cannes_p_2019_03_01 去年、プレスの上映スケジュールが変更になりましたが、今年もさらに変更が加えられ、伝統的に残っていた朝8時30分の先行上映も、前日の夜の回の再上映となり、正式上映の前にいち早く映画を見るというプレスの特権がすべて消滅してしました。これは、監督やスタッフ、ゲストを招いて行われるガラ(正式上映)をすべてに優先させるという映画祭の意向を反映したもので、その前にSNSで映画の情報が漏れるのを防ぐ措置です。おかげで、プレス上映が何度か別れて行われるようになり、皆で一緒にコンペを見て、見終わった後で、あれこれ意見を交換するという長年の習慣が消えてしまいました。これもご時勢とはいえ、寂しい感じがします。

 

 映画祭が最も盛り上がる週末にかけ、ペドロ・アルモドバルとテレンス・マリックという2人の巨匠の新作がコンペに登場し、どちらも素晴らしい作品でした。

 

 アルモドバルの『痛みと栄光』は、アルモドバルの分身らしき映画監督サルバドール(アントニオ・バンデラス)が主人公。頭痛や腰痛などのあらゆる体の痛みに苦しむ彼は、創作意欲をなくし、プールの中で痛みを紛らわせる日々。そんな彼の代表作がデジタルリマスターされ、フィルモテカで上映されることになり、撮影以来、喧嘩別れしていた主演俳優が訪ねてくる。彼からもらったドラッグを初めて試したサルバドールは、ドラッグのおかげで痛みが消えた安らかな眠りの中で、子供の頃の体験を思い出す、というもの。

 

アルモドバルといえば、独特の美意識と華麗な技巧で知られる才人で、ありあまるアイデアに振り回される場合もあるのですが、今回は“痛み”をテーマに、主人公の監督が体験する肉体的な痛みと、愛する人々との別れという精神的な痛みをじっくり描いていました。

 

 テレンス・マリックの『隠れた人生』は、第二次大戦中のオーストリアに実在した良心的兵役拒否者シュテファン・イェーガーシュテッターをモデルにしたもの。オーストリアの山間の村で農業を営んでいた彼は、“ハイル・ヒトラー”と言うのを拒否して村八分になり、徴兵礼状が来ても入営を拒否して監獄に入れられ、病院で傷病兵を助ける仕事をしろという命令さえ、戦争に加担することになるからと拒否します。

 

 題名の“隠れた人生”というのは、ジョージ・エリオットの小説<ミドルマーチ>の一節、“今の世の中の善は、信念を持って隠れた人生を送った人々の、歴史から忘れられた行為に負うところが大きい”(大意)という言葉から。

 

 マリックは『ツリー・オブ・ライフ』以来の映像を使って思索するような独特のスタイルで、個人の自由な意志が許されない、時代の不条理に翻弄されながらもお互いを信じつづけた夫婦の姿を淡々と描いていきます。彼らのような名もなき人々の行為が、今の世の中の平和に貢献しているのだ、というのが映画のテーマです。

 

【写真】「隠れた人生」の記者会見、主演のアウグスト・ディールとヴァレリー・パシュナー。

人前に出るのが嫌いなテレンス・マリック監督は今回も登場しませんでした。