠実ではないかと思います。特撮なしで、普通の人々に密着し、彼らの日常を誠実に撮っている。そこがいいですね」

 (齋藤敦子)

写真(上)サンパウロ映画祭代表で審査員のレオン・カーコフ氏
写真(下)28日に丸の内カフェで開かれたシンポジウム「それぞれの映画、日本映画篇」の模様
右から俳優の西島秀俊氏、寺島進氏、ヴァラエティ・ジャパン編集長の関口裕子さん

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 11月27日深夜、成田を発って、今年も西フランスの古都ナントで開かれている3大陸映画祭(11月25-12月2日)にやってきた。14度目の訪問だ。

 「映画後進地(今やそんなことはないが)」のアジア、アフリカ、中南米にまで映画の地平線を広げようと、3大陸に絞った作品だけを提供し続けるユニークな映画祭も、今年で30回となる。今年はコンペティション部門(12作品、昨年からフィクションとドキュメンタリーを統合)、30周年記念として過去のグランプリ(金の熱気球賞)獲得作品と、2度グランプリを受賞した4監督(台湾のホウ・シャオシェン、イランのアミール・ナデリとアボルファズル・ジャリリ、中国のジャ・ジャンクー)や昨年亡くなった中国のエドワード・ヤン監督の業績などの特集が組まれ、盛りだくさんの内容だ。会期中、3つの映画館の6スクリーンを中心に106本が上映される。

01nantes_03.jpg 成田から約19時間の旅。時差がマイナス8時間のためパリ着は22日早朝4時過ぎ。6時半発のナント行き新幹線(TGV)で28日午前9時前に到着。28日朝から映画を見始めた。初日はトルコ、エジプト、中国、チリと、お国柄の違うコンペ作品4本を見た。


 トルコの「ミルク」は、地方の鉱山村で牧場を営む2人暮らしの母子の物語。息子のヨスフは高校を卒業、大学を目指すが、詩作に時間を割いて不合格となる。父親の死後、牧場を手伝って母親を支えてきた彼だったが、受験失敗などの後、母親に変化が起きる。鏡に向かって化粧をしてうっとりしたり、彼のミルク配達中に度々出掛けたりするようになる。母子2人が、互いだけ見て支え合う"幸せな時間"は過ぎ去ったのだ。彼は炭鉱労働者として独り立ちする道を選ぶ。
 この作品は昨年の映画祭閉会式で上映された「エッグ」に次ぐ、ヨスフ3部作の第2作だという。小さな村に通じる1つの鉄道が外から新しい規範を持ち込む中で、ヨスフは自分の存在を問い続け、母親は因習からの脱皮を目指す。1963年生まれのセミ・カプラノグ監督は、出演者の演技を最小限にして、特に目の表情を印象的に使っていた。第3作が待ち遠しい。


 エジプトのヨスリー・マサラフ監督(56)の「水族館」は、冬の首都カイロで生きる人たちの孤独と思わぬつながりを描いて印象的だ。
 医者ヨセフは自分の病院とは別にスラム街の中絶医院も手伝い、ほとんどの夜を車の中で寝る超多忙な生活を送っている。そして自分の患者が妄想から話す内容を興味深く聞く一方で、ラジオで人気の対話コーナー「ナイト・シークレッツ」を担当するライラの声に耳を傾ける。ライラはコーナーに電話してきたヨセフと、彼女の友人の治療ですれ違う。声を聞いて驚くライラ...。
 大都市の華やかさとは別に、人々は生きる。ヨセフはがんの父親を熱心に治療するが、父親はそれに満足せず、ヨセフは毎日追われるだけの生活。一方のライラは母親を抱えて恋すらままならない。彼らは水族館の水槽に入れられた魚と同じでしかない。一方でバー「水族館」では、"囚われの身"であることから本能的に逃れようとする人々が群れ集うのだ。ヨセフ、ライラの人物造形のほか、2人に絡むヨセフの父親やライラの友人らも丁寧に描かれていて、じわりと染みだしてくる現代の人間の孤独に、こちらも感染してしまう。


 3本目の「ある中国の村の1年」はドキュメンタリー。重慶近くの中国の典型的な貧しい農村の1年間(2005年冬~06年12月)を、リー・ユファン監督が透徹した観察眼で切り取っている。
 村は人口が減っていき、決して豊かではないのだが、住む人々は暗くない。農機具はなく、それぞれが手作業でやれることだけを精いっぱいやって、主張すべきところは主張する。といいながら、村の総代表選挙は、"お祭り気分"的ないい加減さでやり過ごす。田園風景の緑が何ともまぶしい。
 人間は1人では生きられないことを、この作品は89分間に凝縮して、静かに教えてくれる。ラストで村人が、家族単位のスナップで紹介されるのもいい。そこからは、それぞれの人柄が素直に伝わってくる。


