新「シネマに包まれて」

字幕翻訳家で映画評論家の齋藤敦子さんのブログ。国内外の国際映画祭の報告を中心にシネマの面白さをつづっています。2008年以来、河北新報のウェブに連載してきた記事をすべて移し、新しい装いでスタートさせました。

2008年08月

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 映画祭開幕2日目の28日、北野武監督の「アキレスと亀」の上映が行われました。今年、日本からは北野監督の他に、宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」、押井守監督の「スカイ・クロラ」の3本もがコンペに並ぶという異例な年です。

 北野監督は1997年に「HANA‐BI」で金獅子賞を、2003年に「座頭市」で監督賞を受賞している、いわばヴェネチアの常連。イタリアにファンも多く、このレポートでも何度かお伝えしているサルデーニャ島サッサリの北野武ファンクラブの面々が、お馴染みの"映画の神様、北野武"と書かれたお揃いのTシャツに、今年は「アキレスと亀」の扮装に合わせた海老茶色のベレー帽を被って、殿の行く先々で"出待ち"をしていました。これには監督も驚いたようで、「ベレー帽を被って待っててくれて、とても感動した」と語っていました。

 「アキレスと亀」は、絵画の収集が趣味の裕福な父親(中尾彬)の影響で、画家になる夢を持つようになった真知寿が、父親の事業が失敗し、孤児になり、叔父(大杉漣)の家や孤児院を転々とし、やがて働きながら美術学校に通い、印刷所で知り合った幸子(麻生久美子、樋口可南子)と結婚し、二人でアートを追及していく物語。

 あらゆる絵画のジャンルに果敢に挑戦するも、1枚も絵が売れたことのない真知寿(少年時代を吉岡澪皇、青年時代を柳憂怜、中年以降をビートたけしが演じる)の才能については、北野監督は何の言及もしていません(映画に登場する絵はすべて監督自身の作品です)。貧乏のどん底で、憑かれたように絵を描き続ける真知寿を通して、絵が売れるか売れないか、有名であるかないかという世俗的な評価を笑い、創造の魔力にとり憑かれることの恐ろしさを描こうとしているように私は思いました。

 監督は「この映画は"芸術残酷物語"」と自嘲気味に語っていましたが、自分を死の縁にまで追い込んで、そこに生まれるものを得ようと格闘する真知寿と、夫に従いながら、いつのまにか自分でも創造の楽しさを発見していく妻の姿は、なにやら桃源郷に遊ぶ仙人のようにも見えてくるのです。日本では9月20日に公開されるそうですので、ヴェネチアの観客が大笑いしながら拍手した真知寿の衝撃の芸術創作シーンを、皆さんもぜひ。

(齋藤敦子)

写真:公式記者会見の際、同時通訳を聞くためのヘッドセットと格闘する北野武監督と樋口可南子さん

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 第65回ヴェネチア国際映画祭が、8月27日夜、マノエル・デ・オリヴェイラの短編「見えるものから見えないものへ」と、コーエン兄弟の「バーン・アフター・リーディング(読了後、焼却)」の上映で開幕。主演のブラット・ピットやジョージ・クルーニーが登場し、詰めかけた映画ファンの熱狂的な歓迎を受けました。

 昨年の閉幕時は、今年のディレクターが誰になるのかが話題で、シネマ・ガーデンの掲示板にも一般の映画ファンによる新ディレクターの人気投票が掲げられていたりしましたが、蓋を開けてみれば、マルコ・ミュラーの再任という、最も真っ当な人選に落ち着きました。ヴェネチアでは、ここ十年あまり、2、3年でディレクターの首がすげ替えられ、任期を全うした人が一人もいないのですから、2期目続けて重職を務めるミュラー氏がいかに信任を受けているかがわかります。開幕前日の26日、例年に増して多忙なマルコ・ミュラー氏に時間をとってもらい、今年の抱負を聞きました。

 ミュラー「今年の映画祭は、"私達にとって世界の映画とは何か"がテーマで、ピュアな映画的クオリティと、現代という時代の哲学的な説話を備えた映画を選択するようにしました。それがコンペに3本もの日本人監督作品が入った理由の一つです。"コンペ作品はワールド・プレミアに限る"という規約を曲げてまでミヤザキ先生の「崖の上のポニョ」を上映する栄誉を得たのは、彼の仕事が世界的にいかに重要であるかを示したかったから。押井さんの「スカイ・クロラ」は、彼が単に"もう一人のアニメの巨匠"というだけでなく、私が個人的に彼のピーターパン・スピリットに共感したから。そして、もちろん北野武の「アキレスと亀」。タケシさんは、今年は偉大なるアーティスト、アクター、そして「ギララの逆襲」のタケ魔人役でのコメディアンの一面です。今年の監督ばんざい賞を受賞者のアッバス・キアロスタミに渡すプレゼンターでもある。つまりは、彼が世界の映画界の中心人物である証明です」

 今年は、ついに新しい映画宮殿の建設が始まる年でもあり、ミュラー氏がディレクターに再任されたのは、このヴェネチアの長年の悲願をついに実行に移した功労を評価されてのこととも言われている。

 「新しいパラッツォ・デル・チネマ(映画宮殿)は、"映画のハイテク寺院"という一面を備えたものになります。ヴェネチアが天文台のように、世界の映画界を観測し、新しい技術を使った自由な表現形態が可能かどうかを観測するのです。そして、もちろんシネマ・コンプレックスとしての面。新しいパラッツォの完成で、ヴェネチアはようやくベルリンやカンヌのように、コンペティション部門を上映する大きなスクリーンを備えた大ホールと、その他の部門専用のホールを備えることになります。これだけの施設ができたら、活用しなければ意味がありません。それで毎月セミナーや特集上映などの大きなイベントを企画し、映画祭を通年にすることを考えています」

 例年、フェリーニ作品の美術で有名なダンテ・フェレッティが担当している現パラッツォ・デル・チネマの飾りつけ。昨年は、フェリーニの「オーケストラ・リハーサル」にオマージュをささげつつ、新しい映画宮殿の建設を暗示するように、大きな球が壁を壊しているところだったが、今年は、白い布に包まれた大中小3匹のライオン。その意味を尋ねると

 「あれは包まれているのではなく、3匹のライオンが大きなスクリーンから飛び出そうとしているところなんです。ライオンが何を見ているかわかりますか? 新しいパラッツォの方向を見ているんですよ」

(齋藤敦子)

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