 最後に見たのはチリのジョゼ・ルイス・トレス・レイヴァ監督(33)の「空、地上、そして雨」。チリ南部の湖近くに住む孤独な男女4人。寡黙に決まり切った日常を送っていたが、互いの接点から、暗黙のうちに極端な方法で自分たちを救おうとする。互いが孤独を感じない距離感を保ちつつ"疑似家族"をつくることだった。だが、その試みはそう簡単ではない。空に向かって枝を広げる巨大な木々、フェリーが航行する湖面のさざなみ、その向こう岸ではけたたましく行き交う車の騒音が、4人の気持ちを代弁する役を任されているのだが、監督の意図ほど明確には伝わってこないのが歯がゆい。というか、もっとストレートな表現を交えた方が、全体に締まった構成になったと思われる。


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01nantes_02.jpg 30周年なのだから、街中がもっとお祭り気分かと思ったら、意外に静かなのには驚いた。大型ポスターの掲示はなく、赤いフラッグだけがメインストリートになびいていた。

 混雑緩和のために導入されていた、コンピューターによる事前発券は、何が理由か取り止めになり、以前の順番待ちに戻っていた(一説には経費節減の結果だという)。以前と違うのは、ジャーナリストや映画関係者らのゲストと通し券所有者を開始5分前まで優先、その後に一般客を入れる点。このため、カトロザの前には2列の長い列ができた。

 入り口で観客数をカウントしているが、席数の少ないスクリーンに客が殺到すると立ち見が出ることになる。この日のエジプト作品「水族館」では、立ち見どころか、ゲストのマサラフ監督の席すらない状態だった。監督の席は何とかなったが、10人近くが立ち見となり、ギリギリに滑り込んだ僕も、もちろん立ち見だった。

(桂 直之)

写真(上)ナントの地図
写真(中)第30回のポスター
写真(下)映画祭の赤いフラッグがなびく商店街

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 コンペティションの中国映画3本のうち、ヴェネチア映画祭の批評家週間で既に見ていた「黄瓜(きゅうり)」を除く2本を今回、見ることができた。

 そのうちの1本、ユー・グァンイー監督の「サバイバル・ソング」は、黒龍江省長白山脈で暮らす人々についてのドキュメンタリーである。その一帯は、急激に人口が増加した大都市ハルビン市に飲料水を供給するための貯水池建設のため、何十万もの人々が家を失うこととなったという。主人公の猟師ハンの家は貯水池の予定地から15キロ離れているために難を逃れたが、冬は雪に閉ざされる山の中の一軒家で、ハンは妻と二人で暮らし、娘2人を都会に出している。普段はヤギを飼い、冬になれば野生のイノシシを獲って暮らす。山の生活は厳しい。そのうえ、ハンは密猟を摘発されて拘留され、ハンの家は薬草の栽培用地に指定されて当局の手で取り壊されることになり、一家は離散の憂き目に遭うのだ。ユー監督はそんな猟師の生活をフィルムに収めながら、次第に、ハンの家で下働きをする小李子(シャオリーズ)という男に興味を移していく。

filmex08_photo02.jpg 家もなく、家族もなく、教育もない。拾ってくれる家があれば下働きをして生活する。小李子は悪人ではないが、隙あればハンのヤギも盗むし、ハンの妻のトイレを盗み見たりもする。歌が好きで、いつも一人で歌ったり踊ったりする。私は彼に魯迅の阿Qの姿を見た。百年近く前、辛亥革命の頃の亡霊が、今の中国に生きて現れた驚き。結局、庶民は何も変わっていないのだ。この貯水池だけでなく、三峡ダムの立ち退きも含め、今も何十万、何百万の人々が流民・棄民となっている。清朝末の混乱時と同じとは言わないが、突然家を奪われ、故郷を捨てねばならない現実が、まだそこにある。

 エミリー・タン監督の「完美生活」は、今年のヴェネチア映画祭のオリゾンティ部門で上映されている。マルコ・ミュラーのお薦め作品だったが、サプライズ上映でスケジュールが合わなかったために見逃していた。主人公は2人の女性、一人は中国東北部で暮らすリー、もう一人は香港で暮らすジェニーで、リーの部分はフィクション、ジェニーの部分はドキュメンタリーとして撮られている。21歳のリーは歌も踊りも出来ないのに瀋陽の歌舞団の試験を受けたりする。何かがやりたいが、何がやりたいか分からず、何も出来ない。結局、ホテルのメイドとして働き始め、そこで脚の悪い中年の画商と知り合い、絵を深圳に届けることになる。一方のジェニーは香港人の夫と別れ、深圳に戻ろうとする。この二人の物語が交互に描かれていく。

 原題の完美生活とは完璧な生活のこと。誰もが求めるが、誰にも得られない夢のことである。リーもジェニーも、共に完璧な生活にあこがれ、ここにはない、どこかを目指して家を出る。ある意味でこの二人の女性もまた、現代中国の流民ではないかと私は思う。

(齋藤敦子)

写真(上)ユー・グァンイー監督

写真(下)エミリー・タン監督(右)とプロデューサーのチャウ・キョン氏(左)

 

  FilmEx2008 003.jpg-今年9回目を迎えたフィルメックスですが、この9年でどういう風に変わってきたでしょうか。

 林「難しい質問ですね。フィルメックスは年を経るごとに少しずつ規模を拡大して何百本も上映するというような映画祭ではないんです。規模としてはニューヨーク映画祭と同じくらいでしょうか。あそこも厳選した20数本しか上映していませんよね。フィルメックスも同じで、コンペティション10本でアジアの若手の新しい才能を日本の観客に紹介し、世界にアピールしていく。それに、特別招待作品の10本程度で新しい流れを提案する。これは映画祭全体を通してのコンセプトでもあります。というのは、東京にいても、今の世界の最先端がどうなっているのかがわかりにくいという状況があると思います。これは配給システムの問題でもあるんですが、公開に時間がかかったり、タイミングがずれたりする。それで、フィルメックスは2008年に世界で起こっている、最も新しい流れを日本の観客にきちっとお届けしたい。それをアジアに限らず特別招待作品の枠で紹介する。実は、これまでの特別招待作品はアジア映画が多かったんです。それは予算の制約もあったんですが、実際にアジアの映画が世界を引っ張っているという状況もありました。でも、今年はマケドニアやドイツ、フランスもあるし、特にブラジルは、クラシックでアンドラーデの特集、オープニング作品のウォルター・サレス&ダニエラ・トマスの「リーニャ・ヂ・パッシ」、それに短編集の「ウェルカム・トゥ・サンパウロ」もあるという、例年より多彩なプログラムになっています。映画を作る人達は1本1本の作品で主張するわけですが、映画祭は、映画祭全体で新しい流れを観客に届けるのが役割だと思っています」

-今はアート系の映画配給が難しい時代だとヴェネチア映画祭のマルコ・ミュラーも語っていました。

 林「80年代、90年代、東京でミニシアターが隆盛を誇っていた時期がありましたよね。ブルータス座まで含めて、多様な映画を見ることができました。あの頃はカンヌでも配給業者が血眼になっていい映画を探していたし、私達も映画を見るためなら、かなり遠くの映画館まで足を運んでいた。ところが、レンタルビデオが普及し、DVDでも映画が見られるようになり、何でも見られるようになると、逆に何にも見られないようになってきたと思うんです。ミニシアターの頃の、"ここで見ないと、もう見られない"という切実感は本当に大事だったと思います。そして21世紀に入り、本当にいい作品を上映しても観客が入らないようになってきた。こうなると、配給する方も二の足を踏まざるを得なくなる。観客が来てくれることがわかれば映画は配給されるわけなので、これは業者の問題というより、観客の問題であると思います。

Film'Ex2008 021.jpg 例えば、今、映画監督を志している人達でさえ、"侯孝賢て誰?"というような現実がある。フィルメックスは映画を教えている教授達を通じて大学にチラシを置いてもらったりしているんですが、チラシを見て教授達は興奮してくれるのに、学生達はどれを見たらいいのかわからない。「これを見なさい」と言わないと見るべき映画がわからなかったりするんです。侯孝賢の映画を1本見て、その凄さがわかり、過去の作品を見たくなれば、手近なところにDVDがあるのに、そこまでの行動がなかなか起きない。映画に対する能動的な動きが出ない状況にあるような気がします。

 毎年、フィルメックスには、映画を見続けている、コアで深い映画ファンが来てくれているという手応えは感じます。ただ、熱狂的な映画ファンとは別に、いい映画があれば見たい人、世界の新しい動きを知りたいと思っている人がいるはずです。フィルメックスは、そういう人達、映画を美術や演劇などと同じ文化として、広く文化全般に興味のある人に届けたいと思うんです。去年からチラシも、美術館などに置いてもらえるような形状に変えました。宣伝費をかけ、タレントにフィルメックスの名前を連呼してもらって名前だけを浸透させるより、いい映画を見たいと思っている人達に、ちゃんと情報が届くようにしたいと思っているんです」

 -今は世界のすべてがデジタル化し、観客を取り巻く状況も変わってきたと思います。ネットや携帯で情報も簡単に得られるし、何でもランキングで表され、ランキングに入らないものは無視されてしまう。そこに批評が何の力も及ぼしていない状況に批評家としての反省もあるんですが。

 林「自分自身の評価は大事ですよね。私はこの映画をこう受けとめたという思いが大事だと思う。視聴率や観客の動員数ではなく、大切なのは深さなんです。けれど、深さというのは数字では測れない。2年前にパラグアイ映画の「ハンモック」を上映したときに、2回の上映の2回とも見に来てくださった人がいましたが、あの映画がどのくらい凄いのかというのは、深く突き刺さった人にしかわからないと思うんです。配給や興行の人達は数字で生きていかなければならないけれど、映画は深さで語られねばならない。その信念を貫くのが映画祭だと思うんです」

  Film'Ex2008 054.jpg-では、今年の内容を具体的にうかがいたいと思います。まず、特集上映にブラジルのジョアキン・ペドロ・デ・アンドラーデと蔵原惟繕の2監督を選ばれた理由は?

 林「蔵原監督については、今まで、清水宏、内田吐夢、中川信夫、岡本喜八、山本薩夫、松竹、東映、新東宝、東宝と、いろんなトライアルをしてきて、日活というのはやったことがなかった。日活にはもちろん川島雄三など凄い監督が沢山いらっしゃいますが、この企画はフィルムセンターとの共催なので、センターでも特集しておらず、新しい発見がある監督をということで蔵原さんになりました。実は、蔵原惟繕特集は、日本でも世界でも一度もやられたことがないだろうと思っていたんですが、野上照代さんに、故川喜多和子さんが「憎いあンちくしょう」が大好きで、清順共闘以前のシネクラブ時代に蔵原特集をやっていたということを教えていただいて驚いたんですよ」

-蔵原監督といえば、晩年、商業映画で大ヒットを飛ばしていたので、わざわざ特集をとは誰も思わなかった人ですよね。

 林「たしかに「キタキツネ物語」や「南極物語」の大ヒットで、そこで満腹になってしまうきらいがありますが、「第三の死角」や「ある脅迫」など、当時スターを起用していない作品は、ほんの数日で公開が終わったりして、一部の人達だけが凄いと言っているだけで、その後上映される機会がなかったりするんです。今回、日活の協力で全作品を見ながら12本に絞り込んでいったんですが、50年代、60年代には、裕次郎の映画の合間に新しいことにチャレンジした実験的な作品を撮ったりしていて、改めて見ると非常に多様性のある監督であることがわかりました。それで、これはぜひ海外に向けて発信せねばと思ったし、フィルムセンターも了承、日活も協力するということで、実現となりました。昨年、日活アクション映画がアメリカで特集が組まれたり、ウディネ映画祭で蔵原特集が組まれたりしていて、ある意味で、とてもタイムリーな企画なんです。

 アンドラーデは、4年前のカンヌで「2046」のプリントの到着が遅れ、上映スケジュールが大混乱になったときに、「2046」を諦め、カンヌ・クラシックで「マクナイーマ」を見たんです。観客が全然いない中で見たんですが、本当にぶったまげて、これは誰だ?と思ったのがきっかけです。そこからリサーチを始めたら、娘さんの存在がわかり、修復版が作られるともわかり、今年は日本人のブラジル移民百年記念の年でもあるので、ブラジル大使館も協力体制に入ってくださり、4年をかけ、満を持して実現の運びになりました」

-今年のコンペの傾向はどうでしょう?

 林「実は、私も市山も、国のバランスなど一切考えず、いいものの順に決めていくので、傾向はラインナップが決まってから探っていくしかないんです。それで、今年は中国が3本、イスラエル&レバノンが2本、日本が2本、カザフスタンが2本、韓国が1本となり、イランが1本もないんです。イラン映画はかなり見たんですが。大統領が替わったという政治状況もあるでしょうが、映画祭受けを狙っているようなところが見えてしまう映画が出てきたりしていて、結局1本も選びませんでした。ラインナップが出来上がってから見えてきたのは、劇映画とドキュメンタリーの境界線を考えさせられる、あるいは考えなくてもいいということを突きつける映画が多かったということです。「バシールとワルツを」のドキュメンタリーをアニメでやるチャレンジ精神、「私は見たい」のカトリーヌ・ドヌーヴがカトリーヌ・ドヌーヴを演じる凄さ。今やドキュメンタリーやフィクションの線引きをしなくてもいい時期にきているのではないか。そんな世界の動きを体験してもらえるラインナップではないかと思います」

(11月5日、赤坂、フィルメックス事務局にて  齋藤敦子)

写真(上)ディレクターの林加奈子さん。フィルメックス事務局にて
写真(中)開会式にて開会宣言をする林加奈子ディレクター
写真(下)今年の審査員勢ぞろい。左から韓国のソン・イルゴン監督、サンパウロ映画祭代表レオン・カーコフ氏、審査委員長の野上照代さん、香港の俳優レオン・カーファイ氏、フランスの映画評論家イザベル・レニエさん

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